石黒達昌の慎ましいSF
石黒達昌の作品には、追いかける者が頻繁に登場するが、彼らが追い求めるものは、肉親の難病のための治療法であったり、あり得ない動植物の謎であったり、複雑怪奇な事件の真相であったりする。まあ一言で言ってしまえば、世界の真理である。世界の真理を探究する彼らは、よって、科学者であったり、医師であったりするのであり、作品の言葉は客観的叙述に徹する科学論文のような冷静沈着さを纏うのだが、その行間というか言葉の端々からは、なにか異様ともいえる過剰なものが顔をのぞかせている。唐突で意外な組み合わせかもしれないが、石黒作品の科学者たちには19世紀の芸術家とのつながりを感じとってしまう。サマセット・モームの『月と六ペンス』が描くところのあの仰々しい芸術家に通じるような暗く熱い力に突き動かされ、それに憑かれている。
「北海道最寒の地、泊内村周辺に第二次世界大戦直後まで生息していた植物」を描いた「冬至草」の主要人物の一人半井は、一種の狂信家である。戦後絶滅した「非常に奇妙な生殖を示した冬至草」の発見・命名者である半井は、出自が不明の孤児であり、「顔には大きな痣があり、首から胸にかけて火傷の痕と思われる醜いケロイドが昨日できたかのように赤く浮き出ていた。元気になっても膝から下が完全に麻痺した右足を引きずってしか歩くことができなかった」人物で、似たような境遇であった野口英世に自らをなぞらえながら、戦争という困難な時期を、冬至草研究に没頭して過ごしている。このような人物設定は、松本清張の『或る「小倉日記」伝』を、私に思い出させる。また、「冬至草」には半井の助手として張本という名の人物が登場するのだが、じつはこの人物の本名は「チョウホンドク」であり、朝鮮からの炭鉱強制労働者であったことが物語の後半に明かされる。こうした展開もいかにも松本清張的である。なにやら人間の業の深さを垣間見るようだし、その業のなかでもがきのたうつ人間の暗い情念の炎が燃え上がりそうである。
けれども石黒の筆は直線的にベタな文芸路線へとは向かわない。エモい歌を朗々と歌い上げることを禁欲している。清張作品なら、映画『砂の器』の大ヒットに貢献したテーマ曲『宿命』が流れるところだし、あるいは石黒と同じ北海道出身の安全地帯の昭和的にエモい曲が、玉置浩二のドラマティックすぎるヴォーカルによって歌い上げられるところだが、石黒の言葉は、体質が違うのだと、いわんばかりにそのような文系的ドラマトゥルギーを回避する。
それはやはり理系の資質というものなのだろうか。メタな手法がとられているし、作品の焦点がマテリアルな現象のほうに向いている。「冬至草」であれば、自費出版されたという『冬至草伝』や論文や書簡などの資料によって再構成されたという形式を選択することで、ニュートラルな距離の冷却作用のような効果が生まれている。「雪女」もまた、登場人物のカルテ、日誌、関係者の証言から再構成された形式をとり、「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、」も関係者の実験日誌と日記の再構成という体裁をとっている。
そのような理系的(?)な表現が取り組んでいるのは、常識外にある未知の現象である。不思議な現象は、たとえば、それを食せば癌を抑えることのできるホヤ貝であったり、体温が30度より上に上がらない体質の女性であったり、ハネを持つネズミであったりする。いかにもSF的な謎をめぐって綴られる物語は、スタニワフ・レムやテッド・チャンのファースト・コンタクトSFのようであり、謎の解明のプロセスは「あなたの人生の物語」(チャン)における異言語解読のようにスリリングである。あるいは、小さな手掛かりを追って北海道中を歩きまわる軍医、柚木弘法の姿は、松本清張描くところの執念の刑事のようでもある。そしてまた、労力を惜しまずに真相探求に取り組む姿は、NHKの人気番組『プロジェクトX』のようであり、最終的には陽の目を見ずに歴史の片隅に忘れ去られてゆく姿は「ヤングジャンプ」で連載されていた『栄光なき天才たち』のようだ(『栄光なき天才たち』の原作者は私のかつてのクラスメートであり、彼とのいきさつをnoteの原稿で書いたことがある)。『栄光なき天才たち』の喩えがでたが、「冬至草」の半井は在野の研究者であり、「雪女」の軍医、柚木も本来の職務から大きく逸脱し、陽の当たる道を失う、一種の破滅型の人間である。
破滅型である彼らが直面する世界の謎は、破滅型である彼らにふさわしく、自己消滅を内包する現象なのである。「希望ホヤ」であれば、悪性腫瘍を抑え込む悪性腫瘍だし、「雪女」であれば、「死体食」を伴う生殖であるし、「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、」であれば、「自己の遺伝子を破壊する強力な酵素を持つ生体」という自己矛盾を冒したような現象を巡って、石黒の理系的言語は運動するのだ。このような想像力の根底には、ほの暗い禍々しさが横たわっていると思われる。「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、」のあとがきで、石黒は、「遺伝子の唯一の誤算は人間という生物を作ってしまったことだ」という分子生物学者である友人の言葉を紹介しているが、石黒の無意識には生物への悪意が潜んでいるかもしれない。
胸を張ってお天道様をおがめないかもしれない悪意に感染した想像力は、隠微な「悪の華」を咲かせもする。人の血をたらすことで発光現象を起こす冬至草に、「文字通り血道を上げ」、一種の「宗教儀式」に没頭する半井と張本の二人は、ほとんど麻薬中毒者の域にまで、植物狂いを昂進させてしまう。既知ではなく、未知からの誘惑の声に反応する聴覚を育んだようだ。「冬至草」の報告者は、それを「言葉では表せない情念の奥底に直接心地よさとして響いてくるようなものだったかもしれない」と記している。
既知(こちら側)から未知(あちら側)への越境ということでいえば、「雪女」の柚木もまた、低体温症を生きる女には冬眠を誘発する物質が備わっているとの仮説をもとに、女の血液を自分の体に輸血するという行為に及ぶが、彼の想像通り、柚木の体温は女のそれと同化し始める。女の一族が種の維持のために行っていたと仮定される近親相姦の儀式を演じたというわけだ。
こうした振る舞いには、やはり、医学や科学という理知的な光の領域とは異なる不穏な力を感じずにはいられない。芸術のデーモンという古めかしい言葉が唇に上ってくる。『月と六ペンス』のラストで、主人公が南の島の小屋でハンセン病に犯されながら小屋の壁に描いた幻の傑作の鬼気迫る光景が胸をよぎるようだ。ただ、石黒作品の場合は、芸術を直接的に歌い上げるのではなく、科学的な冷静な言葉で、間接的にエモさが慎ましく奏でられる。
慎ましい音楽というと、70年代中盤にそのタイプの曲が多かったように思う。たとえば、北海道出身ということであれば、佐々木幸男の「君は風」。
「ダンスはうまく踊れない」でブレークする前の石川セリにも76年前後に名曲が多く、「ミッドナイトラブコール」などが人気があった。
野口五郎の超マイナーナンバー「グッドラック」も70年代のウェストコースト・テイストであった。
柴田まゆみの「白いページの中に」もまた70年代の屈指の名曲。テレビでオンエアされなかったせいでメジャーになれなかったが、ラジオ界隈での評価は非常に高かった。
洋楽では、クリスタル・ゲールが素晴らしい(「Don’t It Make My Brown Eyes Blue」)。
76年の「Year Of The Cat」(アル・スチュワート)も慎まし気にエモい。忘れられた名曲である。