【四国まちあるき/vol.1】命運を賭けた列車…!?特急南風号の力走に迫る!
みなさんこんにちは!土木学会学生小委員会です!
今回は、香川県知事のインタビューに併せておこなった「まちあるきレポート」の第1弾をお送りします!
↓前回はこちら!
今回は、四国新幹線の整備が構想されている四国山地を南北に縦断する土讃線に乗車した様子をお伝えします!
急峻な四国山地の隘路を縫うように走る振り子式気動車の力走は必見です。
弾丸高知ツアー…?
土田くん(香川高専)のコーディネートで丸亀城と瀬戸大橋記念館の見学を終えた私たちは、宇多津駅に向かいました。池田知事のインタビューを控えた私たちは、トピックの一つにあった四国新幹線構想への理解を深める必要がありました。
四国新幹線構想では、徳島市付近から高松市を経由し松山までを結ぶルート(高徳線、予讃線と重複)と岡山駅から高知市を結ぶルート(土讃線と重複)の2ルートを複合的に整備するケースが本命とされています。
今回は高松~高知間の特急列車に乗車して、急峻な四国山地を超えるルートの現況を把握することを目的としています。
かくして、私たちは弾丸高知往復ツアーの実施することと相成りました…!
コーディネーター不在…???
宇多津駅に着いた私たちにもたらされた事実。それはコーディネーターを買って出てくれていた土田くんの帰宅の報。
取り残された土地勘の無い委員3人…前途多難な中、南風号ではるばる高知を目指しました。
社運を賭けて取り組んだ振り子車両の開発
土讃線は、r=200~300mの急曲線や20~30‰以上の急勾配区間が連続するなどの隘路ぶりを発揮しており、1987年の時点で岡山~高知間の所要時間は3時間にも及んでいました。
JR四国発足時点で、高速道路の延伸が進めば所要時間の面で競争にならないことが大きな課題と認識されており、所要時間を2時間に短縮することを目指して社運をかけて開発されたのが振り子式気動車です。
振り子式気動車は、急曲線で車体を傾斜することで乗客にかかる外向きの加速度を減らすことで曲線の通過速度を引き上げることのできる車両です。
<曲線通過速度向上の例>
・r=200m 50km/h→70km/h
・r=300m 65km/h→85km/h
・r=400m 75km/h→100km/h
曲線通過速度の向上は、土讃線のような曲線の多い路線での平均速度向上に効果を発揮します。
さらに、わずかな直線区間においても軌道を強化し、最高速度を85km/hから120km/hに向上させることで、岡山~高知間最速2時間18分まで短縮させることに成功しました。土讃線では、振り子式気動車の性能を限界まで活用した迫力のある走りを体感することが出来ます。
出発進行!四国山地へ挑む!
宇多津駅を出発し、土田委員の見送りを受けた南風は丸亀平野を快走。香川の代名詞でもあるため池、その中でも日本最大の灌漑用ため池である満濃池のふもとを掠めて讃岐山脈に分け入りました。土讃線の特徴「線形の悪さ」の本領が早速されました。
傾く車体を駆使して、民家の軒先や木々の間を縫うような走りは非常に迫力があって、乗っていて非常に面白いと感じました。
丸亀平野を抜けた列車は猪ノ鼻トンネルに突入しました。このトンネルは昭和2年に開通し、建設当時四国最長のトンネル(L=3845m)でしたトンネル内の線形は極めてよく、列車は120km/hまで加速して香川県に突入しました。
トンネルを抜けてすぐの場所にあるのが、スイッチバックの秘境駅として有名な坪尻駅です(あまりに高速のため写真撮影には失敗)。勾配緩和の為の特殊な構造を備えた駅が今でも残されている点に、往時の隘路っぷりを感じることが出来ました。(↓参考)
香川県に入った列車は、吉野川沿いにある阿波池田駅に向けて高度を下げつつ、徳島駅からの徳島線と合流するために渓谷の狭い空間で進路を180度変える急曲線を振り子機構をフルに活用して通過しました。非常にダイナミックな景色を堪能することが出来ました。
