
アフター55の退屈について考えよう
現在の雇用契約が残り2年となり、2年後の無職生活@55歳の現実味についてときどき考えるようになりました。
今回の日本滞在中、旧知の先輩と飲む機会が何度かありまして。
二人の 50代男性と話したことを記しておこうと思います。
大野さん
55歳。大手日本企業の経理部長。
3女の父親。長女は就職後メンタルを病んで療養中。次女は社会人1年目。三女は大学生。
大野さんは東京の有名私大卒業後、一部上場のメーカーに就職。おもに経理とITのお仕事をされ、海外経験も豊富。有能で人望も厚い紳士です。
同企業で本社の部長まで出世し、今年 55歳でポストオフ(役職定年)となりました。
すでに再就職が決まっています。再就職先は専門商社の経理部長。
1年ほど前から再就職活動をしていましたが、なかなかいいポジションが見つからなかったそうです。
そんなとき、仕事で付き合いのあった会社から経理のヘッドを探しているとの話を聞き、「部長なら」ということでその会社に決めた、と大野さんは話してくれました。
大野さんには 55歳で引退するという選択肢はありませんでした。
また、ポストオフして役職のない状態で働き続けるという選択もほぼありえなかったようです。
彼が最も重視したのは、自分の能力を活かす場とそれに見合った役職だったのだと感じました。
「私はまだまだ高い生産性をもって働ける」という思いでしょうか。
基本的に、お仕事が嫌いじゃない人です。よく勉強されますし、その方面のエキスパートで、マネジメントとしてもSクラス。
ご家族を大切にされていますが、趣味の話はあまり聞いたことがないので、仕事一筋で 33年やってこられたのだと思います。
大野さんにとって、仕事を辞めることは “死” を意味するのかもしれません。
また、「55で退職(一種の希望退職)して再就職するのがトータル的に最もおトクだよ😉」ともおっしゃっていたので、お金も三番目か四番目くらいに重要な要素なのでしょう。
山下さん
58歳。スイス企業のマーケティングマネジャー。
バブル世代を引きずる遊び人。見た目ヒッピー。
1男の父親。長男はUKの大学に入学。
山下さんは、社会人生活のほとんどを海外で過ごしてきた人です。
マーケティング・営業一筋で、社内政治や出世よりも、販売実績や顧客との交わりを重視するパーティーアニマル系。
お子さんがロンドンの大学に進学したのを機に、山下さん自身は会社を辞めて日本へ帰りました。
現在は無職ですが、「退屈で死にそうだー」とボヤいておられます。
「再就職とかしないんですか?」
「俺なんか雇ってくれるとこねーよ」
「いやいや、ナンボでもあるでしょ」
「日本にはないよ。それにさ、スーツ着て、電車乗って、会議出て、とか俺のほうが ”ない” わ」
「その気持ちはよくわかります」
「パートのおばちゃんとか若い子がバイトしてるような職場がいいなー」
「どんな職場ですかそれ(笑)」
「マクドナルドの店員やりたいかも」
❝雇ってくれるとこ❞ なの!?
「おばちゃんとか若い子たちとキャッキャ話せて楽しそうじゃん」
マクドのお仕事ナメてませんか?
てゆーか、あなたの時計は千九百何年で止まってるのですか?
大野さんと山下さんはいろいろ対照的ですね。
大野さんは、能力と経験が活かせる(ある意味で)お堅い仕事しか眼中になく、再就職をこれまでのキャリアの続きと捉えている。
かたや、山下さんはこれまでのキャリアを取っ払い、ゼロベース思考でただ単にやりたいことを探しているように見えます。
また、大野さんは役職(肩書き)と、ある程度お金のことも重視しているようですが、山下さんは肩書きにもお金にもまったく関心がないご様子。
二人には共通点もあります。
それは、退屈に耐えられないところ。
そして、退屈をしのぐ手段が「働くこと」であるところ。
これって現在ではごく当たり前のように思われがちですが、ひと昔前まではそうでもなかったと思うんですよ。退屈しのぎや暇つぶしといえば、音楽や読書、スポーツ、創作、散歩などのほか、プチプチつぶしや毛玉とりなど、無数にありました。
それらは今でもありますよ。でもね・・・
退屈しのぎとして真っ先に思いつくのが賃労働ってどうなのよ?
お金を得るためだ、という見方もあるでしょうけど、大野さんも山下さんも余るほど持ってる人たちなので、この二名には当てはまりません。
つまり、賃労働の位置づけは、お金を得る手段だけでなく、純粋な人間活動(退屈しのぎ)としても第一位になったということです。
人々の価値観が変わったのです。
どう変わったのか?
働く=お金を稼ぐ=生産性がある=やる価値がある
という一次元図式が浸透してるってこと。
生産性のない人間や活動は価値がないものとされるってこと。
無職生活などもってのほかですね。
無職生活といっても、一日中Netflix観て過ごすつもりはないですよ。
ただ、ブルシット・ジョブだけはしない、と決めました。
もうたくさんなのです。
企業のお金儲けに加担することも。
加担しない仕事でお給料をいただくことも。
そう決めると、仕事くらいしか取り柄のないブルシット・ジョバーはやることに困るのです。
たとえば、プロボノ活動というのが頭に浮かびますが、私が得意分野で無賃労働したとしても、結局は企業利益につながる活動になると思うとやる気が起こりません。
また、退職後道楽の王道として旅行というのがあるようですが、地球の大半を見てきて今さら旅行も「もうたくさん」なのです。
そのように考えていくと、一つのカテゴリーに専心するよりも、小さな活動を複数もつほうが生きやすいし想像しやすいと思いました。
大人の遊びを見つけていこう。
頭と身体・デジタルとアナログ・倫理と享楽のバランス。
生産性・時間・記号からの解放。
ジェンダーフリー。