私のアフリカ考
Auditor 時代の出張で、世界の大半を網羅した。
ヨーロッパ全域、中近東、東南アジア、北中南米、そしてアフリカ大陸。
アフリカについて考えたことを記しておこうと思う。
私が滞在したアフリカ大陸の国々は、エジプト、スーダン、ナイジェリア、ギニア、ケニア、タンザニア、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、南アフリカ。
出張回数は計 20回ほどで、1回の滞在日数は 2~3週間なので、通算で 365日程度はアフリカ大陸に滞在した計算になる。
アフリカに行ったことがない人よりは知っているが、アフリカに何年も住んでいる人ほどは知らない、というレンジに私のアフリカ経験値はある。
内戦後のスーダンにて
2013~14年の間に、スーダンに 4回出張した。
当時はスーダンの南北内戦から南スーダンが独立して間もない頃で、戦闘が絶えない南スーダンは渡航禁止扱いだった。
私が出張したのは北スーダンの首都ハルトゥーム (Khartoum)。
目を覆いたくなるような、不衛生・貧困・荒れ地の惨状だったが、命の危険はないと思っていた。
訪問した会社は、スーダンローカル社員と駐在員 (expats) 経営層からなる、従業員 800名ほどの製造業。
CFO のゼネップ(トルコ人女性)とのミーティング中でのことだった。
「表情を変えずに読んで」とのテキストメッセージが私のラップトップ PC に届いた。ゼネップからだ。
咄嗟にゼネップの顔を見ると、神妙な面持ちの彼女が、目で微かに頷いた。
次のメッセージが来た。
ゼネップ「マヘールから伝言。市内全域で暴動発生。最速のエアチケットをとり、空港へ直行せよ。ローカル社員には気取られぬよう」
マヘール(レバノン人男性)は人事部長だ。
会議室には、ゼネップの部下たち(ローカル社員)もいる。
私も表情ひとつ変えず、PC にテキストを打つ。
「あなたたちはどうするの? 空港へ直行? ホテルに荷物があるんだけど」
ゼネップも静かに PC のキーを叩く。
「マヘールはすでに eチケットをとってる。私は今 agency にコンタクト中。あなたもすぐにとって。ホテルに戻ってはいけない。あなたが宿泊している Al Salam Rotana は襲撃されたそうよ。ターゲットは外国人だから」
その 1時間後、私もゼネップもマヘールも、他の expats もハルトゥーム空港でドバイ行きのエミレーツ便を待っていた。
最貧国、マラウイにて
2017年、マラウイに 2回出張した。
当時のマラウイは、マドンナがマラウイ人女児を養子に迎えたニュースや、英国のハリー王子がメーガンに求婚した場所として、俄かに注目されていた。私の宿泊先も、Kumbaliという、マドンナが滞在したロッジだった。
しかし、世界で最も貧しい国であるマラウイの本質は何も変わっていなかった。
私は、それより 15年も前 (2002年) に 1度マラウイを訪れたことがあった。
そのとき、国民の平均寿命が 39歳だと聞いた。最大の死因は HIV だった。
15年前の訪問時は、白人らが集まるゲストハウスで音楽を聴きながらビールを楽しんでいた記憶しかない。
15年ぶりにマラウイを再訪した私は、今度こそマラウイの真の姿をこの目で確かめたいと思った。
フィールドワークと称して、首都リロングウェ (Lilongwe) から車で 3時間ほど走ったところにある農村を訪ねた。
そこで私が見たのは、電気もガスも水道もない人々の暮らしだ。
電気とガスがなくても人間は生きていける。
しかし、水がないと人は絶対に生きられない。Water is Life なのだ。
15年前の彼らは、川に水を汲みに行っていた。それは女と子供の仕事だった。水瓶を頭の上に乗せて歩いている女性の姿をよく目にしたものだ。
その当時、川で水を汲んでいる子供がワニに襲われる事故が多発したため、その後、井戸が掘られた。
2017年の訪問時は、井戸から汲んだ水を洗濯や炊事に使っていた。
井戸の水は、白く濁り、羽虫が浮き、中では何かが泳いでいた。
ある組織がこの村に学校を作った。貧困を救うのは教育、との考えからだが、私はそのプロジェクトを手放しで称賛する気持ちになれなかった。
なぜだろう。
