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"一般の人"ってだれでもない人じゃないか。

テレ朝の竹内アナが結婚を機に退社する、なんて報道がありまして。別にそこはおめでたい話で止めておけば良くて、そこに関してあーだこーだ書きたいわけではありませんです。はい。

おめでたい事柄ですし、いわゆる寿退社って言葉を久しぶりに目にしたし、耳にするのも懐かしい感じがして、懐かしすぎて何を話していいのかわからない同級会に呼ばれた感覚です。

ただ、僕は生まれてこのかた、同級会や同窓会って言う類の会合に声をかけてもらったことはありませんが。(公式な奴はさすがに声かけてくれたけど...ははは。)

おめでたい話なのではあるのですが、竹内さん自身のコメントに記載されていた相手を紹介する一文に「一般男性」ってあったんですね。

竹内さんに限らず、いわゆる芸能界って呼ばれる世界があるのかは定かではありませんが、「一般」って表現を使用する頻度が高いと言うか、知名度の高いアナウンサーに限らず、「芸」で活躍をされている方々が結婚、なんて話になった際にやたらと出てきます。

ちょっと引っかかったのですね。

「一般の人」って誰だって。いや、竹内さんの結婚相手を特定したいわけではなくて、その「一般の人」って人が存在するんですかね、なんて他愛のない話かもしれませんが、結構、大切な気もする話です。

一般の対義語は「特殊」や「特別」。そうなると、一般の人ではない人は「特殊な人」や「特別な人」になるのでしょうか。なんだかおかしい。そのうえ、納得感が少ない。

今回の件で言えば、"竹内さんにとって"特別な人、特殊な人だと言う文脈であれば、なんの問題も感じないし、むしろそう表現した方が個人的には好意的な受け止め方をしてしまえる。

なぜかと言えば、特別、特殊といった意味に個別性が含意(がんい)するからで、端的に言えば、そう表現した方が適切な気がしますよ、ってところ。

ただ、一般の人ってのは一体誰なんだろうな、とする気持ちはまったく消えない。別にいいじゃん、汎用的な文言であり、表現なんだし、それで問題があるわけではないんだからさ〜、なんて思うかもしれないけど。

「消費者」なんて人はいない。

糸井重里さんの言葉なのですが、人には誰しも名前があって、生活があります。呼吸もすれば食事もしますし、笑いもすれば泣きもします。程度の差こそあれ、人にはそれぞれ感情の起伏があり、その感情を満たすために何かしらの行為を行います。正確に言えば「欲」を満たす、なのかもしれません。

そんな文脈でいうと、「一般の人」って人はこの世の中にいるのか、なんて思っちゃいます。もし、相手方のことを卑下しているのだとしたら、僕はとても失礼な言い方なのではないか、とも感じてしまいます。

不特定多数を示す「普通」を表現する意味で使っているのであれば、少しぐらいは納得できる気もしましたが、こうやってテキストを書いていて、やっぱりイマイチ乗り気にはなれません。

ここでいう一般の人って言い方は、個人が特定されないような配慮として使われているのだと理解しているのですが、それであれば、「会社員として働いています」でいいはずだし、別の言い方だってあるように思います。

むしろ、「私にとって特別な方で、会社員の方です。」なんて言い方をすれば、「惚気(ノロけ)てんじゃねー!」なんてツッコミが来るかもしれないから、平易な言い方で濁しているような気もしなくはない。

なんでこんな風にこだわっているのかと言えば、相手は僕だからだ。

いや、違う。ごめんなさい。こういうのを虚偽報告というのだ。

消費者の方!と呼ばれて返事をする人がいないように、一般の方!と呼ばれて返事をする人もいないはず。

ある洋服を売っているお店の人たちが、店先に出てきてそんな風に声をかけていたとして・

もしかしたら「あれ?分類としては自分もそこに含まれるか。」なんて気づく人もいるもしれませんが、たいていの人は別に関係ないだろう、と過ぎていってしまうでしょう。

別に今回の竹内さんが、「一般」と使うことによって自分が取り組んでいる仕事は高尚な職業なんだ、と表現する意図がないのは分かっているのですが、言葉ってのは怖いものでもありますから、意図はなかったとしても分断を生んでしまう危険性は孕んでいると考えます。

僕のような「一般男性」が、いくら声を大きくしたところで、ジャニーズ事務所に所属している煌びやかな人たちや、EXILEファミリーのいい匂いのするゴツゴツした人たちのように、異性からキャーキャー言われる存在にはなり得ないわけです。(決してなりたいといっているのではありません、決して。)

そんな人たちが上で、僕が下なのかといえば、当人たちの認識はまったく違うでしょう。彼らは何かしらのプロジェクトで僕と一緒になったとして、別に上から目線で接してくるような態度は取らないでしょうし、そんな認識すらないでしょう。

だから、というわけではありませんが、「一般人」なんて表現が少しでも少なくなればいいなぁ、と思った次第なのです。

一般男性の遠藤でした。


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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