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なんでだよ

近しい関係にあった友人(以下Aさん)が
亡くなった。

Aさんとは同病者ということもあり、
お互いの「病気あるある」を共有したりして、
笑ったり、しんみりしたり、勇気づけ合ったり、
ある意味で「得難い存在」だった。

そんなAさんと疎遠になったのが、4月の半ば。
その少し前、3月の終わりに、
私が8年半ぶりの再飲酒をして、Aさんにとても
心配をかけた。

私がいくら説明しても、Aさんは私の再飲酒を
「自分のせい」だと思い込んでいて、
自分から私を遠ざけた。

私も同病者として、そこらへんの気持ちは
なんとなく理解できたので、無理に追いかける
ことなく没交渉になり、約2か月。
今回、突然の訃報に接することになった。

誤解を恐れずにいうと、
私はどこかで、
こういうことになるのを予感していた。
文字どおりの意味で
「死んでしまいたくなる気持ち」を、
私自身も常に持っているから。

しかし、その一方で、残されたご家族の
お気持ちを考えると、胸がつぶれそうになる。

今回改めて思ったことは、

「希死念慮がある」ということと、
本当に「自死する」ということは、
全然違うということだ。

生きていて欲しかった。

希死念慮のある私などが言うのも
変な話だが、
死んでしまったら、すべてがお終いなのだ。

死ぬということは、
「この世とのお別れ」みたいな抽象的で
ふわっとした事象を意味するのではなく、

自分の両親・兄弟との関係断絶、
夫との関係断絶、
子供たちとの関係断絶、
たくさんの友人・知人との関係断絶を、

現実に具体的に行なう行為だ。

もう二度と会うことができない。

なんで死んでしまったんだよ。
生きていて欲しかったよ。

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