今を生きるためにの、過去を確認
母のお供で生家の近くまで行ってきました。
末娘と母を待つ間、十数年ぶりに近所を散歩したり、小学校まで通学路を再現して歩いてきました。
子ども時代の楽しい思い出を思い返してください、等の問いかけが大嫌い。でも、これって、子育て系の学びをしてたり、NLPを勉強してたときに、意外と言われるんだよね…。その度に、全ての人間が子ども時代を楽しく過ごしたと思うなよ! と内心毒づいていたくらいに、ぱっとでてくるのは、辛かったこととかの方で…。
当時のわたしが、辛いことばっかしか見えてない視点どりしてただけなのかもしれないけどさ、小学生までほ私は、嫌なことで山盛りだったんだよね…とかとか、思いながらも
昨日は、今日はこの辺りを歩いた方がいいような気がする…
そして、私の嫌な思い出がいくつか詰まってる神社への参拝もしたほうがいい…と直感が強く訴えてくるので、娘っちとともに40年ぶりくらいにお詣りしてきましたの。
当時の様子をほとんど感じないくらいに、神社の中も、外の様子も様変わりしてましたが、ご神域独特の空気感は変わらなかったかな…。
そのあとは、心臓破りの坂、と呼んでた旧坂を通ってから、小学校にいって…としてたら、母から迎えに来て連絡が入ったので終了となりましたが、
このなんてことないお散歩が多分原因で、本日、私の心が不安定になってるようでございます。
正直、気分は良くない。
言葉にならないし、
顕在意識での認知ができないくらいの何かがモニョモニョしてる気がします。
だからって、何かの悪さをしてくる感じもなく、そもそも悪さなんてする気はないのだろうけど。
これは、大人になった私が、過去のわたしと何やら対話したいのかもしれない…とか思うのです。
ちょいと持て余し気味ですが、昨日、散歩に行けてよかった…とは、本心で思います。
過去は過去で、そんな時間があったなぁ…って実感できたから。
何が起こってたとしても、そういうは、今の自分のフィルターを通して、解釈されてることなんだろな、を実感したからかもしれません。
お詣りしたときに、涙がでてきて、これを書いてる今も何故かウルウルするのは、小さいころの自分の、封印いていた感情がなにかを訴えてるのかもしれない。
大人になったね。
ちゃんと育ったね。
しあわせになってるね。
そんなことを、言ってくれてるのかもしれない。
ってな、都合よく解釈できるのも、今の私です。
大人になった私は、小さいころの私をぎゅーーと抱きしめて、愛してあげることがるできるから。
そんなことのやり切りに、娘とお散歩する機会を自分で引き寄せたのかもしれません。
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