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「アリストテレスの二コマコス倫理学第6巻を学ぶ」なかでの戯言 パート2

さて、先日の「~学ぶ」前の戯言に続き、やっとオンライン講座に参加することができたので、続きを学習ノートとして継続して書いていきたい。

先生がお優しい語り口で紐解くアリストテレスの二コマコス倫理学では、「失敗の本質」および「プラターク英雄伝・ペリクレス編」が宿題となっていたので頑張って読んだ。。。というか、時間がないし、集中力の欠如(これの改善のために瞑想を始めたのだが。。)もあって「失敗の本質」はKindle版を買い、またオーディオブックに読んでもらうというなんとも横着な方法で完読した。しかし、これは非常に効果的で、オーディオブックを2倍速にして文字を追っかけるのであっという間に読み終えたたし、内容も記憶されやすかった。

しかしさすがにペリクレスのオーディオブックがないので、昔の文語体で読みずらい。 けれど、そのうち慣れてくるとなかなか粋な言い回しや、読めない漢字をネットで調べながら「洒落た表現だな」などと余裕も出てきた。

しかしどうしたって、限定識字障害(自称)があり、カタカナが読めない。ギリシャ人の名前だけじゃなく、基本的にカタカナは難しいので、結局主人公のペリクレスと、アナクサゴラス(穴臭いと覚えられた)しか覚えていないが、その関係が究極に大切なところだったので、大満足した。

二コマコス倫理学だって、二コマコスも何のことやらわからなかったが、アリストテレスの息子で、アリストテレスが倫理学についての研究ノートや講談を残したものを息子が編纂したもの。 倫理学の基本的な問題である「正しい生き方」を検討している、という説明で理解できた。

この講座との出逢いでは、すでに、得をしたような気がしている。

私が一生死ぬまで、自主的に出会うことのない2冊の本と出会い、全く未知の情報を得た上に、今現在自分が生活の一部にしている 「瞑想」が 普遍的に人間の営みの中で大切な要素であることを実感させてくれた。

また、アナクサゴラスという哲学者を知ることができ、まさにウパニシャッド哲学の完成期、そして枢軸時代と呼ばれた思想の大転換期の一コマとして、ギリシャで何が起きていたのか、どんな政治をしていたのかということを、身近に感じられたことが本当に有難く、ワクワクさせられた。

まだまだ、哲学書の読み方は難しく、「言葉の定義」のところでどうしても躓いてしまうが。そこは、ご愛敬。なんとな~く わかった気になって反復横跳びしながら、繰り返し自分のなかで咀嚼していけば良いのだという実感にもなった。

本日のテーマは「知慮」

知性にはいろいろな能力が統合された物であり、その結果に「智慧」が生じるということまでは理解できた。

「知慮」ってなに?ということになる

直観、体系知、技芸知、知慮、知恵というのがあり

直観と体系知が知性をつかさどっているという説明だったが、知慮は何の役に立つのかということを詳細に説明していただいた。社会的な配慮などにもわかるように 知慮だけでは何も変化を起こしうることはないけれど、「知慮のない者」が行動を起こした時に、何が起きるかを考えれば、それは欲求に流されやすく、軸のない選択をする可能性も大いにあるという。要するに 知慮に裏付けされた直観や体系知(知性)があるからこそ、ペリクレスの雄弁さには真実味があり、それらが演説という行動を起こさせる「勇気」であり「欲求」を巧みに使い分けが可能になる。「知慮」のある「演説」は適切に聴衆の心をつかみ、行動を促すことが可能であったという説明に納得できた。

「正しい知慮」というのは、単に 八方美人になったり、相手を喜ばすだけに没入する心の働きではなく、欲求と知性のバランスを俯瞰して見られる「知性」の一部にして性質なのだということで私の理解としたい。

そこで、「正しい知慮」が ヴィパッサナ瞑想(仏道の八正道を基本にしている)のどこにあたるかと考えれば、「正思惟」に当たるのではないかという見解に至った。(「八正道」:正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)

別件であるが、スピンオフでたどり着いたウパニシャッド哲学

アナクサゴラスがペリクレスに教えたとされる話に非常に興味があり、きっとウパニシャッドにも書かれているだろうと思い付き、備忘録としてこちらに記しておきたい。

それを思わせる一説を抜粋する

しかしながらペリクリーズにせっけんすることもっとも多く、彼に人気取りの技よりも、はるかに勝る智慧の威重と雄大とを教え、かつ高尚にして荘厳なる志と性格とを与えたのは、当時の人々が「ヌース」(”Nous”)と呼んでいた、クラゾミニ―のアナクサゴラスであった。”Nous"とは、「心」もしくは「叡智」の謂いである、すなわち、アナクサゴラスが自然の科学にたいして示した偉大にして異常なる天賦を嘆賞したことに出でたるゆえ、しからざれば彼が宇宙の最初の摂理を、運命もしくは偶然に帰せず、はたまた、必要もしくは強制に期せずして、混沌たる万物の間にして弁別と分類との原則なるところの純潔無垢なる叡智に帰したるがゆえであった。
 この人に対してペリクリーズは異常の尊重と三人の上を抱いた。そして時人が呼んで虚空の高き思想といったほどのこの人の高遠なる理想を体得した。彼はまた、衆俗的雄弁におちいりやすき下劣にして不純たる幇間味を脱し、高尚なる目的と上品なる用語とを自然にこの人より獲た。のみならず彼は、沈着なる相貌と、円雑中にいかなる突発時にもかきみだされないような重厚にして平静なる態度を学んだ。またよく続きかつ高低なき音声の調子、その他これに類する種々なる長所を学びえた。これらの特色が彼の長所にたいしてもっとも大なる効果を及ぼしたのである
潮文庫 プルターク英雄伝(2)鶴見祐輔訳 ペリクリーズP117-118

いかに、平静沈着でいられるか、いかに中庸でいられるかを、アナクサゴラスは観想的な生き方として 教えたとある。

アナクサゴラスは哲学者であるが、神への信仰が当たり前の時代、いったい何を観たのか、気になって仕方がない。アナクサゴラスについての文献を読んでみたい。

本日の学びはここまででした。

おやすみなさい。

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