自死と嘱託殺人と死希念慮から想起する死生観
地球上約78億人の人がいる
数字的には増え続けているけれど、
死んだ人の数より生まれる人の数が多いことを表している。
同じ人が生き続けているという数字ではない
それぞれに親がいて、苦しみを味わい、死んでいく
三浦春馬さん、木村花さんの自死と合わせてALS患者さんの嘱託殺人について考えてみた。
頭が混乱する
生きる権利は有るけれど、
生まれる権利と死ぬ権利はない
(中絶は法律で禁止されていない)
そこで、共通するのが死希念慮
小さい頃から希死念慮があった私は
生きているのが辛かった。
「生きなければならない」と
親からのプレッシャーがあったなら
もっと辛かっただろうと思う。
三度目
「いつ死んでもいい」と思えたから
楽になった
鬱の時、暗闇の中、
命の炎の灯を見つめ
これを吹き消したら終わる、と知った。
24歳
誰かのために生きている実感はなかった
自分がいなくなっても世界は変わらない
深く息を吐き出しきった
その瞬間
生死の選択肢を実感した。
息を吸うという選択が
生きるという道
息を吸う選択をした
死ぬ前にシャワー浴びようと選択肢が現れた
ベッドから立ち上がり
シャワーを浴びた
動けた。
嘱託殺人の真意は解らない
知人の女性は
「お父さんお母さんごめんなさい。
丸井のローンは貯金から払ってください」とだけメモに残し飛び降りた。
その一ヶ月前に、
「また遊ぼう、手紙書くからね」って笑顔で私の米国行きを喜んでくれた。
親に死にたいなんて、言わない。
死にたかったと過去形になってから話したことはある。
息子が、保育園の時、長い鬱期に入った
生まれて初めて家族に言えた
「辛い」と言ったら
「どうしたいの?」聞いてくれた
その前の鬱のときは米国で臨床カウンセラーに助けを求められたから、
「死にたい」って言えた。
今回は、夫が聞いてくれたから言えた
「死にたい」って言えた。
そしたら、一瞬考えて
「もう少し頑張って、
〇〇〇(息子)いるじゃん?」
そうだ。
私が息子を産みたくて産んだ。
自分が選択して息子がいる
もう少しだけ。。
一つずつ
自分で選択できることが見つかれば
死を選択する前に
生きる選択ができる
死んだら、選択することはできなくなる
それはつまらない
ALSの患者さんには、
生活に日々選択の自由があるのかな?
閉じ込め状態の苦しみは
想像だけでは解らない
外からは健常者に見えても
本人が選択肢が見えなくなるから死を選ぶ
米国の奴隷時代
被支配側の人たちには選択肢がない
でもその中で、
音楽が彼らの魂の選択だったから
ブルースが、生まれた
身体的囚われ
精神的囚われ
私の死生観
人生は選択だと思ってる
今日はなんにもしない
それも自分の選択なら苦しくない。
近くに居るはずの人たちが選択肢にはなれなかった理由を、残された私たちは考え続けた方が良いと思う。
答えがでるまで。