見出し画像

学びへの意欲が拾われない子どもたち

果樹博士くんに出会った。
彼は、庭になっている桑の実が気になるらしく、そこには勉強をしにきたのに、頭の中は桑の実でいっぱいになっていた。

お母さんは、勉強させてください! と懇願してくるらしいのだか、彼は座ってする学習に興味を持てない。が、地頭がよいらしい…というのは、引き継ぎノートをみた後に、彼と数分で過ごすだけで分かった。

*********

今日は、博士くんに会うために、その場に行ったのだが、彼のような子どもたちが世の中にたくさんいることを思ったら、帰りの車の中で切なくなってしまった。

そして、うちに帰ると、我が家にもいる「今の学校システムに合わせない女子」が、祖母の言動にイライラしているのをみたら、何とも苦しくなり、夕食の支度を整えてから、娘のリフレッシュも兼ねてドライブに行った。

ドライブに行って「いい気分」になると、ついつい余計な「語り」をしてしまう私だが、今回も、さっき出会ったお子さんのことや、昼間の打ち合わせで話した大手企業の障害者雇用の担当車との話しなどをしてしまった。

娘のためにあえて時間をさいてドライブに連れ出したことや、少年の話しなどは、彼女の心に響くものも多かったようで、今日は私からのメッセージをいつもよもたくさん受け取ってくれたようにみえる。
そして、娘の内的会話は過ごし深まったような気もする。

*********

昼間出会った博士くんは、果樹をベースに学習意欲を広げていくことができる。
彼の興味を深掘りしていくことで、主体的な学びに繋げていける。
ゆえに、彼のような「好き」がある子は、支援者にも親にもサポートしやすい子どもなのだ。

しかし、お家ではもちろん、学習サポートの施設ですら、「じっとしていられない子」で「地頭はいいのに学習が進まない子」というラベルがついていた。

私は、教員免許を持ってないし、学校教育で指導したキャリアはないのだけど、いろんなタイプのお子さんと関わらせてもらった経過からみると、彼はものすごい面白い子で、彼の興味関心を広げていけば、末は本物の博士になってくれそうな子どもにしかみえない。
また、この子、とにかく可愛い子、なのだ。

これは、親御さんに大事に育ててもらってるが故のかわいさなのだと思う。人に愛される資質も持っているように見える。
彼を通して親御さんやご家族から日頃の愛されていることも感じられた。だからこそ、もったいない…と思ってしまう。

残念ながら、今の社会では今日であったタイプの博士くんや、うちの娘のような、学校のシステムとのマッチングの悪い子どもたちは、「できない子」認定をされる。

しつこいが、今の学校システムと合わないだけで、頭は悪くないし、指導の仕方次第では、「末は博士」はありうる。うちの娘にしても、彼女の「好き」からしか学習に向かえない頭をお持ちのお子様なのだが、既存の学び方では測れない可能性を秘めているような気もする(親バカですけどね)。

*********

今日、彼が自由に過ごしてくれた行動の中で、雑巾を絞る…という作業が発生した。
彼は自分のやりたい!を成し遂げるために、雑巾を絞って掃除することを、率先してやっていた。
それらの作業をみることで、私は、彼の発達段階を感じることができた。とてもありがたい指標になった。
その後に少し行ったドリルからは、鉛筆の使い方や、話し方、思考の仕方なども、彼の発達の状態をよく示しているのことも分かった。

そんな彼との1時間を過ごしたのち、可能であれば、彼の主体的な学びを引き出せる関わりを継続的にしたい…と思った(できないんだけどね)。

また、今日伺った施設のように、退職されたベテランの先生たちがボランティアで行なっている学習サポートの場であっても、彼のようなお子さんは、困った子であり、可哀想な子、という扱いをされてしまうのも現実なのだと知った。

そこでは、彼は、優しく話を聞いてもらえて、半分の時間は好きに遊ばせてもらえるが、5年も通ってるのに、自ら「行きたい場」にはなり得ていない理由は、彼に対する先生方の本音の部分をちゃんと感じているからなの思う。

「知る」ことは「感じること」ことの半分も重要ではない

これは、レイチェル・カーソンの言葉だ。
「センス・オブ・ワンダー」の中に、「美を感じる心や、新しい未知なるものに出会う感動、共感、憐れみ、賞賛、そして愛、といった感情がいったん呼び覚まされれば、誰しもその感情の対象について、知識を得たいと願うものだ」と書いている。

自らの感情に結びついて見いだした知識は、しっかりと身につき、次の興味関心への自然と広がっていくものだ。
様々な分野でマニアと呼ばれてる人たちの知識の習得の過程ことが、理想的な知識の習得だと言える。

カーソンはまた、大人が自然への知識を持っていなくても、子ども一緒に感じることができるなら、大人も子どもも一緒になって自然の神秘を味わい考える機会をもらえている、と説いている。

私は、知ることよりも、感じることの方が重要であることを知っている大人が増えて欲しい。
また、こうした視点で、学びの提供がらできる場を欲しているし、作りたいと切に願っている。

少しずつイメージを積み重ねていくことで、必ず実現できる! 「私が意図を明確にすれば、私に共鳴してくれる強力なサポーターに出会える」という宇宙の法則を信じて、今日も夢を言葉にしてみた。

最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

どばちゃん
よろしければサポートお願いします! 日々の生活の糧にいたします。