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労働を捉えなおすと別の生き方が見える

ゆうです。
世界さんに薦められて『14歳からのアンチワーク哲学』を読みました。

14歳の少年の疑問にニートのおじさん(自称哲学者)が答えていく対話形式の物語です。
現代の大人たちが薄々おかしいと感じている事どもに対して、意外な視点から「おかしさの正体」を暴いています。
それらは、現代のシステムや現代人の感覚がちょっとおかしくなっているというレベルのものではなく、もっと根本的なところからチャンチャラおかしいのだ、と教えてくれます。けっこう笑えないけど目から鱗が落ちる言説が満載です。
オカンからゲームを強制される子供の話や、孫のためにおせち料理をこしらえるおばあちゃんの話など、例え話もわかりやすくていいですね。

著者のホモ・ネーモ氏は、グレーバーやピケティなど現代の著書だけでなく、ニーチェやウェーバーやアーレントといった古典を相当読み込んでいると思います。哲学や労働論の巨人たちの思想に触れられるのも本書の特色となっています。

同時に、本書は独自のパワーワードが炸裂しています。

「好きなことをやって、嫌なことから逃げろ」
「労働はやればやるだけ周りが不幸になる」
「お金を介してお互いに貢献を命令し合っている社会」

『14歳からのアンチワーク哲学』

前世紀の巨人たちですら見通せなかった事態を本書は抉り出しています。

現代はまともな時代になったのでしょうか。
歴史映画を観れば、奴隷が制度化されていた史実を目の当たりにします。
時代劇を観れば、公務員が刀を二本差して歩いています。
そこまで遡らなくても、たった80年前に10代の少年たちが十死零生の飛行機に乗せられていた。それを学校の先生らが教え子たちに推奨していたのです。

たしかに狂っていた時代がありました。
でも現代は狂っていない、と言えますか?
いつの時代も、当時はそれが当たり前な空気があり、後世からみればイカレているとしか言いようがないことばかり。
現代もイカレていないわけがない。
お国のために10代の少年が特攻するのが誉れであったように、人生の大半を不愉快な労働に費やすことが美徳であるかのような現代のエトスもやっぱりイカレているのです。

あたしは、学校を出て普通に就職しましたが、1年数ヵ月で辞めました。
自分を人生の落伍者だと思った時期もありました。
その後、香港に住み、世界さんと知り合い、もういちど生きなおそうと思うようになりました。
世界さんは、労働から解放された自由人でした。
こんな生き方もあるのかと知り、怖いものがなくなった気がしました。
好き勝手に生きてやろう。
もともと人間関係が苦手で、引きこもりだったあたしは、もっと引きこもってやろうと考え、大学という象牙の塔に逃げ込みました。
そしたら、同種の仲間を見つけました。労働しない人たちです。

労働しない=活動しない、ということではありません。
例えば、あたしは社会学の研究生として、本を読みまくり、ときどきゼミに出て、バイト先の居酒屋でむっつり呑んでいます。
30過ぎて何やってんの?と思われるかもしれませんね。
でもこれがあたしの現時点での答えなのです。
『14歳からのアンチワーク哲学』を読んで、ああこれでいいんだ、という考えを新たにしました。著者の意図から外れているかもしれないけれど。

あたしの師匠(社会学教授)は加速主義を自認する変人です。
ここまで狂った社会を元に戻せないなら、とことん狂って壊れてしまえってことらしい。
あたしはそこまで過激じゃない。たしかに今の社会は狂ってるし腐ってるけど、それなりに選択肢はあって、逃げ場もある。
逃げる場所がない、と思い込んでいる人たちがたくさんいて、真綿で首を絞められるようにゆっくりと追い詰められています。

本書のラストにひとつの可能性をみた気がしました。
進化論に突然変異説というのがあります。
突然変異的に「労働しない種」が発生したとき、旧来の「労働する種」との生存闘争が起こるでしょう。
労働しない種は、何もしないのではなく、内発的な動機によってのみ活動する人たち。
労働する種は、お金や脅しといった外部からの働きかけによって “労働” する人たちです。
どちらが勝つか明白ですよね。
労働しない種が生き残るのです。労働する種は淘汰されます。適者生存の自然法則に従って。

現状にモヤモヤしている方、ラクになりたい方に読んでほしい本です。
下のリンクに飛ぶと「本文&解説文(PDF版)」のところからダウンロードすることができますよ。

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