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連載更新 新章「大学の取材編」その4(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)

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新章「大学の取材編」その4
(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)




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新章「大学の取材編」その3



(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)


2005年5月17日


 
 火曜日は、いつもの「音楽理論」である。もうこの講義にすっかり慣れたが、難しいのは変わらない。ますます複雑怪奇になりつつある。しかし、いくら難しくても、そんなに困らないことがわかった。例の元教え子に、こんな話を聞いたからだ。
「明日、音楽理論、宿題やってへん」
「ああ、ぼくもやってませんよ」
「そっちのクラス、どんなんやってるん? こっちは第2転回型に入ったとこ」
「ええ?早いですね。まだ同音連結ぐらいですよ。教科書、とばしてるんですか?」
「とばしてるどころか、全然使ってへん。ずっと練習問題や」
「じゃあやってることいっしょですよ、きっと。うちのクラス進み方遅いんです」
「ふーん。こっちはピアノ専攻の子、多いからかなあ」
「きっとそうですよ。ピアノの子はあんな初歩的な連結なんか平気なはずです。ぼくのとこは管楽器の子、多いんです。管楽器は推薦で入った子多いじゃないですか。推薦は理論のテストないから実技だけすごくうまいやつが理論知らなくても受かるんですよ」
「ふーん。そんな子らは、いちから勉強か」
「そうですよ。ぼくが高校の時の音楽コースで習ったぐらいの理論の知識があったらたぶん、1年生のうちは楽勝ですね」
 とまあ、そういう事情があったのだ。とはいえ、それでもやっぱりこの「音楽理論」の先生は厳しくて、ちゃんと練習問題を仕上げて丸をもらわないと帰れない。だからいつも最後まで残るはめになるのだった。それでもちょっとずつ、「音楽理論」の理屈はわかってきたので、だんだん面白くなってきた。




2005年5月19日

 
 木曜日には、オペラの授業を続けて見学している。この授業は前に書いたように、大学院のオペラ研究室の発表にむけて稽古している。今年は、プッチーニの『ラ・ボエーム』をピアノ伴奏でやるのだという。オペラのピアノ伴奏は珍しいが、おそらく予算の関係だろう。
 授業を統括している有名なテノール歌手は昔、大阪フィルの演奏会でベートーヴェンの第九のソリストを歌ってるのを聴いたことがあった。まさかここで出会うとは思わなかったが、筆者は臆せず自分のデビュー小説を差し上げた。すると多忙な人なのにちゃんと読んでくれて、よく書けているとほめてくれた。
 授業は、このプロ歌手と演出家と指揮者の3人がかりでやっている。ピアノ伴奏は2人いて、その一人が筆者の高校の同級生だった。今は立派に音大の先生になっている。
 授業の合間に、オペラ研究室の学生に話を聞いた。
Q:「プロの歌手になるつもりですか?」
学生:「そりゃ、そうですよ。そうじゃなきゃ、大学院まで残りません」
Q:「やっぱり、オペラですか?」
学生:「そうですね。僕は、オペラの舞台に立ちたい、というのがすごく強いから、やるからにはオペラを、それも、日本じゃなくてヨーロッパで歌いたいです」
Q:「それじゃあ、さっそく卒業したら留学を?」
学生:「そうですね、考えてますよ。」
Q:「ちなみに、どこに?」
学生:「やっぱり、イタリアですね。それかドイツか。オーディションやコンクールをたくさん受けて、チャンスがあれば、という感じですかね」
 さすがに大学院生ともなると答え方も慣れていて、模範的なことを言う。このオペラの公演は、研究発表ということだが、やはり、未来のスター歌手を求めて、いろんな歌劇場やプロダクションが聴きにくるのだろうか。オペラ授業の先生に聞いてみると「そんなことはありません、残念ながら」というお答えだった。残念。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/