![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133355841/rectangle_large_type_2_d7150da57a13878d0e17a68a75c516df.png?width=1200)
312 一里塚
はじめに
昨日、漫画界の巨匠がまた一人、その生涯の幕を閉じました。鳥山明先生の作品は、漫画界のみならず多くの人々に多大なる影響を与えたことは言うまでもありません。
最近は、そんな言い方をすると生き方が狭いだの古いだのと言われますが、人生をささげて作品を生み出した鳥山先生の生き方は、まさに私にとっては理想の人生そのものです。多くの漫画家の目標でもありその影響力は日本だけにとどまらず、世界にまで及んでいます。こうした、一時代を築き多くの人の目標となる人物を「一里塚」という言葉で表現することがあります。今日は、鳥山明先生の作品を思い返しながら一里塚という言葉について少しお話してみたいと思います。
血液レベルで好き
先生は、漫画やアニメのイメージを大切にするために、これだけ有名な作品を世に生み出しておきながら、表舞台に姿を現すことはほとんどありませんでした。そんな大切にしている作品が与えた影響がいかに深いものであるかを表現したコメントに次のようなものがあります。
それが現在、世界でもっとも売れている漫画ワンピースの原作者である尾田先生の追悼メッセージの中にある「僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。」というコメントです。私は、このコメントの意味が分かるような気がします。そして、このコメントを出した尾田先生の気もちもわかるような気がします。
一里塚とは
江戸時代には五街道が整備され、町人文化に旅を楽しむことが定着したり、物流が盛んになったりしていきました。そのため、全国の様々な街道に一里ごとに土を盛り、松などの樹木を植え、道のりの目安、里程の目標とした塚が築かれました。およそ1里は約4kmの距離ですが旅人は、その目印を目標に歩みを進めていきます。
ある分野の発展を旅に例えてみます。今現在、その分野で活躍している人々が参考にしてきた技術や技法や手法は、何かが元になっています。では、そのもとになっているものは、どのようなフィールドで誕生したのでしょうか。概念ができて、場所ができて、技術が発展し、広がっていく、そのような過程のなかには、いくつもの一里塚が存在するわけです。
もしかすると目標となる者の数だけ一里塚は存在するのかもしれません。街道に盛られた小高い丘に植えられた一本の松や榎の木は、大樹となり遠くからもその目標の存在を示します。そして、距離の基準としても機能し物の運搬の費用やその労力の基準を示します。
何かを示すとは、何かを導くとも言えます。私たちの今住んでいる地域にもそうした一里塚は、今でも存在します。また、多くの仕事や分野についてもこうした一里塚に例えられるような人々は存在するのです。
人生とは、始まりから終わり
室町時代の僧に一休という方がいますが、その方の狂歌に次のようなものがあります。
「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」
この狂歌は、人生を旅に例えたとき、年を重ねる度に飾る門松を一里塚に例えています。正月の門松は、めでたい飾りではありますが、年を重ねるということは死へ向かっているとも考えることができるので、必ずしもめでたいとは言えないという意味にも聞こえます。なんとも、一休禅師らしい滑稽な狂歌です。
私たちは、毎日を生きています。毎日を大切に生きていくことはとても難しいわけですが、漫画やアニメを生み出す現場はみなさんもご存じのように大変に過酷で、生みの苦しみに満ちています。
生み出すことは大変なエネルギーを消費します。生み出された作品は、多くの人々の目に触れ、人生の一ページに留まらず血液に溶け込んでいくかのような影響を与えるかもしれません。
一里塚になるとは、そうしたことなのだと思うのです。