使用されれば大量破壊兵器・大量殺戮兵器と化す原爆や水爆が開発された経緯を遡ると、アルバート・アインシュタインが1905年に発表した論文「物体の慣性はそのエネルギー含有量に依存するか」に辿り着きます。
また、1951年にアメリカで実現された原子力発電(核分裂発電)も、世界中で研究・開発が続けられている核融合発電も、質量とエネルギーの等価性を利用するものです。
さて、一つ前の記事『科学者や公職者が自ら演じた(オッペンハイマーも出演した)再現映像『原子の力!』(1946年)』で紹介したニュース映画の中でアインシュタインが自ら演じた再現映像にも描かれているように、第二次世界大戦が始まる直前に、アインシュタインはフランクリン・ルーズベルト大統領宛に原子爆弾の開発を請願する手紙を認め(てしまい)ました。
この手紙が一つのきっかけとなって、マンハッタン計画が始動し、終戦直前の広島と長崎への原子爆弾投下に繋がりますが、この手紙は元来平和主義者であるアインシュタインにとって生涯唯一の汚点となりました。
『オッペンハイマー』をご覧になって核兵器(および核の平和利用)全般への興味を新たにされた皆さんに、先々月から Netflix で公開されている『アインシュタインと爆弾』をお薦めします。
当時の写真や映像が多用され、長編ドキュメンタリーのような趣がありますが、脚本と演出の都合上、日時が進んだり戻ったりするので、ストーリーの展開に多少違和感があるかもしれません。
尚、お時間があれば、昨年放送された映像の世紀・バタフライエフェクトも(番組終盤の金融市場に関する叙述は端折って)ご参照ください。
名称 広島市立高等女学校原爆慰霊碑
建立年月日 1948年8月6日
所在地 広島市中区中島町1番(元安川河岸、平和大橋西詰)
建立者 広島市女原爆遺族会
建立経緯・来歴等
この地付近で建物疎開作業中被爆し、全滅した広島市立第一高等女学校(現在の舟入高等学校)職員生徒の霊を弔うため、遺族会が1948年、母校校庭に建立し、1957年、現在地に移設した。E=mc²は原子力を意味する。尚、この碑と同様に広島市立第一高等女学校職員生徒の犠牲者を慰霊する碑として、「広島市立高等女学校職員生徒原爆追悼碑」(東区)がある。