マンハッタン計画を現場で指揮したトーマス・ファーレル准将の手記(1946年)『さらに原子爆弾について』
映画『オッペンハイマー』の中で被爆地と被爆者に尺が割かれていないことについて、予想通り、国内では不平や非難がくすぶっているようですが
米国資本で制作され公開される映画が広島と長崎に心を寄せることは原爆の投下から79回目の夏をむかえる2024年においても不可能に近いと考えられます。(太平洋のこちら側では、日中戦争や韓国統治について、大陸や半島寄りの映画やドラマをどうにか苦労して制作したとしても、作品を公開する前から自虐史観甚だしいと袋叩きされるに違いありません。)
さて、2020年8月6日に放送されたNHKスペシャル『証言と映像でつづる原爆投下・全記録』の中で、終戦時・敗戦時に日本の中枢(皇居や霞ヶ関)で活躍していた官僚幹部でさえ、番組で紹介された肉声インタビューで広島と長崎の死傷者に言及することはなかったと報じられましたが
迫水 久常(さこみず ひさつね)内閣書記官長(終戦時)(1902年 - 1977年)
加瀬 俊一(かせ としかず)外務大臣秘書官、他(大戦中)(1903年 - 2004年)
木戸 幸一(きど こういち)内大臣(大戦中)(1889年 - 1977年)
このNHKスペシャル『証言と映像でつづる原爆投下・全記録』の中で初めて紹介された(レズリー・グローヴス少々の副官としてマンハッタン計画を現場で指揮した)トーマス・ファーレル准将が遺した手記(1946年1月付)に興味を惹かれました。
陸軍軍人であったトーマス・ファーレル少将(最終階級)や家族がこの手記を生前に公にした可能性はゼロですが、(パールハーバー(2001年)と同様にドーリットル(ドリトル)作戦を描いた)『東京上空30秒』(1944年)の原作、『ベーブルース物語』(1948年)の原作・脚本、(マンハッタン計画を描いた)『始りか終り』(1947年)の原案、他、で知られるロバート・コンシダイン(ジャーナリスト、作家)と妻がシラキュース大学に寄贈した資料の中にこの手記が含まれているそうです。
MANUSCRIPTS BY OTHERS
Box 45 - Farrell, Thomas F., "More About the Atomic Bomb" 1946
残念ながら、手記の内容は既に別の形で発表されていると研究者が判断しているためか、インターネット上には部分的な引用(英文・和訳)さえ見当たらないので、NHKスペシャル『証言と映像でつづる原爆投下・全記録』の中で引用された幾つかの断片の中から冒頭の数行と結びの数行を末尾に引用します。
原子爆弾が広島と長崎に投下された直後に科学者と医師の一行を率いて地獄の業火と超音速の爆風と致死量の放射線の影響を調査した後に、放射線病で苦しんでいる生存者は一人もいないと(海外)取材陣に発表したファーレル准将(レンセラー工科大学卒業・陸軍工兵隊勤務)ですが、心の底には違う考えや思いが宿っていたのかもしれません。
1946年1月
January 1946
さらに原子爆弾について
More About The Atomic Bomb
原子爆弾は単なる爆弾ではない。それは激変、大災害、大混乱、大氾濫、大崩壊、大惨事である。
The atomic bomb is not a bomb. It is a cataclysm, a catastrophe, an upheaval, a deluge, a debacle, a disaster. It is all of those words and more too, much more. But then words were not designed for describing this thing. A bomb blows up a building, a city block or sets aflame a few blocks of buildings but this weapon saturates and instantly destroys a whole city, leaving it flat and dead. It is sudden, crippling, devastating and overwhelming.
. . . abridged . . .(中略)
Hiroshima and Nagasaki gave awful evidence why this tremendously powerful weapon must never be used again, either by us or against us. We need wisdom, patience and understanding from the nations and peoples of the earth to work out a realistic and enforceable program of world cooperation.
If the bomb cannot be controlled, if nations cannot learn to live together, the future holds this promise:
The great cities of the world, and their peoples, face utter destruction and death so sudden and terrible as to be incomprehensible.
広島と長崎は、このとてつもなく強力な兵器が、我々によってあるいは我々に対して、二度と使用されてはならない理由を示すおそろしい証左である。
原子爆弾をコントロールできなければ、そして国々が共に生きることを学ばなければ、将来、世界の大都市とそこに住む人々は理解不能なほど突然で恐ろしい徹底的な破壊と死に直面するであろう。