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完璧主義 vs 完璧じゃない主義...? part3

テーマ:#グラデーションのその中へ 第三回

前回は「期待はしない、でも信じる、むしろ騙されたい」と題し、他人と協働して物事を前に進めるうえで重要だと考えることについて、考察を深めました。

今回は前々回の「完璧主義 vs 完璧じゃない主義…? Part2」の続きになります。前回までの議論は以下からご覧ください。

今回でpart3となりましたこのシリーズも、今回で完結です!よってこれまでの議論と被り気味な部分はだいぶ端折って進めますので、Part2までをご参照いただいたうえでお読みいただけるとありがたいです。それでは二項対立から浮かび上がるグラデーションの数々、ぜひ楽しんでご覧ください!


10.必要なのは、設計図か?コンセプトか?

前回議論にて、完璧主義は「客観的評価軸で良い悪いが評価可能だ」と述べました。つまり客観的に良いものを定量化できるということです。定量化できるということはそのスペックに合わせて、仕様を設計できるということでもあります。つまり商売に必要なものは設計図となります。

一方で、完璧じゃない主義は「客観的評価軸はなく、主観的にしか評価が出来ない」と述べました。よって、商売はどのように評価されるかと言うと、個々人の主観によって「その商売に共感できるか?」という点が重要です。その共感させるポイントこそがコンセプトだということです。最近、にわかに「共感」とか「ストーリー」とかの重要性が叫ばれ始めたのは、コト消費が幅を利かせるようになった証左でもあります。

11.取り進めはウォーターフォールか?アジャイルか?

順番は前後しますが、「設計図」or「コンセプト」の対比に呼応するのは、「ウォーターフォール」or「アジャイル」です。まずはこの2つの概念をWikipediaで整理してみましょう。

プロジェクトによって工程の定義に差はあるが、開発プロジェクトを時系列に、主として以下のような工程で行われる。
要求定義(要求仕様)
外部設計(概要設計)
内部設計(詳細設計)
開発(プログラミング)
テスト(ソフトウェア)
運用(システム)
上記のように作業工程(局面、フェーズ)にトップダウンで分割する。線表(ガントチャート)を使用してこれらの工程を一度で終わらせる計画を立て進捗管理をする。原則として前工程が完了しないと次工程に進まない(設計中にプログラミングを開始するなどの並行作業は行わない)事で、前工程の成果物の品質を段階的に確保し、前工程への後戻り(手戻り)を最小限にする。

Wikipedia「ウォーターフォール・モデル」

ソフトウェア工学におけるアジャイルソフトウェア開発は、人間・迅速さ・顧客・適応性に価値を置くソフトウェア開発である。典型的なアジャイルソフトウェア開発では、チーム主導で設計・実装・デプロイを短期間に繰り返してユーザーが得た価値を学習し適応する、すなわちトライアルアンドエラーで開発が行われる。アジャイルソフトウェア開発を可能にする開発手法にはエクストリーム・プログラミングやスクラムなどがある。

Wikipedia「アジャイルソフトウェア開発」

つまりウォーターフォールは「作業工程をトップダウンで分割し、前工程への手戻りを最小限にする」ための仕組みと言え、アジャイルは「短期間でトライアルアンドエラーを繰り返して迅速にニーズに適応していく」ための仕組みと言えます。

ウォーターフォールにおける最初の3行程”要求定義”、”外部設計”、”内部設計”で作り上げるものがまさに設計図となります。一方で、トライアルアンドエラーを繰り返すアジャイルには設計図はむしろ足かせとなり、必要なものは「顧客を共感させる」ためのコンセプトとなります。よって10.の「設計図か?コンセプトか?」という二項対立とこの項で説明した「ウォーターフォールか?アジャイルか?」というのは密接に関係しているのです。

12.人材は金太郎飴か?異能か?

