幹部の言葉が社員に全く響かない件
結局のところ、ビジネスパーソンの優劣を分けるのは、言葉を操る能力です。
口のうまい奴が勝つ、という次元の話ではなくて。
どれだけ人の心を動かせるか。
人の心を動かすのに欠かせないのが、言葉の力です。
この能力は、上に行けば行くほど重要度が増します。
この考えに同意する人も同意しない人もいると思いますが。
リーダーと呼ばれる地位にある方や、上を目指す方に読んでいただきたい話です。
テクノクラートの限界
当社のエグゼクティブ(Senior Vice President 以上の役員)は 16人います。
先日、そのうちの一人であるピエールが全社員向けにオンラインで演説するイベントがありました。
Pierre(ピエール)
フランス人。53歳。最高幹部の一人で R&D担当役員。金髪碧眼の美男子。グランゼコール出身のテクノクラート系エリート。おそろしく頭がキレる。フランス人にあるまじき正統派英語話者で常識人。ベストドレッサー。
スイスの本社勤務時代にピエールとは交流があったので、懐かしさもあり、彼のスピーチを楽しみにしていたのですが・・・
始まって 5分もたたずに、がっかりしました。
あまりにも退屈なスピーチだったからです。
相変わらず英語は美しく、内容にソツがなく、美辞麗句が散りばめられた、経営幹部としてある意味完璧なスピーチです。
しかし、そこにはピエールの言葉は一つもなく、秘書が作成した原稿を話しているだけで、心に響くものがゼロでした。
(もちろん紙はないので、どこかの総理よりははるかにマシですが)
らしくないなピエール。
どうしちゃったんだよ。
エグゼクティブのメンバーになって変わっちゃった?
「イノベーションとコンシューマによりフォーカスした R&D戦略に基づき・・・」
「アウトプット志向でアジャイルな開発部隊への進化をドライブしながら・・・」
「企業価値を高める基礎研究と応用研究、新しいテクノロジーと製品の開発にコミットし・・・」
手垢にまみれたフレーズのオンパレードやね。
お洒落イケメンのパリジャンにも見慣れているので、PCの映像を切り替え、ピエールのスピーチを BGM にして、自分の仕事に戻りました。
私でもアクビが出るスピーチ。他の社員などは聞くに堪えないだろう。
ピエールを知らない人たちは、ただ単に「クソつまんねー話だな」と思って聞いてるんだろうな。
私は、ピエールが研究者として、技術者として、ビジネスエリートとして、ピカイチの能力をもっていることを知っています。
彼の能力は、ブルシットな経営者コトバを言わされるためにあるのではない。
一方で、彼のような人間が、当社のような巨大組織のエグゼクティブクラブにメンバー入りしてからの葛藤も想像できる。
ピエールとは 2年以上話していないので、確かめてはいないけど。
私にはわかる気がするんですね。
ピエールは、テクノクラート(技術エリート)の鎧を脱ぎ捨てて、経営者という別の鎧を身に纏ったのです。
その鎧はピエールにはあまりにも似合わず、彼の能力を封じる鉛の鎧だったのでしょう。
高い抽象度で正鵠を射抜くのは至難の業
「上に行く」とは、一言で言えば、抽象度が高くなることです。
上に行くと、主語のレベルが上がります。
最初は誰でも「私は」だった主語が、「私のチームは」となり、さらに、「私の部門は」⇒「わが社は」⇒「わが国は」と上がっていきます。
視点が高くなる、とも言えます。
視点が高くなると、抽象度が高くならざるをえません。
「私のチームは」で考えていたときは、「売上を 10%増やす」でよかったのが、「わが社は」になると、「企業価値を高める」とかになるんですね。
売上を 10%増やすは小学生でも理解できそうですが、「企業価値を高める」が理解できる小学生はそう多くないと思います。
抽象度が高くなると、下の者たちが理解できない言葉で話してしまうことを示唆しています。
意味は理解できたとしても、響かない言葉です。
上司に「売上を 10%増やそう」と言われるのと、「企業価値を高めよう」と言われるのと、どっちがやる気が湧きますかって話。
かたや、CEO が「売上を 10%増やす」とは言えません。
「そんなもんは部下に任せとけ」「おまえは他に考えることがあるだろ」「こいつ CEO の器じゃねーな」と思われるのがオチです。
私たちはしばしば、「具体的に話せ」と言われますよね。
でもね。上に行く人が求められるのは、抽象的に話す能力なのです。
具体的に話すより、抽象的に話すほうが高度だし難しいんですね。
上を目指す人たちは、抽象的に話すスキルを鍛えているようなものです。
その過程で、具体的に話すことができなくなってしまう人もいますよね。
