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一定以上の学生に授業は無駄であるって主張を目にした

ようこそ、お越しくださいました。

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

これに向けて反論するつもりもないし、とっととオンライン登校を認めるようにすることをするだけでも小学生たちにとっての生産性が改善されるのと同時に教員の負担が軽減できるだろうと本気で思っているぐらいなのですが、この辺について一緒に考えてみませんか。

優秀な学生は”邪魔しないこと"が第一義

世の中には偏差値ってのがありますわね。

学校教育等での成績を相対的に評価し、平均を50、標準偏差を10に変換した際に示す値のことで、55で上位30.85%、60で上位15.87%、65で上位6.68%、70になると上位2.28%と高くなればなるほどに学習成績が上位にいることを示すことになる、あれです。

いわゆるFランと呼称される大学は偏差値が低い大学って意味ではなく、Border Freeの意。学部または学科の入試倍率が1.2倍以下、つまりは入学願書を提出すれば合格できると思われる大学のことを指していますので、偏差値うんぬんは関係ない話であることは注釈しておきますね。

…で、いわゆる小学校や中学校などの義務教育機関でも成績の上位層と中間層、ぼくみたいな下位層ってのは存在するわけですが、上位層や中間上位層は放っておいても教科書を読むだけで理解できるだけの読解力を持っています。

なぜなら、それをするだけの能力があるから成績が上位なんです。教科書が読めなかったり、意味を取り違えてしまうような児童生徒は勉強の成績がいいわけないじゃないですか。

優秀な学生は放っておいてもよくて、仮に手をかける場面を想定するならば質問をしたいと思ったり、どうも納得のできない問題の解き方等があった場合に限って手を貸すべきであって、それ以外は基本的に放置でいいと思うのです。

つまりは邪魔をしないこと。下手に平等を大事にしすぎるあまり、授業の進捗を「出来ない側」に合わせ、それに付き合わせることの方が優秀な児童生徒たちにとっては弊害なのです。

オンラインで登校(出席)できるようにしたら不登校は減る

優秀な人たちの阻害をしないための要素としてオンライン学習やオンライン登校、それに出席を認めるなんてことが挙げられるでしょう。

勝手にバシバシと勉学を進められるだけの読解力と理解力、それに学習知能の高い児童生徒は学校で同一のクラスで平等を強いるよりも知的好奇心に基づいた自身の探求や本質的な学習に時間を費やしてもらったほうが将来にとって非常に有益な時間とすることが可能になります。

また、オンラインでの出席や登校を認めることによって、「その地域に住んでいるから」や「たまたま親の都合でそこにいるから」といった理由で強制的に集められるクラスに馴染めずに不登校化してしまう児童生徒たちの学校教育的な頓挫を避けることが可能になります。

副次的に学校への出席を認める事ができれば不登校の母数が減少することも期待できます。

(もちろん、本質的な問題解決が必要な場合はその解決を優先させるべきだって点に異論はありません。あくまでも仮定・想定の話であることはご理解ください。)

同時に、優秀な学生を学校で対応しなくて良くなる点に合わせ、学習成績が劣位にある児童生徒に向けてのアプローチやサポートを手厚くすることが可能になります。

40人学級で担任が一人で学習をサポートするなど、よく考えなくても人数が足りないのは目に見えているわけですが、優秀な学習成績の優位層を教室の中に縛り付ける必要がなくなることによって学習が苦手、もしくは発達が追いついていない児童生徒へのサポートが可能になるでしょう。

教員側にとっても学級運営に関する工数負担が軽減できるだけでなく、児童生徒がわからしてもわからないところをわからない状態で「勝手に進学させられること」がなくなりますから、三方よしではないかと思う次第です。

一律で平等な対応自体が不平等

平等に接することと公平に接することは異なります。クラス全員で一致団結しながら行事ごとに向かうなどを小学生時分のすばらしい思い出として残そうとする大人たちの思惑はわかりますが、それによって足を引っ張られる存在がいないかどうかを冷静に見たほうがいいとは思うって話です。

たとえば、運動会で徒競走を行ったりしますが、あれが必要なのか。そういったことから考えてみると、クラス全員で同じことをしたり学年全員で進捗を合わせたりといった平等な対応をすること自体が不平等になってしまいます。

