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私の趣味、考えることを引き起こすもの、「不法侵入」

私は「他人のオススメを試すこと」が好きだ。好きというよりは、ライフワークとも言える。でもなぜそれが好きなのか説明出来なかったし、自分以外の人間が、どれだけこういうことをしているのかも聞いたことはなかったので、自分でも上手く説明出来ずにいた。

彼氏が出来れば、彼氏の好きなものを好きになる。親友が出来れば、親友の好きなものを好きになる。好きな本とアニメ、音楽、服は必ず尋ねてチェックする。自分では絶対に選ばないジャンルを手に取る。一緒に映画を見ようというときも、いつも相手の観たいものを優先する。なぜ彼・彼女がその作品を好きなのか、その感性を探りたくなる。自分もその感性を取得したい。感想を共有することで絆を深めたいという目論見もある。

昔からそんなことを繰り返してきたので、私の外見や趣向がコロコロと変わるのを知った知り合いに「dodieって、ポリシー無いんだね!」とdisられたことがある。この言葉のせいで一時期は「私の生き方には軸がない」と思ってしまった。でも今は「人生を通してこの調子なんだから、逆に軸あるでしょ」と思う。

社会人になった今も、周りの上司や同僚にNetflixのオススメや好きな映画、本を尋ねては見たり読んだりする。他人の感性は自分にマッチしないことのも多々あるので、正直言って苦痛に感じることもある。でも不思議なことに、性懲りもなく同じことを繰り返す。

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最近読んでいた本にフランスの哲学者「ジル・ドゥルーズ」という人の言葉が載っていた。

人間は何かを考えるとき、「考えよう!」と自ら思い立って考えるものではない。むしろ何らかの「ショック」を受け取ることで考え始める。考えることを引き起こすものは、快適なものではない。そのショックことをドゥルーズは「不法侵入」と読んだ。(「暇と退屈の倫理学」國分功一郎著)

…これ、私のことだ。

他人のオススメに先立って、勿論私自身の好きなものはたくさんある。しかし、他人のオススメを試さない限りは、音楽でも服でも「自分の好きなもの」という枠から抜け出すことが出来ない。だから私は「そこ」から抜けだすキッカケが欲しかったのだ。わざわざ自分からドゥルーズの言う「不法侵入」を招き入れていた。私はショックが欲しかった。ショックを受けることで自分を別の世界や価値観に放り込み、そこで泳いでいたかったのだ。


だから、私の趣味は「ショックを受けること」と言い換えられるかもしれない。

今私の手元には、周りの人達から勧められた「ショック」が何個かある。積ん読ならぬ、「積んショック」とでも言おうか。アニメは2作品合計6シリーズ程観ないといけないし、書籍は2冊溜まっている。

この「積んショック」を無事に全て消費しきった後は、少し休養期間を必要とするだろう。その作品を通じて自分が何を考えたかノートに書き留める必要がある。これをしないと脳みそが消化不良を起こす。昔、短期間に「ショック」を与えすぎて心身が疲労したことがあるので気をつけている。

自分の好きなことがやっと解明できた気がして嬉しかったので、noteに書いておきました。

今回も読んでくれて、アリガタビーム!!(ノ・_・)‥‥…━━━━━☆

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