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noterと生涯の友になれるか

noteを始めて 3年近くになります。
私が noteを続けてきたのは人と交流するためです。
note株式会社には申し訳ないですが、コンテンツを売買する気はありませんし、承認欲求を満たしたい気持ちもありません。
noteで自分の考えや恥部を曝け出しているのは、私という人間を知ってもらうことで交流のきっかけになれば、と願ってのことです。

noterさんとどこまで個人的に知り合えるか。

私にとって noteは実験的な場でもありました。
基本的に文章のみの(しかもリアルタイムでない)プラットフォーム内で、人はどこまでわかり合えるのか。友と呼べる関係になれるのか。
さらに、noteの外に関係の場を広げたときに何が起こるか。

本稿は、note外のやりとり例として 3つのケースについて考察してみます。


1. 往復書簡

1対1の書簡のやりとり。いわゆる文通ですね。
かつては手紙や便箋で行われていたようですが、現代ではメールになります。
即時性がないところは noteと同じですが、ほかの誰にも読まれない、ふたりだけの書簡であるところが大きな違いです。

数ヵ月前、とある研修でこんなスライドを見せられました。

「在宅勤務/リモートワーク: テクノロジーと背景情報の喪失」
と題されたこの表は、コミュニケーションの手段によって伝えられる情報の質と量が大きく変わってくることを示しています。

だから Face to face をうまく活用しましょう、ではなく、Mail でのやりとりには細心の注意を払いましょう、というのがこの研修の趣旨でした。

このフレームによると往復書簡は Mailで、伝えられる情報が最も少ない手段ということになりますが、私はそうは思いません。

メールのメリット:
✅”words” のみで伝える ⇒ 顔・声などノイズがない ⇒ 情報の純度が高い
✅自分のペースで読める・考える時間が持てる・何度でも読める
✅行間を読ませることができる
(メールのデメリットはこのフレームに示されているとおり)

ただ、往復書簡にはかなり高いハードルがあると思います。
それは双方に同程度の読み書き力(リテラシー)が求められることです。
そもそも、長めの文章を書けない人や読めない人には難しい。
また、人としての成熟がないと続かない。
しかも、リテラシーと成熟度は、高ければいいというものでもなく、双方が同じくらいであるのが理想的。

つまり、往復書簡は “相手を選ぶ” 交流なんですね。
運の要素が大きいとも言えます。
そういう人と遭う幸運に恵まれれば、往復書簡は最高の関係になりえます。
書き言葉という、最も純度の高い伝達手段でお互いを理解し合えるのです。
もちろん言葉は万能ではありません。でも、外見や性別や年齢などの属性で人を判断するよりははるかにいいと私は思います。

自分の見せ方や話し方はテクニックの部分が大きい。
書き言葉にも技巧的な要素はあるけれど、ありのままの自分を伝えたい人は技巧に頼らず、自分の言葉で自分の思いをありのまま綴ることができます。
noteには書けないようなことを、ひとりの人間に届けるために書く。
そんな信頼関係の上に成立するのが往復書簡です。

2. オンライン飲み会

研修スライドの表で Video call に相当するものですね。
声出し&顔出しという点で往復書簡よりハードルが上がるとも言えますが、やりやすい部分もあります。

まず、お互いの関心事や人間性がよくわかっていない状態でも、話しながら話題やトーンを調整できる、という利点があります。リアルタイムの良さですね。

また、メールの弱点の裏返しとして words以上のコミュニケーションが可能であること。書くより話すほうが言いたいことを言いやすい人はいますし、non-verbalなコミュニケーションでこそ感情が伝わることはありますよね。

さらに、これは私だけかもしれませんが、「飲み会」と銘打つことでリラックスでき、心理的なハードルが下がります。
リアル社会においても、飲みの場では普段よりも言いたいことが言えるし、多少の失言も許される空気がありますよね。(え。ないですか?)

そんなわけで、けっこういいとこ取りなオンライン飲み会なのですが、いざやってみようかなと思ったときに躊躇する気持ちもわかります。

話してみて、好きになれないタイプだったら気まずい。
その後の noteでのかかわり方にも影響しそうです。
顔や声はノイズ、見せ方や話し方はテクニックだと言いましたが、それらを総体的に捉えて好き嫌いを感じるのが人間ですからね。

Teams や Zoom のようなツールが誰にでも使えるようになった時代に、人とかかわることに憶病・億劫になっていて、せっかくの便利なツールを使っていないとしたら皮肉なものです。

今も昔も、自分がかかわる人間の大半が好きになれない人間であるのは普通のことだと思うんですよね。
それでも人とかかわってきたのが昔の人で、かかわらなくなったのが今の人なのかなぁ。

1対1でなくてもいい。オンライン飲み会は 3~4人で気軽にやるのもいいのではないでしょうか。

3. Face to Face

いわゆるオフ会もありますが、ここでは 1対1で会うケースを想定します。

noteは、大多数が身元を明かしていない人たちが棲むまち。
そこで、リアルなまちで会いましょう、と提案するのは、相当に勇気の要る所業でしょう。
ちょ、何言ってんのこの人?という反応もわかるし、そこまででなくても、「リアルで会うのはちょっと・・・」と丁重にお断りされることが想定されます。

リアルで会う気がない noterさんの気持ちを想像すると、ひとことで言えばメンドクサイなのかな。
今の生活に満足している、あるいは、今の人付き合いで手一杯である、今でさえ忙しいのにこれ以上人とかかわる時間がない。

余白がない、という感じでしょうか。
逆に、余白のある人にはすんなり会うことができます。
そうして会った人と気が合う確率はかなり高いようです。
それには明確な理由があります。

事前情報なしで会った人とウマが合う確率は、せいぜい 20%といったところでしょう。
かたや、会いたいと思った noterさんのことは、noteの投稿やコメント欄を通じてすでによく知っているわけです。その時点でスクリーニングされているので、ウマが合う確率は 80%以上になります。

そう考えると、noteってすごいな、と思うのです。
記事やコメントの文章でその人のことが正確にわかるのですから。
Facebookのような実名の SNSでは、リアル知人向けに書いているため、その場はリアル生活の延長でしかなく、本当の自分にはなれない。
一方、匿名性の高いチャットアプリなどでは、人は何物にでも化けられるので、やっぱり本当の自分ではない。

noteは実名と匿名の間。
そこには本当の自分が現れる。
ゆえに、そこで出会った人とは真の友人になれるのだと思います。


友人関係を長年維持することの難しさについて書いた記事です(☟)

1年だけ友人だった人っていませんか?
あるいは 3年だけ? 5年だけ?
では、10年以上続いている友人は何人いますか?
それらの友人とはどこで知り合いましたか?
学校? 職場? ご近所? 旅先? ネット?
note と答えるのはありでしょうか。

3年近く noteを続けてきて、たくさんのすばらしい人たちと出会いました。
そのなかには、退会された人や、いつしか交流がなくなってしまった人もいます。
さびしいことですが、リアルの世界と同じかもね。
あんなに気の合った友人もいつしか疎遠になっていったように。

それでも人生は続きます。
私の実験も続いています。
noteで人はどこまでわかり合えるのか。
noteを越えてどう信頼を深めていくか。
その人と、私は生涯の友になれるのか。

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