この切り分けは現場レベルで判断することは困難かもしれませんし、学校単位でも難しいでしょうから、制度や政策の問題になってくるわけですが、これが変わることなんて5年10年で訪れるとは思えません。

明治時代から変わってきてないってことは、その制度や政策を受けたことによって自らが立派になることをつくりあげてきてくれたと自負している人たちが教育政策や教育行政を担っているからってことに他なりません。

最近では民間人校長といった人物が登用されるケースも増えてきているようですが、外部人材によって授業や行事が企画運営されるほどに開かれた場所にならない限りは期待をするだけ野暮なのかもしれないなぁ...とか思っていたりします。

結局、一律で平等な対応を取ろうと思えば思うほどに中間地点にいる人たちがだけが得をして、成績上の上位層も下位層も損をするって構図になってしまっているのが現状でしょう。

果たして、これって誰が臨んでいる状態なのかを冷静に考えてみたいのですが、これを考えてる人ってどこにいるのか教えてもらっていいですか。

▷ “勝手に進める児童生徒”と”つまずいてる児童生徒”の切り分け

日本って読み書きの水準は先進国の中でも高い水準にあるどころか、2016年に公表されたPIACC(国際成人力調査)で一位を獲得するほどに教育が行き渡っていることを証明しています。

ところが冷静に調査結果の詳細をみてみると、以下の点がわかってきたりします。

  • 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。

  • 日本人の3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかない。

  • パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。

  • 65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

この調査は2022年から2023年にかけて再度行われるそうですが、ここでの結果をどう受け取るのかによって教育ってなんだろうね、みたいな話になっていくような気がしています。

現状の学校教育における大きな課題は児童生徒の発達などを鑑みず、勝手に進学させることと、学年クラスを平等に接しようとするあまり、中途半端な学習進捗となってしまうことによって学習成績優位層の足を引っ張る形で運営をしてしまっていることでしょう。

そもそも勝手に学習が可能な児童生徒たちと、発達的に学年に追いついてない児童生徒たちとを一緒の学習環境に閉じ込めること自体が正気の沙汰ではないわけで、それを改善するために講じているのがGIGAスクール構想における学習の個別最適化なわけです。

成績が中間層以下の児童生徒たちは発達的な問題で読解力や理解力が追いついていないのか、当人の実力で追いついていないのかを把握もせず、よくも今まで学校教育なんてものが成立してきたな、と逆に感心する次第です。

少なくとも学習面における上位層と下位層の切り分けを行うことは、児童生徒たちにとっての学習環境を整備するといった意味でも不可欠だと思うのと同時に、いつまでも同時進行で足並みをそろえさせようとすることがどちらの足を引っ張ってしまうってことを認識したいところです。

個別最適な教育を目指すのであれば、成績上位層の邪魔をしない構図にすることと、オンラインでの出席を認めること、さらには人的な資本を成績下位層に向けて投下し続けること。

この三点以外に必要なことってなんでしょうか。細かい点はいくらでも挙がってきそうなものですが、大枠でこの三点が整備されれば申し分なさそうな気もしていたりする不登校児童の保護養育者でした。

ではでは。

えんどう

おまけ

紹介したいnote

ぼくが小学生の頃は30年以上も前の話だったりするのだけど、30年も経てばiPadみたいな機器が誕生し、それを保持している児童生徒がいて然るべきだと思います。同時に、いまだに連絡帳への手書きやわら半紙みたいな紙に印字して配布するなどは正気の沙汰とは思えません。なくしたらいいとはいいませんが、選択できる状態にはしてほしいものです。

GIGAスクールの運営状況について公開情報から調べてくれている人がいました。各自治体でどんな状態になっているのかを各々が確認してみるといいかもしれません。仮に遅れているのだとしたら、その自治体からはとっとと逃げてしまうのも一つの手だと思います。

ドンドンと外に開かれる状態にすることと、ICTが連動すること自体は肯定的に捉えています。現実問題、インターネットに触れない状態やWeb2.0的な物に触れずにそれ以降を生きることって現実的ではないですから。もっと開かれろ、学校教育。


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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