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絶望と、感動という扉の話。

やっと息ができるようになってきた。
この二週間くらい(特にライオンズゲートあたり)は、『あれ?なんか私、楽しいことなんてなくない?』と錯覚するくらいに気持ちの落ち込みが酷かった。

思い出す、数年前までは普通だった、
息が詰まるような感覚。
明日も仕事。明後日も仕事。
疲れて何もしたくない休日。
これがいつまで続くのだ?というような絶望感。
虚無感。そのたびに思い出す、
『生きるのは大変なことなんだぞ』という、
両親の姿。
ああ、本当そうだね、生きることは本当に大変だ…
と一人、部屋でぼーっとしながら思っていた。

『生きるのは大変なこと』
その考えが、本来の私の考えではないことがわかったのは数年前。
自分にとって大切な人の 考えや思考をそのまま自分の中に入れてしまっていたことに気づいた時は衝撃でした。
(大切な人だからこそ、そのままトレースしてしまう)
そうか、私が生きることを辛いと思っていたわけではなかったんだ、と色々なことが腑に落ちた瞬間だった。

そんなことを経て、今の感覚や思考を少しづつ育ててきた今この時に、あの感覚になることが私にとっては謎だった。
ここ最近、特にこの2年くらいは、そんな感情とは全くおさらばしてたのになんでこんな気持ちなるんだ、と。

体は浮腫んでる感じがするし、
ずっと眠たいし、頭は全く動かない。
なんてこった、これは大変だ‥
とへとへとになりながら数週間を過ごした。

一つ、良かったのは、去年も同じ頃に同じ経験をしていたこと。絶望を感じながらも、心のどこかで
『この感覚は似てるぞ』と思っていた。

それが、抜けたのは、8月15日。
『あ、変わったな』と体感で感じた。
抜けたのを感じたのは、とても良い瞑想ができたからだった。

その日は、『母が道端で必死の形相で薬を探している』という夢を見た日だった。
道端にしゃがみこみ、
脇目もふらずカバンの中の物を放り投げながら
薬を探している姿を、私は何もできずに見ていた。
薬を探しあて、飲み込んだ母は、
一瞬安心した顔になりそして次の瞬間に
『こんな体はもう嫌だ』と泣き出した。

目が覚めたとき、体は汗をかき、
天井を見ながら、深くため息をついてしまった。
なんて嫌な夢を見たんだろう…
そう思いながら、
ノロノロと起き上がり、顔を洗って
瞑想をする部屋へと向かった。

お香を炊いて、ACMの教科書を読みながら、
でも心は全く静寂にはならなかった。
瞑想を始めて、呼吸を整えながら、
なんだかもう泣けてきた。

神様、なんで生きてるんでしょうか
神様、今の私には、こうやって過ごすことに
光なんて見えません。
もう、私には絶望しか感じません。
瞑想にもなんの意味もない気がしてしまいます。
どうやったって、
私には明るい未来なんてない気がします。
どうしたらいいんですか?
何をしたらいいんですか?
私にはあなたが言ってることが分からないんです。
もっとわかりやすくしてくださいよ。
本当に、私が光であって、
生きることが素晴らしいのであれば、
それを見せてくださいよ!

瞑想しながも泣き続けて、絶望感が最高潮に達し、
心の中でそう大声で叫んだ瞬間、
同じように絶望感を感じ、叫んでいる多次元
(過去生と呼ばれるもの)の自分たちと繋がった。

男性も女性もいた。
そして、どの時代の私も、同じように
ずっと絶望していた。

あ、繋がった、と思った瞬間に
その人たちが全て見える視点に立った。

ああ、私は、ずっと絶望してたんだ。
何回も転生するくらいに絶望してたんだ。
たくさんの自分を見ながら、私は理解した。
私はもう、
今世でこれを手放さないといけないんだ。

私の『手放し』は、神様にその感情を預けること
(イメージの中で)
私は、これまでのたくさんの自分と並んで、
それぞれが抱える『絶望感』をそれぞれの手に乗せて神様にお預けした。
私たちにはこの絶望感はどうにもできません、
どうか、この絶望感を愛の道具として使ってください、と。

その時、見せてもらえたもの。
私たちは、どうやっても、
光を求めて生きてしまう。
何をやっても暗闇だけにはなりきれない。
どうしても光を求めてしまうこと、
それが、あなたたちが光であることの証明です、と。

その瞬間、ものすごく感動して震えた。
『そうか、そうか!』と
私の内側が震えるように光輝いた。
そして次の瞬間には、その感動を突き抜け、
フラットな場所に私は立っていた。
説明がとても難しいのですが…
大いなる存在や、神様や、
宇宙とよばれるものやら、
そういうものを仰ぎ見ない場所。
そういう存在と、フラットで対等な場所。

私は、その時『感動』は、
ただの扉でしかないのだと知った。
『感動する』こと、心が震えることが、
私の人生では最高潮の気持ちだと思っていた。
これ以上の気持ちはないと思っていた。
でも、その感情も扉でしかない。
絶望という道具を使い、
そこで起こる感動というエネルギーを使って
私たちは、新しい扉を開けるのだと知った。

45分間の瞑想の時間が終わり、
私は少しの間、恍惚としていた。
でも、ハッとして急いでメモをした。

これは、瞑想をしている人たちが
みんないうことですが、
瞑想で感じたことは、すぐに忘れてしまいます。
本当に記憶喪失くらいに忘れます。
脳は瞑想の時はいつもとは違う脳波に
なっているためでもあり
(夢を見てもすぐに忘れてしまうのと同じ)、
いつもの低い次元の自分に戻ると覚えていられない、というのもあります。

今でさえ、
『すごい瞑想したな』と思いはあるのに、
すぐに思い出せない。笑
メモを見ながら(メモを見ると思い出す不思議)
書いています。

あの瞑想から、約一週間くらい。
心が安定しています。

結構、今回のライオンズゲートも
すごかったですね。
私は、本当山梨に来るまでは
何も感じない人だったんですが。不思議ですね。

この感覚のこと、
いつか誰かと話せたらいいな、と思ってここに
書いてみました。

読んでいただき、本当にありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしくださいねー🌿




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