風のなるとやせん、鈴のなるとやせん
インドの高僧・僧伽難提(サンガナンディ)の弟子に、伽耶舎多(カヤシャタ)という僧がいました。あるとき風に吹かれて風鈴が鳴るのを聞いて、師が言いました。
–––いい音だな、カヤシャタ。
そうっすね。
–––ひとつ訊こう。これは風が鳴ってるのか、鈴が鳴ってるのか。
風も鈴も鳴ってません。ぼくの心が鳴ってるんです。
–––どういうこと?
すべて寂静だから。
–––なるほど。わしの跡を継ぐのはお前しかいない。
風でも鈴でもなく、心が鳴っている。一見これは、ありがちな唯心論的解釈にも見えます。外界というものは存在しない、すべては心が描き出す幻影にすぎないとするものです。あるいはそこまで極端にせずとも、物心二元論で解釈することもできます。風も鈴も存在するが、その振動は最終的に心に達してはじめて音として感知される。だから「心が鳴る」のだと。そしてこのプロセスに空気振動や内耳の伝音系、脳の聴覚中枢などといったディテールを追加すれば科学的説明となります。
しかし道元は、唯心論も二元論も「邪解」として斥けたうえで、こう言います、
心鳴は風鳴にあらず、心鳴は鈴鳴にあらず、心鳴は心鳴にあらず。
|正法眼蔵「恁麼」
一つめと二つめは問題がないように見えます。心の鳴は風の鳴ではないし、鈴の鳴でもない。三つめが意味不明。
ここでじーーーっと文字と何時間にらめっこしても脱出はできません。脱出口は睨んでいる場所にはないでしょう。こう考えてはどうか。「一つめと二つめには問題がない」としたところがすでにまちがっていたのではないか。当然のように、一二と三のあいだに線を引いていた。その線を消してみる。「風鳴にあらず」「鈴鳴にあらず」「心鳴にあらず」は、まったく同じことを言っているのではないか。つまり、どれも「心鳴は𝑋鳴にあらず」という形であって、𝑋は任意の対象でよく、たとえば風であり、鈴であり、心である。しかし伽耶舎多の「心鳴」は、どの𝑋鳴でもない。伽耶舎多は現象(鳴)を事物𝑋に帰属させることをしないのではないか。だから風も、鈴も、心も、ともに「寂静」なのです。
これは、事物に向かう世界観から、事物の近傍に向かう世界観への転回の一環です。音に関して言えば、音は波動、つまり音源の近傍の振動です。近傍系の全体が音響としてわれわれの身を包むのです。しかしこれは逆に音源の意義を際立たせることにもなります。なぜなら音響を制御しようとするとき、それは音源の制御によってしか可能ではないからです。
歌詠みにとって、音源に相当するのは詞です。藤原定家がどうやって詞の制御を通して歌の響きを制御するか、この一首についてみてみましょう。
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮
佐野(狭野)の渡りとは、大和国を流れる初瀬川の渡し場で、昔から歌によく詠まれる場所です。万葉集にも、苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに とあります。雨が降ってきてやだなー、雨宿りできそうな家もない三輪の崎の狭野の渡し場だよっていう、素朴なつぶやきです。定家はこれを本歌として、まず「苦しくも」に現れている主観を消します。そして「駒」によって登場人物がある程度の身分の者であること、「袖」によってその人物が武士ではなく公家であることを示すのです。本歌の「雨」を「雪」に変え、白い夕暮のなかにその袖だけを唯一の色として残します。「家もあらなくに」は「かげもなし」と抽象化され、夕闇迫る雪景色がさらに不分明となっていくなかで、袖の色はいつまでも印象から離れません。
詞とその意味の関係については哲学上・言語学上のいろいろな説があるかと思います。ここでは、意味とは詞の近傍であると解したいと思います。それは音響が音源の近傍であるのと同じいみにおいてです。定家は、現代のDJのように、さまざまな音源の近傍を徹底的に研究したうえで重ね合わせているのだと思うのです。