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たまにはお金の話を

おすそわけや友人間の物の貸し借りといった、お金を使わない取引が減り、家事代行や有料コミュニティといった、お金を使う取引が増えたこと。
これを「市場経済化」といいます。

それによってお金の重要性が増すのは当然の帰結ですね。
もちろんお金は万能ではないけれど、お金を出せばなんとかなることが増えたわけです。
お金がないと何もできない世の中になったとも言えます。

では、私たちはますますお金を欲しがるようになったのでしょうか?
お金の重要性が増したのだから、そうなるのが必然でしょう。
しかし、必ずしもそうはなっていないのではないでしょうか。
それはなぜか。

人も社会も成熟して、それほど欲しいものがないから?
ミニマリスト。といってもその思想や行動は多様でしょうが、必要最小限のもの以外欲しくない、と考える人が増えているらしい。
これは禁欲主義とは根本的に異なるようです。
我慢しているとかではなく、心底要らないんでしょうね。

「お金が欲しい理由」が中国人と日本人とで異なるように感じていました。
中国人は、リッチな生活と社会的地位を得たいからお金が欲しい。
一方、今どきの日本人は、働きたくないからお金が欲しい。

まあこれは極端な比較ですが、傾向としてそんな違いがある気がしています。


『スワロウテイル』という映画がありました。

この映画、お金が主題なんですが、独特の世界に引き込まれていくうちに、主題がお金であることを忘れそうになります。
このテのお話は、お金が人を不幸にする、みたいなメッセージにもっていくんだろうな、と読めるじゃないですか。
ところが、最後の最後まで偽札作りのカセットテープの余韻を残して終わるんですよ。
結局お金かよ!
とツッコミたくなるわけです。(☜ たぶん観方を間違えている)

敢えてそういうラストにすることで、お金の魅力と恐ろしさを強調したかったのだとすれば、その狙いは成功していると思います。
人はそこまでお金に取り憑かれるものなのか、と人生で初めて考えさせられたのですから。


去年、出張中の機内でなにげなく『川っぺりムコリッタ』という映画を観ましてね。
同監督作の『かもめ食堂』と同じくらい退屈な映画だったのですが、その後私はフライトのたびにこの映画を観てしまい、都合 4回観ることになりました。
中毒性があるのでしょうか。
ムロツヨシがすごい、というだけでは説明しきれないリピートぶりです。

映画の主題は、食べる、つながり、死、仏教などありますが、やはりお金も外せない主題のひとつでしょう。
お金なんか持ってなくても生きていけるんだよ、と教えてくれる映画なので。

「僕、カネ持ってませーん」と言って堂々とご馳走になっとけばいいんだよね。

隣人の名前も顔も知らないタワーマンションより、プライバシーのカケラもない平屋のアパートに住みたくなる。

むかしの長屋。あるいは『めぞん一刻』の一刻館を思い出させてくれます。


「働きたくないからお金が欲しい」人は、必要最小限のお金でいいと考える人、と想定します。必要以上のお金が欲しい人は進んで働くはずですから。

かつては豪邸や高級車や宝飾品といった、わかりやすいステイタスシンボルがありましたが、そういうものを持ちたがるスノビズム(俗物根性)はもはやカッコ悪いものとなりました。
芸能やビジネスで成功した人がやりがちな消費行動があまりにもワンパターンで、結局みんな同じことするのね、とむなしくなってきます。

必要最小限のお金でいい派は、必要以上のお金を持っている人の消費行動が理解できないでしょうね。理解できなければ、羨ましいと感じません。
俗物が誇示的消費から得るのは優越感なので、世間が羨ましいと感じてくれなければ効用が激減します。

つまり、必要最小限派が増えるほど、必要以上持つ派の見せびらかしは意味がなくなってくるので、ますます必要最小限派へのシフトが進むのです。

必要最小限のお金でいい人は、必要最小限だけ働く、という選択をしても不思議ではないですよね。
すると、働く時間が減るはずなので、自由な時間が増えます。

自由な時間を手に入れた彼らは何をするだろうか。
noterさんをイメージしながら書いてみます。(イメージした noterさん)

詩を書く(アキラさん)
たき火(りなるさん)
文学に浸る(ハルカさん)
旅に出る(Norikoさん)
本を出す(ネーモはん)
瞑想する(みきともさん)
量子力学(Yuita博士)
性の解放(華子師匠)
庭を作る(山林さん)
歌う。エロ俳句。パリ川越往復(ムーン姐さん・・・今と変わらないな)
酒をのむ(世界の普通から、ってヲイ!

時代の変化は「技術 ➡ 経済 ➡ 個人 ➡ 社会」の順番で起こる説を使って、将来を予測してみました。

技術の変化は 1990年代に始まったもの。その後、同種の技術革新が間断なく起こってきた。
経済の変化は 1997年以降に始まったとするのが定説。
個人の変化は 2010年代に始まったが、2024年現在もまだ進行中。(これに時間がかかる)
社会の変化は将来起こることです。

社会の変化は if ではなく when の問題です。つまり必ず起こることであり、あとは早いか遅いかだけの問題だということ。
競争しない社会。格差のない社会。その早期実現の鍵を握るのは個人の変化のスピードです。
とくに中間層が「経済の最小化」にいつ目覚めるかでしょう。

市場経済化によって高まったお金の地位を、元の位置に戻してあげるだけなんですけどね。
交換に便利なただのツールに。

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