阿波池田駅を発車した列車は風光明媚な吉野川をさかのぼる形で南に進みました。吉野川の上流域には名勝であり、ラフティングなどのアクティビティスポットとしても有名な急流、大歩危峡・小歩危峡があり、土讃線は急峻な山腹にへばりつく形で敷設されています。
車窓からは雄大な光景が望める一方、自然地形に沿って数多くの曲線やロックシェッド(落石対策工)が見受けられました。
そのため、阿波池田以南の区間は振り子式車両を用いても快調とは言えない走りを見せていました。また、曲線の多さは乗り心地にも大きな影響を与えており、雄大な景色をカメラに収めようとデッキ付近をウロチョロしていた私たちは見事に乗り物酔いに襲われました。繁忙期には立席乗車で移動する乗客も多いと事前に聞いており、それがとても過酷な行程であることを身をもって体感した次第です。
土讃線と並行する国道についても、2車線の整備がなされていない地点や、明らかに老朽化が進んでいると見受けられる道路橋が散見されるなど、交通インフラの整備という観点では、鉄道・道路問わず過酷なエリアだということが伺われ、高知自動車道の整備が進んだ理由の一端を垣間見たと感じます。
高知県に入り、繁藤駅を過ぎた列車は吉野川水系を離れて高知平野に向かうために最後の峠越えを開始しました。
この区間は25‰の勾配とr=300mの曲線が10キロにわたって絶え間なく続いており、振り子式気動車の開発時にはこの区間を制限速度ピッタリで走ることのできるスペックが基準になる険しい区間で、地図を見ても常軌を逸した曲線の連続であることが伺えます。
はるばる来たぜ!高知!
宇多津から2時間、車内でウロチョロしてしっかりダウンした3人を載せた列車は19時前に高知に到着しました。せっかく来たのだから、市街地を見て回ろうということで、はりまや橋へ繰り出しました。
アーケードでは地元の方がよさこいの練習をしていました。詳しく知らなかったのですが、思ったよりタテノリでポップな感じの音楽で驚きました。地魚や地酒を出す居酒屋が並ぶなど、穏やかな地方都市としての風景がそこにありました。
私たちも軽く腹ごしらえをして、ホテルを取ってある高松へ帰還することとしました。私たちが乗ったのは高知駅20時34分発高松行きのしまんと8号、高知発の最終の特急列車です。すっかり日が暮れた四国山地を超えて高松に着いたころには23時近くになっていました。最終が20時台という点はは夕食を取って帰宅するにはやや物足りなく、高松到着が23時近いという点は帰宅するにはやや遅いという点で、ビジネスなどで日帰りで高知を訪れることに対する心理的障壁は非常に高いと感じました。シンプルに疲れました。
まとめ
今回高松~高知間の鉄道を利用することで、土讃線をはじめとするJR四国の在来線、さらには四国山地を縫うように走る国道の「リアル」を少しだけ垣間見ることが出来たことは、得がたい収穫でした。
翌日のインタビューで四国新幹線構想について質問した際に「懇親会に出てから帰れる」という言葉が、リアリティをもって感じることが出来ました。東京から1000キロ近い移動をしてきた私たちの疲労感は、高松から高知へ仕事で出向いた人の疲労を慮るうえである意味では非常に有意義な経験でした。2時間という額面上の所要時間以上の心理的な障壁があるということを身をもって体感することができ、四国新幹線を渇望する理由や新幹線のある四国の新たなライフスタイルを少し高い解像度で想像することが出来ました。
今後も、社会基盤施設についてそれらを利用することで分かるリアルな感触といった視点を蔑ろにすることなく携われたらと感じました。
<取材チーム>
学生小委員会
東洋大 宮﨑康平
東洋大 川端浩平
早稲田大 樋口蒼太朗
2023年7月1日