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小説「クレチェトフカ駅の出来事」を読んで

岩波文庫から出ている「ソルジェニーツィン短篇集」からとある小説を紹介したい。まだ本編全部は読んでいなくて途中ではあるのだが、中でも2番目に紹介されていた小説が良かった。

まず、タイトルが良いと思った。極めて私的な経験則から弾き出されたエッセイ風味の小説なんだろうと想像出来る。知識ではなくて経験をもとに導き出されたあるエッセンスを教訓として読者に伝えようと思ったら、やっぱり一人称視点で語らなければ“らしさ”が中々生まれにくいと思うのだ。一人称に固執し過ぎても主観に偏り過ぎるきらいがあるので、すると読者からそっぽを向かれる可能性が出て来て難しいところではあるのだが、一か八か自分の視点に絞ってその世界に引き込んでみせるといった覚悟が必要なんだろう。目に見える世界全てに対して感じた事を述べてしまったら話がくどくどしてしまうし、「お前が全てを分かっているのか?」と問われてしまうのは避けられない。よって、多少とも俯瞰した描写を挟めば、中間的なクッションとなって文章が馬鹿っぽくならなくて済むうえ批判もかわせる。そして、仮に主人公に一つ一つを学ばせるといった手法を取ったとすれば、それを読んだ読者も一緒に賢くなるという意味において、本文に対しより興味を抱いて頂けるのではないか。そう言えば、「他人に本気で興味を持てますか?」が本小説における一つのテーマであったろうと思うのだ。

時は第二次世界大戦。主人公は、クレチェトフカ駅の専属管理を任されている中間管理職的立場のソビエト兵士として登場する。駅を通過して行く物資は彼が見張っているのだ。後方支援部隊に入れられてはいるが、自身の仕事を全うする事が母国の勝利に繋がると信じ、気持ちだけは前線とともにあるといった良きソ連国民として描かれる。

ソルジェニーツィンは、昔入隊経験でもあったのだろうか?描写がやけにリアルなのだ。今更の事ではあるのだが、一人称がどうのとかの以前に、設定がしっかりしていないと小説は忽ち漫画になってしまうのだと思う。“中間管理職的”とか濁している時点で本来であれば読者は興醒めだろう。僕が書いているのはエッセンスだからこそそれでいいかもしれないが。

読んでいると、出鱈目なソ連兵ばかり出てくる。これは詳細が詰まっていないのではなく、ロシア人の気質が男女関係なくいい加減だと言いたいのだろう。自分達が運ばれて行く筈の列車に群がってくる連中を女子供関係なく食べ物と引き換えに途中乗車を認める事によって、旅客列車代わりとなり、加えて外の極寒から守ってやるとのくだりは随分優しいとも思ったものだが、石炭をガンガン焚いて暖まってくるとそのうち飲めや踊れやのどんちゃん騒ぎになって、最終的に、「戦場に送り出した人妻やその娘たちもみな操を守ることは出来ないだろう」とした書きっぷりには思わず笑ってしまった。

主人公は当初、単身奥さんから遠く離れたクレチェトフカ駅の地で勤務に従事すべく、ある女の住む家を間借りさせてもらっていたらしいのだが、そこで誘惑され、飛び付いたところが拒絶にあい、いたたまれなくなって全然関係ない老婆の家に引っ越したといった過去の回想が披露される。今は今で職場の同僚女性から密かなアプローチを受けているのたが、「奥さん命だから」「こんな非常事態に浮ついていていいのか」といった理由で色事から身を遠ざけている様子も合わせて描かれている。そんな事よりも、管理業務とは別に自身の体系的分析能力を駆使して、包括的な戦略に関する“頼まれていない”上申書を仕上げるべく日夜包丁を研いているといった、生真面目でおっちょこちょいな性格的側面も最後のメインディッシュに向けて明らかにして置きたかったのだろう。

そんな中、11日まともな食糧にありつけていない兵士が訪れる。あまりの不憫さに心打たれた主人公は中間管理職的権力も駆使して、ある意味頓馬であったとも言える男に手を差し伸べようとするのだが、抜け目なくずる賢い部下とソ連の頑強な配給制度を自分の良いように運用しようとするのはその瞬間だけの事といっても相当に難しい。それでも「なんとか明日の朝迄待ってくれさえすれば」という段階へ持ってくる事が出来た。

職務を全うするだけではないプラスアルファを描きたかったのだろう。一管理職員でありながらも時には立場役職に縛られない、だけれどもトータルなソ連戦力の足を引っ張る様な真似はしないといったある意味下位士官の鑑としての振る舞いが浮かび上がってくる。ベースには「良きソ連兵でありたい」との理想は確かに存在するのだが、それだけではない人間に対する根本的な強いこだわりを感じるのだ。「人に対する興味や人道主義」とはまた違った、一段階上としての強固な在り方を示したかったのだと思う。

そして、列車に乗り遅れてしまった迷子の兵隊がこの駅に現れた。通り一遍の質疑応答は問題なくクリア。出で立ちや振る舞いにどことなく興味をそそられるので、仕事から離れた個人的な今迄の経緯で彼とは話が弾むのであったが、ふとしたところが引っかかる。

彼はスターリングラードを知らなかったのだ。こうなってくると、真面目な彼はもう抑えが効かない。いかにして彼を鹵獲するかだけに頭が回るのであったが、最後首尾よくいった際、主人公の意図に気付いた彼は別れ際
「これはもう取り返しがつかないんですよ!」 
と虚しく浴びせたのであった。

ここからはもう本文を読んで頂きたい。あくまで自分はソ連共産党に身柄を引き渡しただけ、嫌疑を調べ判断するのは今後“あっち”の仕事と割り切っているのだが、どうしても彼への興味が拭えない。彼のその後が気になって名前を挙げて確かめるも、共産党は彼の名前を間違えた。彼の安否が心配だとして物語は締めくくられるのであったが、僕は、映画「ファイトクラブ」の
「人は、人を愛したから傷つけると言うが、傷つけたから愛せたとも言える」
の一節を思い出したのである。

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