(加筆修正・掲載順序入れ替え) エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第28回クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団来日公演 (ピアノ:マレイ・ペライヤ) シューベルト・チクルス & ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲演奏 1991年
(加筆修正・掲載順序入れ替え)
エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第28回クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団来日公演
(ピアノ:マレイ・ペライヤ)
シューベルト・チクルス & ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲演奏 1991年
⒈ クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団来日公演 (ピアノ:マレイ・ペライヤ) シューベルト・チクルス & ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲演奏 1991年
公演スケジュール
1991年3月
22日 プログラムB
シューベルト 交響曲第2番変ロ長調、第5番変ロ長調
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調
23日 プログラムF
シューベルト 交響曲第1番ニ長調、第6番ハ長調
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
(両日とも大阪ザ・シンフォニーホール)
25日 プログラムA
26日 プログラムB
27日 プログラムC
29日 プログラムD
30日 プログラムE
東京
サントリーホール
公演曲目
プログラムA
シューベルト 交響曲第1番ニ長調、第4番ハ短調「悲劇的」
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番ハ長調
B
シューベルト 交響曲第2番変ロ長調、第5番変ロ長調
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調
C
シューベルト 交響曲第6番ハ長調
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
D
シューベルト 交響曲第8番ロ短調「未完成」、第3番ニ長調
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調
E
シューベルト 交響曲第9番ハ長調「ザ・グレート」
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番変ロ長調
F
シューベルト 交響曲第1番ニ長調、第6番ハ長調
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
※筆者の買ったチケット
1991年のこの時のアバドの来日が、ヨーロッパ室内管弦楽団とのシューベルト・チクルスだったことは、アバドという指揮者の本領がいよいよ発揮されたということだ。
なぜなら、アバドはこの時点ですでにカラヤンの跡を継いでベルリン・フィルの指揮者になっていたのだ。しかも、数年来率いてきたウィーン国立歌劇場との関係も、まだ切れていなかった。もし91年に日本ツアーをやるなら、ウィーン・フィルかベルリン・フィルとの方が、比較にならないほどチケットの売り上げも増えただろうし、関連CDの売り上げも数倍、数十倍になっただろう。
それなのに、いくら長年関係を深めてきた楽団とはいえ、日本の聴衆へのアピール度という点では数段落ちるだろうヨーロッパ室内管弦楽団との来日を、あえて選ぶあたりがアバドの真骨頂だといえる。
その理由もまた、以下のような事情を知ると、なるほどと納得する。
※公演パンフレットから引用
《この古典的な2管編成による楽団は、EC・ユース・オーケストラを体験した奏者達を中心に1981年に創設されたもので、国籍や年齢に制限はなく、活動の時期は年間6ヶ月に限られるというユニークな存在をなしており、アバドは、その音楽顧問の立場にある。ベルリンのフィルハーモニーにある室内楽ホールを根拠としながら、ロンドンの財界からの支援もうけるという自由な存在でもあるが、アバドにとっての魅力は、おそらくユニオンの制約もうけず、音楽的に彼の要求のすべてを満たしてくれる可能性が大きいということにあるのではなかろうか。》
いくらアバドであっても、ウィーン・フィルやベルリン・フィル相手では、日本ツアーでのシューベルト交響曲チクルスは、さすがに不可能だったということなのではなかろうか。
アバドはちょうどこの時期、ヨーロッパ室内管弦楽団とシューベルトのチクルス録音を継続中だった。この録音は画期的なものだった。
この全集録音で、アバドはシューベルトの自筆譜を基本とし、新しい解釈で演奏している。ヨーロッパ室内管弦楽団は比較的小さな編成で引き締まった演奏を繰り広げ、従来のシューベルトの交響曲を完全にイメージ一新している。
※参考CD
http://tower.jp/artist/2510445
シューベルトの交響曲は、欧州ではよく演奏されている。20世紀の有名指揮者たちは、それぞれにシューベルト交響曲全集を出している。だが日本では、シューベルトの交響曲といえば「未完成」と第9番「ザ・グレート」などがよく演奏される程度で、それ以外の番号を実演で聴く機会は、めったにない。しかも、演奏回数が比較的多い方の第9番でさえ、例の、「天国的に長い」というシューマンの言葉によってマイナス・イメージが広まり、冗長で退屈な曲と考えられている場合が多い。
だから日本では、アバドによるシューベルトの交響曲チクルス以前には、全曲演奏のシリーズはなかった。
しかも、シューベルトの旧来の演奏とは一線を画して、自筆譜も参考にして新しい解釈の演奏が行われたのは、この1991年のアバド&ヨーロッパ室内管が初めてだった。
⒉ アバドによるシューベルトの交響曲の新たな解釈
その違いは、聞き慣れた第9番「ザ ・グレート」で特に明らかとなる。CDで聴いていたベームやカラヤン、スウィトナーなどの演奏とは、はっきり違っているのだ。
アバド&ヨーロッパ室内管の演奏で聴くと、第9番は「天国的」どころではない。現世の喜びに満ち青春の息吹を感じさせる、若々しい交響曲として聴くことができるのだ。溌剌としたリズムが曲の推進力となる。慣習的に行われていなかったリピートを、ほぼ回復させているのに、過去の名指揮者たちの演奏より全く長さを感じさせない。
バブル崩壊ギリギリの91年ともなれば、有名楽団や人気指揮者が来日しても、旧態然としたマンネリ演奏を高いチケット代で聴かされるのには、もう飽き飽きしていた。アバド&ヨーロッパ室内管のシューベルト・チクルスは、80年代半ばから01年まで、バブル期に大量に来た海外オケ公演の中でも、その新鮮さ、士気の高さにおいて出色だった。
このチクルスは同時に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏でもあった。アバドとペライヤのコンビはこの当時、演奏の方向性がよくマッチしていて、聴きやすく新鮮なベートーヴェン像を提示していた。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、海外の有名ピアニストと有名オケの組み合わせでも数え切れないほど演奏された。だが、5つ全部を一度に聴けるチクルスの機会は、日本国内ではなかなかなかった。
※参考CD
《ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集(3CD)
ペライア、ハイティンク&コンセルトヘボウ管弦楽団
これほど美しい音のするベートーヴェンの協奏曲集も稀ではないかと思わせる見事な演奏&録音。ペライアのピアノはどこまでも洗練されて思慮深く、ハイティンク指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団もこれ以上ないほど優秀なバランスを示しており、声部の絡みあいも実に聴きごたえがあります。》
もしかするとアバドは、シューベルトの全交響曲とベートーヴェンのピアノ協奏曲全て、という具体的なものによるクラシック音楽の柱を、日本の我々にわかりやすく示そうとしたのかも知れない。そんな妄想めいたことを考えたくなるには、理由がある。
アバドのシューベルト交響曲全集と同時期に、録音が完成しつつあったのが、ムーティ&ウィーン・フィルのシューベルト全集だ。シューベルトが生涯暮らした街を代表する、ウィーン・フィルとの伝統を背景にしたムーティの全集は、同時期のアバドのシューベルト演奏と比較してはっきりと古く聴こえる。アバドとムーティは同じイタリア人指揮者として比較されることが多いが、この時期、ムーティは古い演奏様式に傾いていた。一方、アバドはウィーン・フィルやベルリン・フィルを振っても、ヨーロッパ室内管を指揮しても常に新しい様式を志向していた。
筆者は、せっかく高いチケット代を払うなら最先端の演奏を聴きたいとこの時期、思っていた。
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/