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日本代表にワクワクしないのは僕のせいだ

これまで日本が初めて出場したW杯以降、日本代表が参加するすべてのW杯を体験してきました。

1998年フランスW杯。
初めて出場したW杯では、アルゼンチンやクロアチアと五分の試合をすることができ、日本代表を誇りにすら感じましたが、同時に、あと一歩が届かないことに対するもどかしさも感じましたが、物凄くワクワクしたのを

ちなみにこの時、僕はサッカーをしてませんでした。

2002年日本と韓国の共同開催となったW杯。
中田英寿を始めとしたワールドユースで活躍した選手たちが中心となり、決勝トーナメントまで進出。サッカーとかよくわかんないけど、大好きになった!という人が周りに増えたことをよく覚えています。

2006年、ドイツW杯。
日韓W杯での結果と、直前の親善試合での結果からウキウキワクワクしながら試合を見ていたけど、思い切り崖から突き落とされたような結果に愕然し、前回のW杯時にファンになった人たちが離れていったのを覚えています。

2010年、南アフリカW杯。
オシム監督の元で挑むということで、前回W杯の雪辱を果たすべく、気持ちを高めていたところで監督交代...日本人ならこの人しかいない、という状況での岡田武史さんの登場。
直前までボロボロに叩かれていたけど、岡田武史さんならやってくれるさ!という全く根拠がないながら、ワクワクは止まりませんでした。

2014年、ブラジルW杯杯。
なぜだろうか、この時のW杯にこれまで通りに期待していたかと聞かれれば、それほど期待をしていませんでした。
理由を聞かれれば、"なるようにしかならんさ"とちょっと斜めに構えた態度になるぐらいに向き合い方が変わったとしかいいようがありません。

あ、たぶんあれです『自分たちのサッカー』ってのがイマイチしっくりこなかったからだと思います。

そして今回、2018年ロシアW杯。
ハリルホジッチ監督の電撃的ともいえる解任があった中、かつてJリーグを代表する監督だった西野 朗さんを監督に迎え、行われた親善試合。そして代表メンバー発表。

なんだろう、この盛り上がらない気持ちは...。

全くもってワクワクドキドキしない。

それはまるで、そう。何度か見たホラー映画でも見るような既視感があります。空気が一切変わらない、変えようがないとでもいうべきか。


98年W杯のとき、岡野の出場よりも小野伸二の出場を期待していた人が多かったのではないでしょうか。日本代表の一番の功労者と目されていた三浦和良が落選した時、思わず岡田監督を嫌いになりかけてしまった人も多かったと思う。

けど、それを補った余りある、ゴン中山の気持ちに乗っかったし、中田英寿の頭の色は伊達じゃないってぐらいにビシッと通すパスとか、バティストゥータを相手に何度もカラダを倒しながらシュートを防いでくれた川口とか...

あの時のW杯には華やかな舞台に上がってくれた選手たちに感謝の気持ちと共に誇りを抱いてました。

3戦目、残り時間が差し迫ってきたところで小野伸二が投入されました。

ほぼ敗戦が濃厚な状態の中で投入された18歳の選手に僕たちは大して期待もしてなかったのかもしれない。

けど、彼はいきなりジャマイカの選手の股を抜いた。

「うお...!」ってなった。

あの時の小野伸二ばりに期待を背負い、呼ばれる若い選手がいないってことは、日本代表というよりも日本の育成環境が成長の鈍化をしてしまっているのではないかと疑いの眼差しをくべたくもなる。