ピエールは、技術畑の人らしく物事を具体的に話す人でした。
また、頭の良い人ですから、抽象的に話すこともできました。
話す相手に合わせて具体と抽象を使い分ける、両者の間を行ったり来たりできるピエールは、真に抽象度の高い人です。
全社員に向けたスピーチは、抽象的な内容にならざるをえませんよね。
抽象論のみで聴衆の心に響く話をすることはできるでしょうか。
それができるのがリーダーの資質だ、と思います。
リーダーが語りかけることの意義
遡ること 15年前、私がドイツの会社で働いていたときのことです。
Rheinland-Pfalz 州の CDU党候補者、クリストフ・ベーア氏の演説会に、当時ドイツの連邦宰相 (Bundeskanzlerin) に就任したばかりのアンゲラ・メルケル(愛称アンジー)が応援演説に駆けつけるという情報を得ました。
アンジーを一目見たいというミーハー精神で、私は演説会場に足を運びました。会場に集まった大勢のドイツ人たちも、もちろん彼女が目当てです。
私はアンジーの演説を目の前で聴き、なんと!彼女と握手もしたんですよ。
そのときの彼女の演説は、15年たった今でも私の瞼に焼き付いています。
当時の私がドイツ語の演説をどこまで理解できていたか怪しいものですが、アンジーが語気を強めて訴えたことは、はっきりと憶えています。
15年前のドイツの国家課題は、少子化対策と移民問題でした。
少子化対策については、国内のすべての保育園を無料化する!と彼女は豪語しました。
移民問題については、移民を排斥するのではなく、移民との競争に負けないドイツ国民を作る、そのために国語(ドイツ語)の教育に力を入れていく、と力強く語りました。
英語じゃなくて国語、と言ったところに彼女の政治センスを感じたよね。
選挙権がなく、ドイツ語の理解力もイマイチな私が、アンジーのパワフルな演説に魅了されました。
まして、ドイツ人有権者たちの熱狂が想像できますでしょうか。
東ドイツ出身。物理学博士。ドイツ史上初の女性宰相。
アンジーの演説をナマで見て感じた彼女の魅力とは、科学者らしい理路整然とした物静かな語りから、徐々にボルテージを上げていき、クライマックスでは拳を打ち振りながら全身全霊で聴衆に言葉を叩き込んでくる、静と動のギャップです。
力強い言葉で聴衆を熱狂させた後、聴衆を左右に見渡しながら 10秒ほどの間をとってから、次のトピックについてまた物静かに話し始めるのです。
もうひとつのギャップは、外見からは想像しにくい、意外と可憐な声質。(当時私はそう感じました)
アンジーの演説が終わり、その興奮さめやらぬまま、一緒に会場に来ていたドイツ人同僚と飲みに行きました。
ドイツ人らが語ったアンジーの魅力その 1は、”正しい (richtig)” ことをクソ真面目に語るところだそうです。
なんやそれって思いませんか?
それはこういうことです。
凡人は、正しいことを「自明である」としてわざわざ語らないか、語るとしても高度な言語で語ろうとするが、アンジーは正しいことを衒いもなく臆面もなく淡々と語る。そこには、難しい言葉もレトリックもなく、ケレンミもない。科学者らしい、しかし政治家らしからぬ態度だが、アンジーが平易な言葉で正しいことを述べたとき、聴衆は ”richtig” とつぶやかずにはいられない。
アンジーの魅力その 2は、自分の言葉で話すところ。
話者が自分の言葉で話しているのか、借りてきた言葉のパッチワークで話しているのか、聴衆は容易に見抜きますよね。
アンジーの魅力その 3は、変なたとえ話をしないところ。
政治家や経営者や評論家などは、話をわかりやすくしようとして、別のものにたとえて 9割9分失敗していますね。
かえってわかりにくいわ!
と聴衆の心の声が聞こえてくるパターンです。
これは 2とも関係しています。
自分の言葉で話す人は、言いたいことを別の何かにたとえる必要がないのです。
借り物の言葉で話す人は、本質を理解していないので、何かにたとえて煙に巻こうとします。まがい物をまがい物でたとえた話がわかりやすいわけないですよね。
ピエールのスピーチを聴いて、15年前のアンジーの演説を思い出したことは、偶然ではないと思いました。
どちらも科学者です。
残念ですが、ピエールにはリーダーの資質がないのでしょう。
アンゲラ・メルケルには、科学者としての抜群の知性と誠実さに加え、卓越した言葉の力があります。
世界で最も言葉を重視するドイツ人のリーダーを 4期 16年も務めた実績は、ダテじゃないですね。
2006年ドイツで開催された FIFA ワールドカップで一番目立っていたのも、貴女でしたよ。