「般若心経」は、お釈迦様の仏説の一部に過ぎない?
数年前、何かのきっかけで般若心経に興味をもって、ネットで意味を調べはじめた。 読めば読むほど面白い。お釈迦様が体験したことをそのまま表現したものに少し脚色して付け足したお話だった。しかし 「空」を文章でよく表現されていると感心した。伝える力というのはこういうことなのだ。私の拙い言語で果たして伝わるかはわからないけれど、「般若心経」について書いてみたい。
子供の頃、お葬式でも「色即是空空即是色」っという行(くだり)だけはみんな覚えてしまう。ゴロがとても良い言葉だと思ってきた。その時の「空」は昼は青く、夜は星が瞬く「そら」というイメージだったことも覚えている。
学びというのは、理解ができるときにやってくる。順番なんて本当は関係ない。経験してみてわかるのだから、たくさんのことを体験すれば理解できるときが来て、人生の最期に腑に落ちればそれでよいと思えるようになった。私にもこの世に知らないことは山ほどある。だからこそ、生きているのが楽しくなった。年齢を重ねることの楽しみを覚えた。
さて、もし「般若心経はお釈迦様の唱えた仏法のエッセンスではない」と、仏教徒でもない私が言い切ってしまうとお叱りを受けるだろう。すべての経典を読破したわけではない。あまりにも有名な「般若心経」が何を伝えたいのかというのは、きっと多くの人たちに伝わっていることなのだろう。なので、専門家の言葉をお借りしながら般若心経はお釈迦様の仏説のメインではないことを私なりの解釈をご説明したい。
要するに、成り立ちから「般若心経」はお釈迦様の仏説ではないことは明確に語られている。<仏説>とは、お釈迦様が直弟子に話したお話をまとめたもの。「私はそう聞いた」ということをまとめた経典になっている。すべて経典ではあるが、年代によって編纂が進められ、途中、仏説の解釈の違いや、戒律を重視する派閥が生まれていく中で、大乗仏教が誕生した中で編纂された経典の一つが「般若心経」ということなのだ。
お釈迦様は十人十色、千差万別の相手に合わせて説法を変えたため、8万4千通りあると言われています。そのため、受け取る側が聞いた話が異なれば、富士山の逆側にいるような相手も存在する。しかし、たどり着く頂上は一つであるというのが宗教だと言われている。8万4千の法門が開かれている。どれを選ぶかはあなた次第だ。ということだ。
いくつものある古からの賢者の教えの一つが、お釈迦様が唱えた「仏道」である。
仏教は、お釈迦様が大涅槃に入って(荼毘にふされて)から、お釈迦様の唱えた仏法や仏説について哲学的に分解して解釈をまとめる学問から始まった。
「般若心経」に表されている「空」は、仏説として書かれている「阿含経」にも含まれている。なので、お釈迦様の観たものが口伝で伝わったもので、仏法の重要な部分であることは間違いない。
そして、大乗仏教の「般若心経」は、お釈迦様のお話を大きくまとめて、菩薩としてお釈迦様がされたように、人々に寄り添うということを活動の主としたということになる。その中で目的地は「空」を彼岸とした。
「般若心経」の「空」を終着点とする大乗仏教はまさに「生きる人々のための仏道」を迷える人々へ伝える教えになった。
お釈迦様が悟りを得たという話が書いてある「聖求経」では、仏陀となり、「このまま涅槃に入ってしまいたい」と思うところを梵天に止められ、救いを求める人々へ教えを広げるように懇願されるという話「梵天勧請」がある。仏陀となったお釈迦様は35歳で至上の幸福感の中で涅槃に入る寸前まで行って踏みとどまり80歳まで、この世で人々に教えを説いたというが仏説なのである。
仏陀は、幸福感の中で消えてしまうことを望んだが、その欲求の裏で、声に従い、己の最後の欲求に対しても抗ったのである。
涅槃に片足を突っ込んだ釈迦は、後悔のない生き方をすることによって、そこへ辿り着くことを知ったので、肉体が死ぬまで生き続ける道を選んだ。
「空」イコール 「無分別智処」
そして、仏陀は如来として戻ってきたとき、今生の信者たちへ伝える言葉を編み出すために「清浄後得智」として8万4千通りの教えを施した。それは生きとしいける者すべてのものの最上智慧なのだ。
仏陀が至福に満たされ、そのまま涅槃に入りたいと思うほど魅せられたのは「空」の先にあった。それを、ヴェーダでは「ブラフマー」と表現されたものかもしれない。
「般若心経」はその一部の「空」の状態を伝えたものであり、それ以上でもそれ以下でもない。エッセンスというより「基礎」なのです。
仏陀となり如来として戻ってきたお釈迦様が「空」を通して衆生へ伝えたいことは、最後の瞬間、後悔なく、振り向かないで前進できる生き方をすること。 仏陀でさえ、後ろ髪を引かれてしまったのですから。