読書メモ:川上未映子『きみは赤ちゃん』
川上未映子を読んでみようということで買ってみたうちの一冊。タイトル買いをした時点では小説だと思い込んでいたが、これはいわゆる出産・育児エッセイだった。しかし、子育て真っ最中の自分としては、この見込み違いに別段困ることもなく、「これもまたご縁」と楽しく読ませてもらった。
そもそも出産・育児エッセイが好き
自分はkindleの安売りセールを巡回するのが趣味で、サクッと読めそうなコミックエッセイが99円になっていたりすると、サクッと買ってしまう。特に出産・育児関係のコミックエッセイはたくさん読んだ。
このジャンルは、作者のバックグラウンドの違いこそあれ、似たような内容が多い。出産・育児を通じて起こる出来事や、気持ちのマクロな動きというのは普遍的なものだからだ。例えば、妊娠を知って生じるじんわりとした喜びと緊張感、つわりの苦しみ、夫へのいらだちと感謝、体型と食欲の変化があって、子どもを迎える準備で混乱したり身近な「出産の先輩」のアドバイスに励まされたり。これらは多くの夫婦が経験することであり、エッセイ間での重複も当然出てくるというわけだ。
それでも、出産・育児エッセイを多数読み漁ったという人は少なくないのではないか。なぜなら、ポイントは情報性ではなく、共感にあるからだ。一連のプロセスで生じる不安、痛み、いらだち、疲労感を他の親も感じているのだということに癒され、それを子育ての先輩方は乗り越えたという事実に励まされ、「それでも赤ちゃんと出会えてよかった」というコメントに救われる。出産・育児エッセイの人気はそこにあるのだ。
芥川賞作家の表現力
さて、本書の話に入ろう。芥川賞作家による、出産・育児のエッセイである。内容面でいうと、やはり大きな流れは、既存のコミックエッセイと大きくは変わらない(この本の場合、号泣の頻度が凄い気がするが)。
しかし、やっぱりこの本はちょっと特別だ。何が凄いかと言えばその文章力で、各場面での彼女の感情が見事に描写されている。考えてみれば、出産・育児の過程は感情のジェットコースターである。各場面での親の感情の動きを如何に描写するかは極めて重要だろう。
例えば、赤ちゃんが生まれた時の感情というのは、どう表現されているだろう。コミックエッセイでもこのシーンは力を入れて描かれる。多くの場合、赤ちゃんの顔のアップがあり、親の安堵と涙の描写があって、万感の思いとともにモノローグが添えられる。とは言え、文字数を短くすることがマンガの基本でもあり、若干テンプレート的にならざるを得ないところもあるだろう。これが、川上未映子の手にかかると、以下のようになるのだ。
最初の「おぎゃっ」が聞こえてから、興奮なのかなんなのか、もう「うおー」みたいな感じでわたしは声をだして泣いており、気がついたら「生まれましたかっ、生まれましたかっ」と叫んでおり、「元気ですかっ、元気ですかっ」とも叫んでおり、「ものすごく元気な男の子ですよ」という声をきいてさらに号泣し、とにかくぶじに生まれてきたのと出産が終わったのとで胸というか世界というか・・・認識しているすべてが、こう、世界のどこからかこみあげてくる、これまでみたことも味わったこともないもので満たされていて、息をしてそれがゆれるたびに、涙があふれてどうしようもなくなるのである。
出産の痛みと達成感、乳児の命を背負うプレッシャー、育児のハードさに消耗していく気持ち、そして子どもの愛おしさ。人生の中でも特別な感情の数々を、彼女は見事に表現してみせる。それは、育児の経験者には、感情の奥深くまで思い出させてくれるような経験となるだろうし、育児を控えた夫婦には未来の感情を知る有望な手掛かりとなるだろう。
感情を言葉にするという営み
出産・育児エッセイまで自己成長につなげる必要なんて全くないのだが、表現力というものの重要性を見せつけられた思いだ。
感情を描写する技術というのは奥が深そうで、自分は全く無頓着だったような気がしてきた。「うれしい、むかつく、かなしい、たのしい、モヤモヤする、ジリジリする」、そんなシンプルな語彙の群に「すごく、めっちゃ、ちょい」などをつけていっちょあがり。自分はそんな感じだ。
しかし、人生の様々な場面で生じる感情というのは、もっともっと多彩なものだ。例えば我が子と初めて会ったときの自分の気持ちを、満足いくように表現できるだろうか。「めっちゃうれしかった」にとどまってしまっていいのだろうか。感情に形があるのであれば、当時の感情は巨大なだけでなく、もっと複雑な形をしたもののはずで、それを「めっちゃうれしかった」と表現した瞬間、人生屈指の重要な感情が切り刻まれ、「めっちゃうれしかった」の形に成形されてしまうのではないか。
そう思うと、気持ちを伝えるための文章力というものも身に着けてみたいなぁと思った。そんな読書だった。