失敗で始まった私のキャリア
今回は自己紹介の続きとして私のキャリアのスタートについて書きたいと思います。
私は最初の仕事を1か月で退職しています。当時は自分を社会不適合者だと思っていました。しかし、当時の自分には何が足りなかったのか今だからわかる事があるので合わせて共有したいと思います。
障害者として働くこと
私は高校在学中に初めて障害者として働くと言う事を考えました。それまでは子供が好きだったのもあり保育士になろうと思って専門学校に進学をするつもりでした。しかし、進路選択の時期が迫り、「脳性麻痺を持ちながら保育士と言う事は可能なのか?」そんなことを思うようになりました。自分の障害を改善することはできないのか探るために1年間高校を休学し、外科的手術を受け、機能改善を図りました。その1年間で保育関連のボランティアを始め、自分のやりたいことを仕事にできるのか試していたところ、保護者の方から「あの方に子供を見てもらって大丈夫なのか」という意見をもらいました。私は胸を張って大丈夫ですとも言えず、やはり保護者の方からは不安だよなと思い、この仕事をしていくのは難しいなと保育士は諦めるという選択をしました。
今思えば、そんな私にボランティアの場を与えてくれた方々には本当に感謝だなと思います。
保育士として働くことしか考えていなかった私は、果たして自分に何ができるのだろうと考えました。高校時代、バイトの面接も受けたことがありますがすべて不合格で働いたことが一度もなく、自分に出来る事がわからなかったのです。いや、正しくは出来る事が何もなかったのです。自分の無力感にすごく落ち込み、自分は生きていけるのだろうか、社会に必要とされているのだろうか、そんなことを毎日考えていました。
まずは自分に自信をつける事が必要だと思い、高校を出たら働くことを決意しました。とはいえ、普通学校に通う障害者を受け入れる会社は少ないと言う事でハローワークの方から障害者の職業訓練校に通うように勧められました。
年収215万円からのスタート
職業訓練校は資格取得するために勉強をしながら就職のサポートもしてくれるという場所で、私は医療事務の資格を取るコースに1年間通いました。ここで初めて障害者の社会に入った私でしたが、自分と違う障害を持った仲間と触れ、すごく世界が広がりました。そこでの学びや思い出はまた別途書きたいと思います。
楽しく学びながらも1年間で7つの資格を取り、少し自信を持つことが出来、いざ面接が始まると不採用の連続でした。脳性麻痺の特性でもある緊張すると麻痺が強くなることで面接の印象が悪いことが、医療事務は接客を伴うので大きなマイナスになっていたのだろうと思います。
見かねた担任の先生がグループ病院に私を推薦してくれ、何とかそこから内定をもらうことが出来ました。
月給15万円+賞与3か月分の契約社員での採用でした。理論年収215万円。
これが私のキャリアの出発点です。
働くって難しい
後から知ったことですが私以外の同期は正社員としての採用でした。ただ私は高卒、その他の同期は専門や大卒だったので障害が理由かどうかはわかりません。
そんなことは当時はあまり気にならず、何とか仕事に慣れたい一心で朝8時から夜11時くらいまで仕事をしていました。資格はあるので医療事務の知識はあるものの、仕事をしたことがなかった私は、メモを取る・報連相など当たり前のことが出来ていませんでした。
教育係の方からは呆れられ、仕事が終わらず残っていると「そうやって同情を買おうとするな、私がやらせてるみたいだろ」と言われたり、なぜか忘れましたが足を蹴られたりするようになり、精神的に追い込まれ、恥ずかしながら入社からわずか1か月で退職をしてしまいました。
やっと就職できた職場をこんなにも早く辞めてしまった、自分は社会不適合者なんじゃないかと思い、しばらくは就職することを考えることが出来ませんでした。
当時を振り返って
いま改めてこれを書きながら、なんて自己理解が出来ていなかったのだろうと感じています。
職業を選択するうえで自己理解はとても重要です。
自分は何が得意で何が不得意なのか。その職業に必要な能力は何か。
一緒に働く人はどんな経験を持っているのか、その人から見て自分はどう映るのか。
保育士の時も病院の時も自己理解が足りていませんでした。
保育士を諦めたときは「障害者だから」何もできないという気持ちがどこかにあったのかもしれません。
保育士は無理でもほかにやりたい事、向いていることで出来る事を考えることが出来たかもしれません。
自己理解が足りないまま、自信をつけるためという理由で働くことを選択したことが本当に正しかったのか、今になると思うことが出来ます。
結果論、この後入社した会社で様々な経験をさせてもらい、今はこれで良かったと思っています。
最後に障害者雇用の年収について
今回の内容と少しずれますが、障害者雇用は年収が低いという情報をよく目にします。障害者のキャリアを発達させたい私としては、「障害者雇用だから」低いと決めつけてほしくないです。私のキャリアも215万からスタートしていますが最終的(36歳)には、その4倍ほどになっています。
もちろん年収がすべてではありません、私もその恵まれた年収を投げて会社を離れました。 自分に合った働き方とそれに見合った報酬を考えてほしい。次はそんな事を書いていきたいと思います。