この対比は分かりやすいと思います。人材における完璧主義とは、「欠点がない」ことです。つまり金太郎飴のようにそれぞれの人材が各能力をバランス良く具備していることが求められます。一方で、突き抜けたような能力を持っている場合、完璧主義はその突き抜けた能力自体を否定するわけではありません。各能力が最低レベルを超えていることを求めるだけだからです。

しかし概して、組織として動いていくにあたって、その人の突き抜けた能力は同僚にとっては邪魔なものになります。なぜなら同僚にとってはその能力が相対的に欠点であるかのように見えてしまうからです。よっていわゆる「出る杭は打つ」という事象が起きてしまいがちです。なので当初は突き抜けた能力を持っていたとしても、時間が経つにつれて角が取れて丸い能力バランスに収斂していくのが完璧主義の特徴と言えます。

一方で完璧じゃない主義では、各々が持っている能力バランスが仮に歪だったとしても、「その歪さを保持したままで最大限活かそう」とする思想になります。むしろ他の人が持っていない突き抜けた能力を持っている人が現れれば、その能力が必要な業務をその人に集め、組織としての成果を最大化する方向に働きます。よって突き抜けた能力を持つ人、つまり「異能」は歓迎されます。概して異能は欠点を持っていることが多いですが、その欠点も別の異能にとっては得意分野ですので、お互いがカバーし合えばよいのです。

13.率いるのはマネジャーか?リーダーか?

この二項対立はこれだけで一回分のnoteになりそうな気がしているので、別の機会に譲ろうと思っています。ただサワリだけ書きますと、完璧主義はマネジャー的、完璧じゃない主義はリーダー的です。キーワードは「グラデーション・リーダーシップ」かなと考えています。

14.失敗は禁止か?学びか?

ここまでの議論の整理のようなイメージですが、完璧主義は当然、失敗を禁止します。逆に言えば失敗してはいけない業務(この業務は”critical(致命的な)””fatal(生死に関わる)””illegal(法律違反になる)”の3種類に大別されると考えています)において完璧主義は向いているともいえます。一方、完璧じゃない主義は失敗自体すらも学びの一部としてその次のトライに活かす姿勢を持っています。もっと踏み込めば、失敗は「自分が失敗だと認識して初めて失敗になる」という特性がありますので、成功するまでやり続けることで「私の辞書には失敗はない」という状態の方もいます。

15.例えると…?

球技で例えると、完璧主義は野球、完璧じゃない主義はサッカーです。なぜ野球が完璧主義的かと言うと、そもそもボールを手で扱う事自体、足で扱うよりも簡単であり失敗が生じにくいという特徴があります。それはルールにも反映されており、野球はエラーが公式記録として残ります。一方、サッカーはボールを足で扱う競技であり、そもそもがミスをする可能性を内包しているスポーツと言えます。確かに昨今のデータ分析技術の発達によりサッカーにおいてもミスの回数や確率も正確に収集できるようになりましたが、公式記録ではエラーは残りません。この球技のミスの起こりやすさは、当該球技の戦術論に大きく影響を与えますので、また回を改めて詳しく取り上げます。

音楽ジャンルで例えると、完璧主義はオーケストラ、完璧じゃない主義はジャズです。オーケストラは指揮者(=マネジャー)の管理のもと、予め定められた楽譜、メロディを正確に演奏することが求められます。もちろんその技術や音量、間に人間的な技術力は求められるとは思いますが、基本的にアドリブはない理解です。よって完璧主義的といえます。一方でジャズはアドリブの音楽です。コード進行だけが定められており、そのコードを基に各演奏者のアドリブに任せて楽曲が進行していきます。演奏を管理する指揮者もいません。よって完璧じゃない主義的といえます。

16.最後に

ここまで全三回にわたりご覧いただきまして、誠にありがとうございました。前回のnoteにも書きましたが、この「完璧主義」と「完璧じゃない主義」の二項対立自体があらゆる事象に通底する二項対立であり、その間のグラデーションについて深堀していくことこそが、あらゆることの本質を深堀することではないかと考えています。その考え方を礎に、これからはより具体的な事象についても、そのグラデーションにdeep diveして本質を少しでも明らかにするような考察が出来ればと考えています。

今後ともぜひ、皆様お付き合いいただければ幸いです!!!
改めてありがとうございました!

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