【街と街道を歩く】東海道を歩く(箱根湯本〜三島)その4
ドラゴンキャッスル
山中城跡の見学を終え、再び旧東海道の歩行を進めた。
右手にアスレチックタワーの「ドラゴンキャッスル」が見えてきた。
高さ18メートルの六角形のアスレチックタワー。6階建てビル相当の高さだそうだ。
もっと若い頃だったら挑戦していただろうが、スリルを求める歳でもないので…。
右手の富士山を眺めながら歩き進めると、三島スカーウォークが見えてきた。
日本最長400mの吊橋だそうだ。
富士山を望みながら歩くのも面白そうだが、足元がどんなふうに見えるのか…。
またの機会に渡ってみようと思いつつ通り過ぎた。
笹原一里塚
旧東海道を歩き進める。
11時40分頃、笹原一里塚に到達。
笹原一里塚は三島市笹原新田にあり、日本橋から数えて27番目の一里塚で、日本橋から108.9kmの距離に位置している。
現在は両側とも塚は無く石碑のみが建っていた。
こういったマイルストーンをみると昔の人もホッとしたんだろうなと思った。
寺本陣 松雲寺
12時5分頃、三ツ谷新田の松雲寺に到着。
三ツ谷新田は、箱根の西坂に点在する五つの新田集落の中央に位置しているそうだ。
「三ツ谷」の名の由来は、1800年(寛政12年)成立の地誌「豆州志稿)」に、「村内の『旧茶屋(もとちゃや)』と呼ばれる地に茶店が三戸あったことから、この地は「三ツ屋」と表記されていたが、今では「谷」の字が用いられている」と書かれているそうだ。
松雲寺は、1656年(明暦2年)に創建されたという日蓮宗寺院で、江戸時代、東海道を通行する尾張徳川家や紀伊徳川家が休息所として用いた「寺本陣」と呼ばれていた寺だそうだ。
1878年(明治11年)に明治天皇が京都から東京に戻る際に、小憩所として用いられたそうで、寺内には明治天皇が腰掛て富士山を眺めた「御腰掛石」があった。
晴天で雲一つない天候だったこともあり、松雲寺からの富士山の眺めは確かに良かった。
錦田一里塚
昼食休憩を挟んで、14時10分頃、錦田一里塚に到達。
錦田一里塚は、日本橋から数えて28番目の一里塚で、日本橋から113.2kmの距離に位置している。
街道の両側に一対で現存する貴重な塚であり、塚の上には榎が植栽されている。箱根旧街道の一部として国の史跡になっているそうだ。
東見付
更に歩みを進め、14時30分過ぎに大場川に掛かる新町橋に到達した。
三島宿の東見付は、大場川にかかる新町橋のたもとにあったそうだ。
見附は、石塁式の土手に囲まれた枡型見付だったそうだ。
三嶋大社
14時40分過ぎに三嶋大社に到着。
三嶋大社は三島市の中心部に鎮座する伊豆国一宮の神社。
創建年は不詳とのことで、史料の初見は758年(天平宝字2年)だそうで、古くからある神社だ。
参拝と境内散策して40分程滞在した。
問屋場
15時30分頃、三島市本町にある三島宿の問屋場を通過。
三島宿の問屋場は1軒のみだった。
問屋場があった場所には、現在、三島中央町郵便局が建っている。
白滝公園
白滝公園に到着。
湧水が白い滝のように流れていたことから名付けられた公園だそうだ。
二日間に渡る箱根湯本から三嶋までの歩く旅はゴールを迎えた。
山道の石畳の歩行は、何時もより足の負荷が高く結構疲れたが、何とか三島までたどり着くことが出来た。
天候に恵まれたこともあり、富士山や箱根の山々、芦ノ湖など景色を楽しむことが出来た。
入念にストレッチをして帰宅の途に着いた。