もしかしたら、日本のサッカーを見ている人たちの目が肥えてきたからなのかもしれない。

けど、けどです。

僕たちに足りないのは、サッカー日本代表に対する愛情じゃないんですよ。
圧倒的なまでな当事者意識を醸成してくれる物語なんです。

現在の僕が抱いている、この既視感は、すでに3大会見たことがあって、大会ごとに期待感のなさを感じながらW杯の本番を迎えるって形になってるんです。

これで日本代表が勝ち上がったとして、決勝トーナメントに進んで、例えば、決勝トーナメントでも1回2回と勝ち進んでいけば、日本の中は再び盛り上がるかもしれません。

でも、それだけです。

僕たちに取って、ほんとうに必要で、日本サッカー協会を始め、それを取り巻くスポンサーや広告代理店がどうとかって話なんて、正直、どうでもいいんです。

大切なのは、僕たちの当事者性を、僕たちはどうやったら取り戻せるんでしょうか、ということであり、日本代表に限らず、Jリーグでもいいんです。

サッカーに対してのめり込める人たちを醸成するために、何をどんなタイミングで仕掛けたらいいのかを考えなきゃならんのです。

懐古主義は好きでもなければ嫌いでもないんですけど、"あの時は良かった"って言葉は、当事者意識がバリバリあって、ノリに乗ってたからだぜって意味だと僕は捉えてます。

他人事じゃなくて、それとなく、傾斜角度はそれぞれにあれど、前のめりになってたからこそ"あの時は良かった"んです。

98年W杯、日本国民にとって、初めてのW杯だったんです。

2002年、日本国民にとって、初めて自国開催のW杯だったんです。

2006年、ボロボロに打ちひしがれた日本代表を見る、初めてのW杯でした。

2010年、代表監督が体調不良により交代して迎える初めてのW杯でした。
しかし、良くも悪くも監督は過去にも率いたことがある人でした。

2014年、初めてのことは何もないW杯になってしまいました。
ボロボロに打ちひしがれる代表を見るのは2度目です。

2018年、W杯直前で、監督が更迭される初めてのW杯です。
メンバーに新規性がありません。すでにやってきたことです。

初めて、というのはすごく貴重な体験です。誰にとって見ても、すごく重要なことです。僕たちは初めてのW杯、そして、それに続く初めて自国で開催されるW杯に酔いしれ、便乗して大いに楽しむことができました。

そして、ボロボロに打ちひしがれ、ズタズタにほぼ何もできない日本代表を見ることで挫折しました。

しかし、それも貴重な経験だったといえ、次のW杯では、僕たちに再び立ち上がることのできる勇気を与えてくれました。

2014年、自分たちのサッカーというよくわからない文言が連呼されましたが、日本のスタイルというのは、なんでしょう。よくわかりません。

しかし、よくわからない状態でいいと思います。なぜなら、僕たちはサッカーに詳しい国民ではないから。言ってしまえば、にわかファンの多い国、それが日本のサッカーにおける現在地点だと言えるのではないでしょうか。

だったら。それだったら。それでいいじゃないですか。

とにかく、再三になりますが、僕たちは没頭できるストーリーが欲しいんです。98年、2002年と続いてきたワクワク感を再び味わいたいし、だからこそ、サッカーっていいよな!っていいたいんです。

誰かが用意した、もしくは用意してくれるストーリーを味わうことに、もう慣れてしまったから、自分たちで作らないといけないんです。

そう、僕たちはサッカー日本代表なんです。無関係な存在なのではなく、あのピッチで戦う選手たちは僕たちなんです。

選手がピッチ上でリスク背負って闘えないのは、僕がリスクを背負った人生を生きていないから。

選手が相手を翻弄するパスを通せないのは、僕が仕事で適切なパスを同僚に通せないから。

選手が思いっきり準備不足で自分の背後を取られて失点してしまったのは、僕の注意が緩慢で準備を怠り、各所に目を通していなかったから。

選手がゴールを決めれたのは、僕が同僚たちの積み上げてきたことに対し、きちんと応えられるように目を光らせ、頭を回し、足を動かしてきたから。

だから、僕たちは日本代表なんですよ。
誇り持って、必死に生きてやりましょ。

それが僕たちの物語で、選手たちの物語になると僕は確信しています。
だから、僕のせいなんです。ワクワクしないのは。

な〜んっつって!

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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