人の成功を素直に喜べない私
あっけなく?転職活動が終わりを迎えた昨日。
転職活動を検討し始めたのが3月、本格的な転職活動を始めたのは5月末のことだったので、およそ3か月ほどで終わったことになる。
振り返れば、あっという間の出来事だったと思うが、随所随所で嫌な自分・自分が見たくない自分も噴出していた。人間と言うのは、やはり経済的・精神的な余裕がなくなると、人格の脆さというか人の弱さが出るものなのだと痛感した。
その1つが、「人の成功を素直に喜べない」という弱さもとい未熟さだ。
そんな未熟さと向き合うきっかけになったのは、前職の同僚ひろきの仕事ぶりを妻が褒めていたことだった。
ひろきは、会社の広報を担当しており、その仕事の1つに会社が営む雑貨屋(通称ほしねが)のInstagram運用がある。
フォロワー0から始めたInstagramも、2年が経った今ではフォロワー700人、平均して40いいねがつくアカウントに成長した。
転職が決まり、幾分か精神的な余裕を取り戻した今の私からすれば、頼もしい仲間だなぁと感心する出来事だ。
けれど、恥を忍んで言うと、転職活動真っ只中の私は、妻がひろきの投稿したInstagramの投稿文章や声が良いと褒めていることを耳にして、嫉妬にまみれた。
俺のことはそんな風に褒めないよなぁと拗ねると同時、ひろきの才能に嫉妬していた。
これが私の未熟さなのだが、
今までだったら、そんな自分の心の動きをないものにしたり、
「ま、彼は彼で頑張っているもんね」と自分と切り離して才能を認めたことにしていた。
そして、それが大人な対応だと自分に言い聞かせていた。
しかし、つい先日、そんな自分の未熟さを隠していることに気付き、
とことんじっくりと”恥”という気持ちを味わってみた。(時間にすれば僅か15秒くらいだったと思うが、随分と勇気がいった)
味わい尽くすと、ふと、もうどうでもよくなった。
もちろん、そんな自分の心の動きがあるだなんて自覚すると、恥ずかしいというか、幼いなと感じる情けなさは今もある。
だけど、一方で、そのプロセス楽しんでいる自分もいる。
自分が嫌いだった心の動きを自分が認めて、開示している様子を客観視すると、もはや面白く感じられたのだ。
それを聞いた嫁の感想
「あんたってほんと、プライド高くてケチよね(苦笑)」
その通りでございます。
だけど、自分ってのは何も、好きな自分ばかりで構成されているわけじゃないんだなぁ。
嫌いな自分だと自覚するから、変えようっという意志が生まれるんだな。
自分の未熟さを開示している今の私のことを私は好きだなぁ。
そんなところからも自尊心って高まるのかも。そう感じた出来事でした。