義両親との完全同居で、思い込みが変わったこと
私はいつだって優等生だった。
母は私が、母の言う通りに動くまでがんじがらめにした。
勉強が特別できるわけではなかったけど、真面目だった。
真面目・・・というより、「生真面目」だった。
やるべきことはきちんとする。
やるべきことに優先順位をつけて、急ぐべきことはすぐやり、抜けがない。
社会人になってからも、そこを評価してくれる人もいた。
こちらに嫁いできたときもそう。
嫁としてすべきことを、きちんとせねば・・・。
仕事や家事をそつなくしているのに、義母は横やりを入れてくる。
こちらは誠心誠意尽くしているのに、すべてに横やりを入れてくる義母の常識が、私にとって疑わしかった。
学生の頃も、OLのときも、真面目にことを進めていけば、まかり通っていたことが、通らなかった。
良い嫁になろうと頑張れば頑張るほど、することすること全てに横やりを入れてくるので、良い嫁として認められないことにストレスを感じ、とうとう心身は崩壊して、牢獄に入ることになった。
20代後半のことだった。
暗闇のなかで自分と向き合うこと以外に、何もできない。
どうしてこうなってしまったのか・・・。
この一点に絞り込み、じっくりと考えるしかなかった。
自分の人生を振り替えざるを得なかった。
そう、この世に生を受けてからのこと。
自分の人生を紐解いていくと、人生の始まりは親のお腹から産まれてきたときから始まり、両親に「正しいこと」「正しくないこと」を教えられ、それが自分の価値観の根本となっていることが分かった。
義母にも親がいる。
全く違った親に育てられている。
そのことに気付いて、義母もまた、「人の子」だと、その時初めて認識した。
義母もまた、幼き日から親に「正しいこと」「正しくないこと」を教えられて育てられてきたにちがいない。
ちがう親に育てられたのだから、教えられたことも違って当たり前。
なーんだ、私が「正しい」と信じてやっていることが、義母にとって「正しくないこと」だって、あり得るんだ。
そこで、私はぶつかっていたものに対して、腑に落ちた気がして、気が楽になった。
私は、サラリーマン家庭から畑違いの農家へ嫁ぎ、誠心誠意尽くしたら、歓迎されるだろうという幻想をもっていたけど、そうとも限らない。
義母は私ではないのだから、その苦労も分からないだろうし、「良いヨメ」として認められようと頑張っていることは、義母の基準とはまた別かもしれない。
義母は義母の立場で苦労があるかもしれない。
私も義母ではないから、分からないけど、想像することはできるかもしれない(と、そのときは、本当に思ったけど、未だに全部は分からない)。
幼き日から、母の「〇〇すべき」「〇〇でなければならない」に答えてきた私は、答えはヒトツと、ずっと思いこむよう育てられていたんだ!と気づいた。
だから、私は頑固な性格で融通が利かない。
正しい答えはヒトツで、それがイチバン正しいと信じてたから。
母の言うことはいつだって正しかったのかもしれないけど、それとは別に、わたしの考えや思いもあった。
だけど、それを母はずっとシャットアウトしてきた。
自分の考えていることは、全部間違いだと思っていたけど、親は親の考えが、子には子の考えがあって当たり前なんだ。
純粋無垢な子供の心は、そこに気付かない。
そのまま大人になった私は、母と私は別個体の人間なんだ。と、そこで初めて気づいた。
自分の考えを口に出すことが苦手だったり、自分から他人の懐へ飛び込むのが苦手だったり、積極的に行動することが苦手だったりするのも、全部自分の考えや思いを、母に否定されたことからくる、自信のなさからだったことも分かった。
決して、もとから消極的な性格だったわけではなく、消極的に育たざるを得なかったんだ。
だけど、人と違っていいんだ。
母と違っていいんだ。
誰一人、同じ人間はいないから。
私は、それから、「認められるために」頑張るのをやめた。
それまで、私が頑張っていたことは、「認められるために」という見返りを期待していたのかもしれないことに気付いた。
その代わり、「自分がどうしたいのか」を大事にすることにした。
家事にしても、仕事にしても、育児にしても、誰のためでもない、自分のためにするのだ。
「誰かに認められるため」ではない。
間違ってもよいから、とにかく自分の思ったようにするのが、大事なんだと気づいた。
「仕事」や「家事」に関して、年をとる度思う。
若い頃、私は、四角いものを何一つ見落とすことなく、90度の直角に合わせて仕上げるのは得意だったかもしれない。
いまは、仕上げは90度の直角ではなく、丸みを帯びている仕上げ方かもしれない。
その代わり、自分の考えや思いを込めた「プラスα(アルファ)」が加わった。
自分には「考え」が、存在していることに気付いた結果だ。
昔から、すべきことはきちんとしていたというのは幻想で、実はやるべき最低限のことだけをしていて、他にもすべきことはたくさんあったのかもしれない・・・と。
負けず嫌いだけど、家事や仕事をすることに関して決して器用とは言えない義母は、横やりを入れるすきがなくなったのか、義母が年をとったせいか、時々は邪魔をしてくることはあっても、口頭ではほとんど何も言わなくなった。
かと言って、自分が天下をとったような傲慢な気持ちにならないよう、気をつけねばならない。
まだまだ、すべきことがたくさんあるのかもしれない。
自分がまだ見出せない、考えや思いが未知数備わっていると信じて、常に考えていきたい。
精いっぱいと思っていた自分の考えや思いは、こちらに嫁いできて、「伸びしろ」として現れた。
育つ過程で、親や教育者からの何らかの影響で、自分の感情との折り合いがつけにくかったり、対人関係での距離感を適切にとることが苦手などの、生きづらさを抱えて生きる、「アダルトチルドレン」の脱却方法は、「親」と「自分自身」が別個体ということを認識することだという。
わたしは、価値観や考えが全くちがう「義両親との完全同居」に身をおくことによって、「アダルトチルドレン」からの脱却を成し遂げ、それまで気づかなかった「自分の伸びしろ」に気付けたと思っている。
今でも昔のことがトラウマとなって、義母がそばにくると、身を引いてしまう自分が居たり、義母の居ないスペースへ身を置くクセが抜けきれない。
それでも、随分図太くなった私だからこそ、思う。
自分の思い通りのままでも、それなりに進む人生だったら、ここまで変われなかったんだろうなと。
「生きづらさ」だなんて、誰もが人生のどこかで感じることかもしれない。
だけど、そこには「自分の伸びしろ」も隠されていることを、今悩んでいる誰かに届けば幸いです。
私は自分のことを、「大器晩成型」だと信じてる。
生年月日占いだか、姓名判断でも、そう書いているのを読んだこともあったしね(笑)