生まれて初めて母の気持ちが分かった。
最近、娘の幼い日ばかりを思い出す。
特に娘が、小学生くらいまでのことを。
地元の小さな小学校が閉校になり、町の小学校へスクールバスで通うようになったのは、娘が小学校高学年のころだった。
それから、ふたつの小学校の卒業生からなる中学校へ進学になり、市内のマンモス高校へ遠距離通学の後に、県外の大学へ進学となった。
18歳で家を出てから、社会人になった今も家へ戻ってこない。
今は、県外で一人暮らしをしている。
娘の目の前の世界が繰り広げられるにつれ、私の手を放れていき、距離感はほどなく遠くなった。
小学校高学年くらいまでの娘のことを思い出すのは、その時期まで、娘との関係が密接だったからだろうか。
娘が、私の膝に座りに来たし、「お休みのハグ」だってしていた。
いつでも、私のことを、頼りにしてくれていた。
中学以降は、一気に広がった友人関係が優先で、休みの日といえば、サッカーで忙しかった。
高校は、通学だけで時間がかかり、帰ってくるのも遅くなり、休みの日も部活でさらに忙しくなり、あっという間に、実家をでていった。
県外の大学に進学するため、引っ越し先のアパートへ、娘と荷物を送り届けた帰路では、走馬灯のように娘との生活を思い出し、涙に暮れてからは、思いにふけることはなかった。
すぐに、普通の日常がはじまった。
だけど、娘が家を離れて年月が経てばたつほど、私自身が年齢を重ねるほど、思いは募る。
同居している息子の幼い頃のことは、そんなに思い出さないことを考えれば、やはり、離れて暮らすが故のことだろう。
帰ってくるのは、年に数えるほどで、大学のころは友人との約束が最優先で、顔をみせに来る程度だったし、昨年は実家に泊まることはなかった。
普段はラインひとつ寄こさないから、こちらから安否確認のラインを入れる。
ゆっくり会話をしている間もないから、この間、思い切って、電話をしてみたら、素っ気なかった。
何年か前、私の誕生日にかかってきた電話で、母が言ったことを思い出した。
あなたの誕生日になると、あなたを生んだ日のこと、小さな頃のことを思い出すのよ。
私は、そのとき、「ふう~ん」と適当に相づちを打ちながら、内心「チェッ」と舌打ちしていた。
本心丸出しでいうと、うざかった。
なにを・・・
今さら・・・
今さら、母親づらせんといて!
母と私は、気持ちが繋がりようがなかった。
物心つく頃には、弟や妹に対する接し方と違っていたし、会話すると喧嘩したり、罵りあったりしながら、実家での時間を過ごした。
社会人になったハタチには、家を出て、結婚してからは、私が意図的に、それまで以上に距離を置くようにした。
結婚してから、新婚時代に夫と喧嘩したときに、一泊して以来、実家には行っていない。
会ったのは、父方と母方の祖母の葬儀だけ。
あとは、息子のお食い初めのときに、父と一緒に、我が家へ来たことがあったっけ。
娘が家を出て、年月が経っていくことと、私自身が年を重ね、更年期なども影響して、心身の状態も変わったせいで、娘への思いが募っているとすれば、母の気持ちも分かる。
ハタチで娘が家を出て以来、娘と接することなく30年以上たち、自分自身も80歳が見えてきた年齢になって、自分が産んだ子のことを何も思わないことは考えられない。
ただ、母にとって、私にとって、母子濃密な時間を過ごせたのは、弟が産まれてくるまでの2年足らずの間だけだったのかもしれない。
物心つく頃から、親に甘えた記憶はないが、その頃は、両親の愛を一身に受け、私も親に甘えていたのかもしれない。
間違いなく、私も、愛されていたのかもしれない。
最近、そう思うようになった。
母は、そのときの私を、思い出しているのかもしれない。
私は、娘に「あなたの幼い頃のことを、思い出すのよ」だなんてことは言わない。
「今」を生きている娘にとっては、うざいだろうし、迷惑だろうから。
だけど、これから何十年もたって、80も見えてくる年になったら、つい言ってしまうかもしれない。
あなたの幼い頃のことを、思い出すのよ。
と。
目標が見つかると、後先考えず、過去を振り返らないで、突っ走るところだけは、私に似ているから、きっと娘も、そう実家へ帰ってこない気がする。
べつに、私と母がそうだったように、罵りあったわけでもないし、喧嘩をしたわけでもないけれど。
むしろ、出来る限り、娘のことを尊重し、応援してきたまでだ。
だけど、娘と、密な時間は、これからも、そう過ごせないのかもしれない。
だなんて、なにを感傷的になっているのだろう。
家を出て、まだ6年。
ついこの間、義父の四十九日に会って、まだ半年しか経っていないのに。
先日送った柿をたべて、故郷のことを思い出してくれたら、それでいい。
あとは、元気でいてくれたら、それでいい。