なぜ自動車は安くならないのか
ゆうです。
あたしが通っている大学の教養学部(東京)では、履修登録してない講義も自由に受講できます。
これまで言語学、人類学、社会学を中心に受講してきたわけだけど、たまにはもう少し実学っぽい講義も受けてみようかな、と思いました。
というのも、世界さんの先月の記事を読んでひとつの疑問が芽生えたから。
家電やパソコンはどんどん安くなってきているのに、どうしてクルマの値段は安くならないの?
社会人学生と飲んでいて、ふとそんな疑問を口にしたら、〇〇〇先生の講義受けてみたら?って言われた。
この〇〇〇先生ってのは、経営学の教授らしい。
ググってみたら、京都大学で学士、関西学院大学で修士、大阪大学で博士を取得、現在は関西大学の教授っていう、どんだけ近畿圏しばりなのよ!ってツッコミたくなるようなオッサンなんだけど、隔週でうちの大学の講義を受けもってるんだって。
先日さっそくその先生の講義を受けてみた。
そしたら、頭がクラクラするほどのインパクトを受けた。
正直言うと、講義の内容は高度すぎて、ほとんどついていけなかった。
それなのに、この先生、メチャメチャ本質的なこと言ってない?みたいな「なにか」が伝わってくるのね。
講義が終わって、思わずあたしは先生をつかまえて、例の質問をぶつけてみた。
先生は落ち着いた口調で、「僕の講義は初めてですね?」と言った。
「あ、はい・・・。むずかしくて、あまり理解できませんでした」
先生は微かに笑って、
「自動車の価格が下がらないのはなぜか。いい質問です」
と言いながら、講義室の最前列の席に着くように目くばせした。
そして、1 on 1 の講義が始まった。
「ゆうさんは、なぜだと考えたのですか?」
あたしは、世界さんのコメントを思い返しながら答える。
「自動車は日本の国策産業だから、自動車業界と政府が結託して価格を維持している、とか?」
「だとしたら、ひどい話ですよね」
先生の反応から、それは正解じゃないみたい。
「じゃあやっぱりマーケティングですか。自動車会社がブランドイメージの向上に成功しているから?」
「ゆうさんは、ブランドだけでクルマを選びますか?」
「いえ、スペックと価格で選ぶと思います。あとデザインも大事ですね」
「そうですよね。ほとんどの人はそうでしょう」
「ブランドの力じゃないのかぁ」
「高級車はブランド力も重要ですが、それだけでは自動車が高いことを説明できません」
むう。わからん。
「ゆうさんは、”高級ブランド” といえばどんなブランドを連想しますか?」
「うーん・・・シャネルとか」
「シャネルのスーツはいくらしますか?」
「えっ・・・わかりません(汗)」
「まあ、30万円としましょうか。では、H&M で一番安いスーツを買ったらいくらですか?」
「それならわかります。3000円くらいです」
「100倍の差がありますね」
シャネルと H&M 比べるかぁ?
「1000万円のベンツがあるとして、それと性能的に大差ないスバルは、せいぜい 500万円といったところでしょう。その差はたったの 2倍です」
「ブランド力による価格差はあまり大きくないってことですね」
「はい。それに、クルマはそれ以上安く作れないのです。スーツと違って」
「でも、テレビやパソコンなんかはどんどん安くなってますよね」
「ここから先は技術論になります」
げっ・・・ちょっとニガテかも。
「パソコンの性能は、キーパーツの性能で決まります」
「えーと、CPU とかですか?」
「そうです。重要なパーツがそろえば、あとは組み立てるだけ。誰でも作れてしまうのです」
「自動車は、違うんですか?」
「まったく違います。自動車にもエンジン、サスペンション、シャーシなどの構成要素がありますが、個々の性能以上に重要なのは、要素間の相互作用なのです」
「相互作用・・・?」
「たとえば、トヨタのクルマのエンジンを取り外して、ホンダのエンジンを取り付けたら、そのクルマは走ると思いますか?」
「さあ。やったことないので・・・」
「僕もやったことないですが、いい走りは期待できないでしょうね」
「組み立てる技術が重要ってことですか?」
「ちょっと違います。部品を開発するときに、各部品間の相性を最適化するプロセス、いわば部品同士を擦り合わせる技術が重要だということです」
うう。わかるようなわからんような。
「それでどうして価格が安くならないのですか?」
「擦り合わせ技術は容易にマネできないからです。社内と社外でたくさんの部品開発チームが絡み合っていて、その技術はブラックボックスですから」
「目に見えない技術・・・?」
「はい。たとえば、中国企業が高性能の自動車部品を調達できたとしても、いい自動車は作れません。擦り合わせ技術の蓄積がないからです」
「めったに参入できる業界じゃないということ?」
「まあそうですね。なので、多くの部品サプライヤーがケーレツ化しているトヨタなどは圧倒的に強かったわけです」
「強かった・・・? 過去形ですか?」
少し間をおいて、先生は言った。
「擦り合わせ技術を必要としない自動車が主流になりつつあります」
「・・・・・・電気自動車?」
「はい」
「EV はその、擦り合わせ技術ってやつが要らないんですか?」
「エンジン車ほどにはね。パソコンみたいなものですから」
「じゃあ、EV になったら自動車は安くなっていくのでしょうか?」
「そうとはかぎりません。完成品メーカーのコストダウンが進むかわりに、キーパーツの重要度が上がります。パソコンの CPU のように」
「EV のキーパーツってことは・・・」
「もちろんバッテリーです」
「先生がトヨタの社長だったらどうしますか?」
「分社化しますね。EV の新会社を設立します」
「EV 専門の工場を新設する、という記事を最近読みました」
「あれではダメです。完全な別会社にしなければ」
「なぜですか?」
「トヨタの弱点は、大きすぎることです。大きくなりすぎた組織は、新しい事業や技術に挑戦できません。エンジン車の擦り合わせ技術で世界一になった会社が、それを捨てられるわけがない」
「別会社にするといいことがあるんですか?」
「稟議など面倒な手続きがなくなって意思決定のスピードが上がる。人材を外から採用することで、エンジン車の成功体験に取り憑かれた亡霊を一掃できる」
「過去の亡霊さんたちは用無しですか?」
「いえいえ。トヨタの “本体” は、地上最強のクルマ屋として、従来のクルマを実直に作り続ければいいのです。EV のことなど忘れて」
あたしは、世界さんと違って、クルマのない生活とかありえない派です。
今は東京に住んでてクルマを持ってないけど、フツーの町に住んでいたら、クルマは生活の一部で、体の一部で、いつも一緒にいる相棒のような存在になるでしょう。
たぶんこれはアメリカ映画の影響が大きいんだと思う。
クルマが 1人 1台あって、旅をするのはクルマ、デートするのもクルマ。
主人公はたいていカッコいいクルマに乗っていて、クルマで町にやって来るところから始まり、クルマで町を去って行くところで終わる。
だいたいそんな展開じゃないですか。
クルマ社会の問題点もわかります。でも、もはやクルマは人類の友といっていいくらい、生活のなかにも人生のなかにも溶け込んでいます。
この世からクルマがなくなったら、あたしの心のなかの風景はセピア色に変わるでしょう。
商店街、路地裏とならんで、なくなってほしくないもののひとつです。