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映画『母性』の感想

もうどれくらいnoteを更新していないのか。ちょっと考えただけでも、前に書いたの、遠い昔だな。と思えるくらいだった。ちょっと存在を忘れるくらいだった。久しぶりに「文章を書く人」になったつもりで書いてみた、映画の感想を。



物語は[あなたの証言]で完成する。
私の証言を記していく。


母の愛が、私を壊した。

これは母・ルミ子のことでもあって、娘・清佳のことでもあると思う。


母は娘に優しく話しかける。自分の母がそうしてくれたように。
娘に話しかける母は、怒っているかのような声色をしている。
落としてしまったお弁当は、母の目には彩りのあるおかずに形の整ったおにぎり。娘が見たものは茶色いおかずに海苔の巻いてないおにぎり。
食卓に上がる料理も、母は両手で数えきれないほどレパートリーは増えたというが、娘は三食丼とハンバーグの登場率がやたらと高いと言う。

ルミ子の言葉や行動は全て、母ありきのものだった。
母が喜ぶから、母ならこう言ってくれる、母は褒めてくれる。
ルミ子が娘に言う言葉や行動も全て。娘の為ではなく母を思ってのもの。
そもそも妊娠した時も、子供のことを「お腹の中の生き物」「作品」と呼んでいた。絵を描くことや花を育てることに似ている。上質な作品を生み出す。母に喜んでもらうために。
「母がそうしてくれたように」ルミ子は娘を育てる。けれど娘はルミ子が思うような言葉を言ってくれないし行動をしてくれない。それどころか恐ろしい言葉を言い、自分を睨みつける。

娘は母の愛情を求める。何をすれば母に愛してもらえるのだろう。
母を思って祖母に歯向かえば母は悲しい顔をする。家事を手伝おうとすれば「触らないで」と手を払われる。「あなたの手は生温かくてベタベタして気持ち悪い」「私の努力をあなたが全部台無しにしている」とまで言われる。
母の顔色を窺い、笑顔で話しかけても、母への思いは届かない。母からの「どうして?」を受け入れられず、それでも母の愛を求めてしまう。


母の真実は「母の真実」であり、娘の真実は「娘の真実」なんだと思う。
母は「愛してる」と言って娘を抱きしめた。首を絞めていたのかもしれない。
娘は、母に首を絞められたと言う。強く抱きしめられたのかもしれない。
事実としてあるのは、その母の手を振り解いた娘が自ら死を選ぼうとしたが、母に触れられ、名前を呼んでもらい、病院に運ばれ目が覚めるまで、母は娘の名前を呼び手を握っていた。
これが私の証言。


母に愛されたくて、優しく触れてもらいたかった娘が、自ら死ぬことを決意したその先で、母に手を握ってもらい、忘れていた自分の名前を呼んでもらう。無情である。

お互いの思いがこんなふうに噛み合わなくてすれ違うなんて。と思ったけど、そもそもお互いの思いは矛先が違う。
ルミ子が一見娘のために言う言葉、取る行動はすべて母への思いが念頭にある。けれど清佳はそんなルミ子にまっすぐ愛を注いでもらいたい。清佳の矢印はルミ子に向いているけど、ルミ子の矢印は母に向いているのだ。





「女には2種類ある。母と娘。」
2種類かはわからないけど、母と娘、はあると思う。

ルミ子はずっと、誰かの娘として生きられて幸せだったんじゃないのだろうか。
愛を注いでくれた母はもういない。そんな母からの愛情によって「目上の人に奉仕したい、自分の満足よりも他人に喜んでもらえることを優先したい」という思いがあり、そうすることで幸せを感じている。義母は厳しいけれど、誠心誠意尽くしていれば分かってくれる(と信じている)。晩年の義母は自分の息子のことは分からなくなっても、ルミ子のことは「ルミ子ちゃん」と呼び「大切な娘」だと言う。「このお屋敷ではお風呂場と台所と居間以外の部屋には入ってはいけない。他所の家に勝手に入るのと一緒」と娘に言っていたルミ子が帰る部屋は、義母の実の娘が昔使っていた部屋。

教会で回想を始めたルミ子が、神父に向けて最後に言った言葉は「私が間違えていたのです」
今まで自分が娘にかけてきた「愛」がどんなものだったのかを理解して、それを認めたから出てきた言葉なんじゃないかと思う。
その後、妊娠した娘にかけてあげた「怖がらなくてもいいのよ」という言葉は、自分が妊娠した時、母からかけてもらった言葉と同じだ。それまでのルミ子なら、母にかけてもらった言葉をそのまま娘に言うことはしないのではないだろうか。
そしてそれに続く「私たちの命を未来に繋いでくれてありがとう」という言葉。「私たち」というのは、間違いなく母と自分のことだと思う。
根底には自分の母への思いはずっと同じようにあって、娘への愛情のかけ方が、娘の自殺未遂を機に変わっていったのではないかと思う。
母が繋いでくれた命なのだから。

妊娠したことを母に報告した清佳は言う。「私はどっちかな…」
母か、娘か。この言葉を言った時点できっと清佳は、母が「娘でいたかった」ことを理解しているのだろう。


「私の愛する娘の意識が一日でも早く戻りますように願いました。大切な母が命をかけて守ったその命が、輝きを取り戻し、美しく咲き誇りますようにと」ルミ子は神父に言った。
その後流れる主題歌の「花」が優しく物語を包み込んでくれて、きっと咲けるよ、という気持ちになった。




湊かなえさんの物語、そして役者さんたちの迫真のお芝居が、こんなふうに考える余白を感じさせる。




愛は目に見えない。だからこそ、難しいし、狂おしいし、尊い。



**********

5回観て想いをまとめてこの感想に辿り着きました。
私は戸田恵梨香さんのオタクだからなのか、ルミ子よりの感想になってしまいました。
清佳目線でもっと注意深く見たら、きっとまた感想は変わってくるかもしれません。
あと何回観たらいいんでしょう。

嫌でも思考を巡らせてしまいてくなるストーリー、そして役者さんの演技が本当に素晴らしいです。
20代〜40代くらいまでを違和感なく演じられる戸田恵梨香さん、守ってあげたくなるような目をしている永野芽郁ちゃん、そして何と言っても高畑淳子さん。本当に「義母」なのに、最後に全部持っていっちゃうずるさ。
子役の落井実結子ちゃん、次は幸せそうな役をやってほしい。


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