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2011年というか、21歳から今までの話というか。

近日中まとまりのない自己紹介をする前に、個人的な小話をします。

21歳の何も考えていないときに発言したことが今の仕事につながていて、言霊ってすごいなと思ったことを主に話していきます。
まず、ページの最後に以前私が取材を受けた記事を載せました。2012年に「NO!!エヌオー」(福岡の雑誌)にて掲載された東日本震災の被害を受けた人たちへのインタビューのなかのひとつです。当時(21歳)のダサかっこいい自分になんともいえない気持ちになります。後半をお読みいただければわかる通り、ペーペーの私ですが意外と有限実行しているようなんですよね。我ながら驚きです。

さてさて。今秋よりシェアオフィスのコミュニティマネージャーとなった私です。その際、この記事を読み返して衝撃を受けたのがきっかけとなりこのぼやきを書くにいたりました。ほんと、21年の私はなんていうか言葉にできないアレに包まれていました。読んだときは「マ!!!?」という感情以外ありませんでした。

これからぼやくことは、すっぽかしても構いません。後半にスクロールしていただき、まずは雑誌記事をご一読いただけると幸甚です。エヌオーさんには優しく寄り添っていただきながら取材してもらったことを鮮明に覚えていて、メディアアレルギーにならなかったのは、彼らの存在が大きく寄与しているのかなと今更ながらに思います。

雑誌の一部を載せちゃうってどうよ?

曲がりなりにも物書きを自称しています。そのため、自分の言葉で語るのがお作法なのは重々承知です。

しかしながら、過去の記憶は往々にして風化・美化してしまうわけでして。ええ。

当時の私は激しく揺れ動く感情を、うまく言葉にできないただの暴れ馬メンヘラ田舎娘でした。そんな小難しい小娘の心情を丁寧に偽りなく綺麗なストーリーとしてまとめていただけたことは、本当に運がよかったとしかいいようがありません。

わざわざこれを読み返す理由

今秋、何年かぶりにこの記事を読み返しました。素晴らしい編集をしていただいたものの、「ちょっとこの口語表現はやばいよ、稚拙だよ、頼むよ」なんてところが目につき恥ずかしくなりました。セルフツッコミ何度したことか。それもそうです。当時21の私は、中卒レベルの学力でしたから仕方ないことなのです。同時に、この記事によって当時のリアルな状況をまざまざと思い出すことができ、記憶の儚さを改めて感じました。(この関連トークで記憶は儚いとか、多分1000000回以上は言ってるな...)

変化していない部分にも気づいた瞬間

記事の見出しで、思わず吹き出してしまいました。

「物はなくてもいい。友達と集まる場所があれば」

なぜなら今も変わらず同じ気持ちなんですよね。私は、コミュ症でものぐさなため、気を使わずに友人たちを呼び勝手に出入りしてもらいたいんですよ。また、それを友人たちが喜んでくれていたのも幸せなのでありました。まあこの辺の話はまた、いつか。

暴れ馬の田舎娘、意外にも有言実行しちゃってた

記事内にあるものを2点ほどピックアップします。

1.「ほしいのは、集まれる場所」(3段目)
2.「今の私には、ここでコレができます!というのがない。だったら一度外へ出て、地元に何か還元できるものを身につけたいとも考えますね」(5段目)

私のことを長くご存知の方は「え?」「お!」となるかもしれません。
なんなら、久しぶりに読んだ私が一番驚きました。ええ。

1.「集まれる場所」→記事のインタビュー後すぐに、知人からコミュニティスペース管理人のお誘いを受けました。彼女は記事を読んでいたわけでもないので、奇跡としかいいようがありません。この「集まれる場所」というのは2012年〜頃、釜石市の中心市街地にある青葉通りに所在していた「インターネットdeかだって」、伊東豊雄さんが設計した「みんなの家」というコミュニティ創出スペースです。大変なこともありましたが、思い返せば楽しいことのほうが圧倒的に上回っていました。※現在それらのスペースは都市計画などの都合によって、片方は取り壊され、片方は事務所となっています

2.「コレができる!ものがない。外に出てその後地元に還元したい」→なかったんですよ。なーんにも。ただの普通校だった私は、学もなく、何かをしたいと思っても即戦力になぞなれるわけもなく。学生の頃からの夢も途絶えていた時期で。復興のためになにかしたくても、何をすればいいかわからない状況でした。このときは。

集まれる場所×コレができる!までに

結論からいうと現在、当時口にしていた通りになっているんですよね。
食いぶちにできているかと言われればまだまだですが、この時と比べれば俄然変化しました。記事内からもわかる通り、当時の私が描いている未来像はただただボヤけていて。生きることで精一杯でした。

ところが今はというと。

順風満帆だとはいえませんが、人が集まる場所(コワーキングスペース)にいます。コミュニティマネージャーをさせてもらっています。イベントを催せば、何かにと足を運んでくれる方々がいます。ありがたすぎることです。

次に。コレができる!が何一つとなかった私、今ではPRパーソン(修行中)、フォトグラファー、ライター、発信力ノウハウのシェア、などができるようになりました。大変恐縮ですが、今の私は「コレができる!」にはなれたかなと自惚れながら思っています。外に出たからこそ身についたものです。外に出るまでの私は国語の成績、最悪。主語なし会話ばかり。社会に対して文句多め。トラブルメイクしがち。そんな爆弾娘でした。今とはまったく異なります。こんなことってあるんですね。

最後に

自己紹介がてら、ボソボソしようとキーボードを叩き始めましたが、ただただ偶然の出来事や小娘(現在アラサー)の成長ストーリーをポエスティックに語り出す展開となってしまいました。失礼しました。ここまでお付き合いくださった皆様ありがとうございました。

ということで。最近よく言っていることですが、口にすれば叶うんだぞっっ(実現する可能性が上がる)!!!ということで終わりにしますね。さすがにツイートすれば叶う。のフェーズからは移行を検討。それでも「口にする」ことは変わらずやっていきます。やっていくぞ。

引き続き、今ある環境や関わってくれている方々への感謝を忘れず謙虚に粛々と邁進していこうと思います。

忘れない。忘れないからね。3.11。共存していく。

※取材者の方からシェアの許可をいただいています

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土橋 詩歩/どばしほ
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