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“肩書き” から自由になれたら

日本の会社員が苦しむ原因のひとつは、”肩書き” にあるのではないか。
長年考えて至った私の仮説です。

肩書きなんて要らない。言うは易し。でも、解脱レベルでそう思えるまでには、様々な自問や葛藤や苦悩のプロセスを要します。

私自身、解脱の域には達していません。
それでも、日本とヨーロッパの会社員をたくさん見てきた経験をもとに、現時点での洞察を言語化しておこうと思いました。

会社員が肩書きを求める理由を 5つにまとめ、ヨーロッパの会社員が重視する順番(①~⑤)に並べたものです。
これを読み終えたとき、肩書きから自由になる旅立ちの準備ができていることを信じて。

① ベネフィット

給与とフリンジのことです。
さほど拝金的でないヨーロッパ人でも、これが最大の誘因だと思います。
それは、肩書き(役職)によるベネフィットの格差が、日本と比べてはるかに大きいからです。

Associate の給与を 1とすれば、Manager の給与は 2、Director の給与は 4、VP の給与は 8 という世界。
さらに、給与以上に大きいのがフリンジ・ベネフィットです。
役職に応じて、車、家、ストックオプション、そして退職後も様々な特典がついてきます。

日本人はヨーロッパ人と同じくらいマネーハングリーでない、と私は考えています。
日本の会社における給与格差はヨーロッパの半分以下なので、ベネフィットは、ヨーロッパの会社員にとっては最も重要な理由ですが、日本の会社員にとっては最もどうでもいい理由だと言えます。

①~⑤ はヨーロッパの会社員が重視する順ですが、日本の会社員が重視する順はちょうどその逆になっています。

② 職務権限

上に行くほど、自分の一存でやれることが増えます。
典型的なのが予算の執行権です。例えば、Director は 20万ドルまでの支出を決裁でき、VP は 100万ドルまでの支出を決裁できる。

もっと重要なのは、人事権でしょう。
ただ、これもまたヨーロッパと日本でかなり異なります。
個人が意思決定するヨーロッパでは、Director や VP が持つ人事権は絶対的ですが、合議を重んじる日本では、部長といえども人事を一存で決めることはなさそうです。

もうひとつ重要なのが情報へのアクセス権。
上へ行くほど、”知る権利” と “知る機会” が増大します。
情報は力です。それを持つ者と持たざる者に峻別することで権力構造が維持されている、と言っても過言ではありません。

ヒト、カネ、情報に関する権限は、ヨーロッパ人がベネフィットの次くらいに重視するものだと思います。
責任や権限があいまいな日本の会社では、それほど重視されていないような気がします。

③ 職務内容

これは、ヨーロッパ人との付き合いを通じて知った考えです。
キャリアの中で、モチベーションの源泉は変わっていくということ。
例えば、20代では資格取得や自己成長に勤しみ、30代は業績トップを目指してガツガツ働き、40代になったら部下の育成に楽しみを見出す。

基本的にヨーロッパ人は、働くことが好きじゃないし、企業収益に貢献することに興味がありません。
売上とか利益を上げることにモチベーションを感じるのは、せいぜい 30代まで。40 過ぎたらアホらしくてやってられないから、他のことに楽しみを見出そうとします。それは人の育成だったり、社用での旅行・飲食だったり、社内政治ゲームに興じることだったりと、人それぞれ。
だから、自分のやりたいことに合った肩書きが必要になるのです。

日本の会社員は、そこまで割り切っていない、と感じます。
40 過ぎても、50 過ぎても、会社の利益に本気で貢献しようとしているような。

④ 発言力

ここからは、ヨーロッパの会社員よりも、日本の会社員が重視している理由になります。
発言力、つまり話し合いの場で、どれだけ自分の意見が採用されるか。
ヨーロッパでは、それは肩書きとあまり関係がないんですね。
誰の発言かではなく、発言の内容によって評価しますから。
だから、発言力を高めるために肩書きが欲しい、という発想は希薄なのです。

日本の会社ではどうでしょう。
部長が言った意見と、平社員が言った意見が、公平に評価されますか?

もうおわかりですよね。
平社員時代にどんなに優れた意見を出しても無視され、役職者のくだらない意見が通る、そんな体験を繰り返した人は肩書きが欲しくなって当然です。

⑤ ステータス

最後に、最も微妙で厄介なやつです。
“ステータス” というのはほぼ日本語で、これと同じニュアンスをもつ英語もドイツ語もラテン語も見つかりません。
なので、ヨーロッパ人が共有していない概念です。

私は日本人なので、この言葉のニュアンスがわかります。
“社会的地位” と言い換えられることが多いですが、いまいちピンときません。
私の言葉ではこんなイメージです。
なんとなくエラそう。
世間から認められる。
出世した人。勝ち組。
なんか自慢できそう。

つまり、目に見えないんですね。
実体のない虚構から、どう思われるか。
そんな妄想世界における、自己満足のようなもの。
(それを目に見えるカタチにしたものを ”ステータスシンボル” と呼んだりしますが、どれもロクなものでないことは周知のとおりです)

そんなものが、日本の会社員が肩書きを欲しがる最大の理由だと思います。

会議室3

実際、自分の肩書きに満足してハッピーな人はいるんでしょう。
その一方で、”肩書き信仰” に苦しんでいる人がその何倍もいるはず。

肩書き信仰、すなわち肩書きを盲目的に崇拝する非合理的な精神は、日本人特有の DNA です。
名刺文化や、名前より先に社名・肩書きから名乗るスタイル、人を役職名で呼ぶ奇妙な習慣など、これらはすべて肩書き信仰で説明できます。

「くだらない」と頭ではわかっても、その DNA は骨の髄まで染みついていて、強力かつ執拗で、洗い流そうとしてもまとわりついてきます。

日本には、肩書きが好きな人が多いですよね。
あなたが肩書きを欲すれば欲するほど、肩書きを敬うことにつながり、その態度が肩書き好きの人を喜ばせます。
肩書きを欲せず、敬うのをやめれば、肩書き好きはいなくなるでしょう。

ヨーロッパの会社員が ①~③ を求めることは、信仰などではなく、合理的な考えです。
日本の会社員は ①~③ の動機が弱く、④と⑤の動機が強いのだとすれば、少し姿勢を変えるだけで、肩書き信仰を捨てられるかもしれません。

私は ① だと言う人や、私は ② だと言う人も、もちろんいるでしょう。
何を重視するかは、年齢やライフステージなどで変わるものです。
自分が肩書きにこだわる理由は ①~⑤ のどれなのか、ときどきチェックしてみてはいかがでしょうか。

オアシス


あなたの「なりたい自分」とは、課長や部長などという、55×91mm の紙片に印刷された肩書きで表現できるものですか?

肩書きがあなたに与えるのは、喜びですか?それとも苦しみですか?
両方だとしたら、どちらが大きいと思いますか?

肩書きから自由になれたら、会社員は普通の大人になる。
普通の大人は、自分を大きく見せたり小さく見せたりしない。
傲岸にも卑屈にもならない。
重圧も焦りもない。
競争も嫉妬もしない。
不安も不満もない。
恐れることもない。腹を立てることもない。失望することもない。

そんな世界へ、行ってみたいと思いませんか?

陽水2