教育を受けさせることで、100人に 1人の子供がさらに高い教育課程に進み、事業を起こしたり特権階級に出世するなどして貧困から脱する可能性はあるだろうが、そういう例外的なマラウイ人はヨーロッパに移住したり、国内の特権的な地位に安住したりするだけで、国全体が貧困から脱する力にはならないと思った。
あるいは、100人のうち 80人がそうなることを期待する人たちは、アフリカを近代的な文明社会に変えたいのだろうか。それも無理だと思った。
日本が近代化していく過程で学校教育が果たした役割は自明だ。他のアジア諸国も然り。アジアにできて、なぜアフリカにできないのか。
このときはまだ、それに答える視座を持っていなかった。
それより、医療、食糧、安全な水の供給といった、今そこにいる人間の命を救うことを最優先すべきだと思った。
人はパンだけでは生きていけないが、パンかサーカスかという状況下では、まずはパンだろう。
ソニーは、フットボール観戦用の巨大スクリーンを提供した。
ダノンは、学校給食用のミルクを提供し続けている。
ダノンが正しい、と私は思った。
最大都市、ラゴスにて
ナイジェリアの最大都市ラゴス (Lagos) は、アフリカ最大の都市でもある。
2017年は、マラウイ出張のあと、ナイジェリアとギニアに出張した。
ナイジェリアは、空港の税関職員らが二言目には “Money” と言って、賄賂を要求してくる国だった。
ラゴスは大都会だった。
といっても、極めて衛生状態の悪い、建物と市場と人の密集地帯である。
2022年の現在、私が住んでいる香港も、衛生状態が良いとは言えない大都会だと思うが、両者の決定的な違いは、人間の品性だ。
一日じゅう地べたに座ってボーっとしている人々。ラリっていて挙動のおかしい通行人。どこで何をするにも賄賂を要求される。
最速で「もう帰りたい」と感じた国ナンバーワンだった。
スーダンの暴動よりも、マラウイの貧困よりも、ナイジェリアの腐敗と堕落のほうが私にはきつかった。
アフリカ出張は誰もが嫌がる。それでも私はアフリカを嫌いになれなかったのだが、ついにラゴスでアフリカが嫌いになった。嫌いになったら、アフリカについてもっと深く考えるようになった。
マラウイの農村を思い起こす。あそこに電気・ガス・水道を整備し、道路を作り、ビルを建て、市場に物をあふれさせる。それを近代化と呼ぶのなら、アフリカの近代化は可能だ。ただ、インフラを整えても人間は変わらない、とナイジェリアの大都市は教えてくれる。
アジアは近代化してきたし、科学技術や産業経済の面で欧米に追いつき追い越すポテンシャルをも持っていると思う。
近代化とともに、人間が “洗練” され、近代人のお作法が少しずつ身についてくる。取引先の中国人たちと接していてもそう感じる。
かたや、アフリカ人は永久に近代人化しない気がする。
アジア人とアフリカ人で何が違うのだろうか。
マラウイの農村の人々と、ラゴスの都市の人々を比べ、私には前者のほうが人間として生きているように感じられた。
農村の住人たちは、この変わらない生活を自ら選んできたのではないか。
高度にシステム化され、複雑で変化が激しい都市での生活は、アフリカ人にとって居心地が悪いのではないか。彼らは近代人とは異なる快適さの概念を持っているように思う。ゆたかな身体感覚を具え、強くてしなやかな肉体を持つ彼らには、統制のとれた社会より、粗野で奔放な環境が快適なのだろう。
私は高度にシステム化された社会に生まれ育ってしまったので、アフリカでは生きにくい人間なのだ。
私が生きるのは、人が情報に支配される社会。過去の過ちを思い出して苦しみ、将来の不安を抱えて悩み、別の場所で起こっている出来事を心配して、あれやこれや考えながら生きるようにできている。社会も。そこで生きる私も。腹がへったから食う、ではなく、お昼休みだからランチに行く。そんな社会で生きている。
アフリカ人たちが持つような、人間が本来具えている瑞々しい身体感覚を、私は失っているのだ。
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アフリカの大自然に魅了される人は多いと思う。
アフリカ人の陽気さや子供たちの笑顔に癒される人も多いだろう。
しかし私は、アフリカの魅力を無邪気に語ることができない。
もう二度とアフリカを訪れることはないと思う。
人と文明社会の関係について考える機会を与えてくれた。
自分という人間が何者であるのかを教えてくれた。
ありがとう、私のアフリカ。
(追記)
ロシア編です。