忘れられない夢の話
それっぽいというだけで、写真をお借りして申し訳ありません。ボローニャからピサは遠い。私の話は ピサの周辺の話なので、あらかじめお詫び申し上げます
先日より、お会いするお約束をしていたミュージシャンの女性とお会いした。彼女はナチュラルな直観力のある女性ですべてに無理がなくとても素直な方に感じられた。
私が瞑想をやっていることを私も友人である彼女の夫から聞いていたのか、とても興味津々で話を聞いてくださった。 彼女自身も瞑想を実践していたことがありチャクラが開いた体験もしていたので、とても話しやすかった。
話の流れで、彼女が前世の記憶がある、とお話してくれたので、私もふと32年前に見た夢の話をした。
今でも鮮明に覚えている。
朝靄の薄暗い朝日がどこかで上がりかけている時間
テクテクと石畳を歩いている自分がいる
足が見える。。コッペパンみたいな靴を履いてる。
ひざ下までのズボンに、サスペンダー
白いシャツ
自分が男の子だと気が付く
大体12歳ぐらい?
少し下り坂気味の幅2メートルぐらいの道
両脇は大きめの石のブロックと木の素材の古めかしい家が連なっている
前方にはヨーロッパ風の街並みが広がりその先には海が広がっている。どこだかわからない。
すると、左側に上下ばらばらに開く木戸の、上部が開いているとこから朝餉の準備をしている煙が見える。目的地はそこのようだ。
「おはよう、おじさん」と入っていく自分
「おう、坊主きたか」と、目玉焼きを焼いていた。
よく来ている知り合いの家のようだ。
土間にあるものは、修理の途中なのか、大きな木でできた荷台の車輪。
壁に掛けられた道具を見ると、修理屋のようだったすべて鉄と木でできている。(古い時代だ)と思う自分がいる。
すると少年である私が
「おじさん、あそこの教会の鐘の塔はいつ直してくれるんだ?」と聞いた。
尋ねる私本人は、どこの教会のことかわからない。
するとおじさんが、
「あそこの教会は貧しいからなかなか村の人もできない。お金がない」
自分の中では、そこには大好きな神父さんがいるのが分かる。(私が小学生の時、数ヶ月だけピアノ習ったことがあるアメリカ人の音楽家だ)
すると、次の場面で、
自分が高い梯子を 教会の屋根にかけ、鳴らなくなった鐘の塔の壁面に直す場所のマークを硬いチョークでひいているリアルな手の感覚がある
下の方で、村人たちが集まってきて叫んでいる
「降りてこい!」「危ないわよ!降りてきなさい!」
すると少年(私)が「誰もやらないなら僕が直す!」と 下に向かって怒鳴り返し、チョークで手を伸ばし、鐘のある空洞のところから、少し離れたところにピサの斜塔が見えた「あ、ここイタリアなんだ」と思った瞬間・・ずるっとバランスが崩れた。
あ、落ちる
と、スーッと体が落下していく感覚の次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
時間の感覚が分からない。暗闇の中、また歩いている感覚がする・・
暗い。。。少しずつ目が慣れてきたのか、視野が広がっていくが、電灯がないが周りの様子が分かる曇り空の夕方のような暗さの中を、今度は石畳の公園で大きな噴水が見えた。 しかし、水は出ていない。ひっそりと静まり返っていて誰もいない。
そこには修道院があって、少年はそこで育ったことが分かる。
黒い鉄の門を開け、玄関からはいるとそんなに広くない玄関ホールになっている。誰もいない。その時、少年にとても優しくしてくれる大好きなシスターを思い出してるようで、私もその顔がはっきりと分かる。
おかしい。誰もいない。それにこの階段こんなだったっけ?と2階へ通じるはずの階段が、逆さむきで行き場のない天井にくっついている。
目の前の大きな院長室のドアを開ける。。。
向かって左側に格子の入った窓から温かい光が差し込んでる。
ほこりが舞っているようなフアフアと小さい光が飛び交っているように見える。 物音ひとつしない。閉鎖して久しい学校のような雰囲気だった。
大きな立派な木のデスクには大きな立派な皮のデスクチェアがあり、窓の方を前に、私に背中を向けた状態でおいてある。「院長いないのかな」と思ったとき、くるりとその椅子がこちらを向いた。
そこには10歳ぐらいの少女が座っていた。
髪の毛は がっちゃんのようにくるくるで明るい赤金髪で、白い肌にそばかすが見え、白いレースの模様の入ったワンピースを着て、足を院長デスクの上にストンと乗せて、じっと僕の方を観ている。
その時、胸がキュンとなった。
「僕は、天使に恋をした」と思った瞬間。。。
「なに見てんのよ」
私はその瞬間目を覚ました。
最後の女の子のインパクトが強すぎて、ふ、と笑いながら起きた。
「面白い夢見たよ~」と母へ話したら
「戦争と大火で色んなものが作り変えられてしまって失われたかもしれないけれど、探してみたら?」
と言ってくれた。 32年行く機会はあったけれど、優先順位は低かった。いまだに行っていない。老後の楽しみの一つにしておこう。
ただ、話はそこでは終わらず、その後数年間のうちに、 そこにいた村人の、目玉焼きを焼いてくれた修理屋のおじさん、教会の塔の下で「降りてきなさい」と叫んでいたおばさん、そして修道院のシスター と現実の世界で再会する機会を得た。残念ながら、大好きだった別の教会の神父さんのピアノの先生は、すでに他界していることは目を覚ましてすぐ合点していたし、専門学校の英語の先生として再会していたシスターは私との記憶はなかった。でも、私は懐かしさを味わえて満足し、彼女の新しい過去を忘れた人生を祝福することができた。
滅多に起きることのない不思議な体験だった。
最後まで私が観た夢の話を読んでくださりありがとうございました。
では、おやすみなさい。
【余談】
最近、スマホに起こされるから、ついつい、目が覚めたときにスマホをチェックする癖がついて、面白い夢を見ても忘れる。 朝スマホやめて、また楽しい夢を後でも楽しめるように工夫してみようと思う。
それでも、この間、面白い夢を見た。全体のストーリーは忘れてしまったけれど、ある一場面だけ、まったく意味不明な場面が入ってきて、気になったので、珍しく「夢占い」で探してみたら 読み取り方によっては「吉兆」だと出た。。。 一体どうやって、このコロナ渦で 一攫千金が手に入るのかはわからないけれど・・ 宝くじを買ってみようと思う。それしか思い当たらないのも思考が貧困になっている証拠かもしれない。
でも、夢はいいものだ。寝ている間の夢もよいし、未来に向けての夢もよい。
アインシュタインの相対性理論は「夢」からそのアイデアを得たと言います。 https://media.thisisgallery.com/20225729
日ごろから心に留めていることの解決に役に立つのも夢なので、「知りたい」という気持ちを常に持っておくと、シンクロニシティやセレンディピティは起きやすくなるかもしれないですね。
Sagjo
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