同居の義母の施設入所が決まってから
その日は突然やってきた。
ケアマネさんから夫への久々の電話は、施設入所が決まったことを伝える連絡だった。
最近介護度があがった義母のゆくゆくの施設入所は決まっていたが、まだ先のことで、「まずは試しにショートステイから入りましょう」とケアマネさんから聞いていた。
だのに、いきなり施設入所が決まったと、夫から聞いた瞬間・・・。
張りつめていた糸が切れたのをかんじた。
施設・・・入所・・・?!
気が付くと、涙がポロポロと溢れて止められなかった。
一番は、「安堵」する気持ち。「安心」する気持ち。
キレイごとばかり、「note」に書き記しているけど、およそ30年前に嫁いできてからの義母とのことが走馬灯のように思い返される。
辛かった・・・。しんどかった・・・。
義母さんに、随分と振り回された。
当時私に寄り添いもしてくれなかった夫に、言っても仕方がないのは分かっているけども、思わず言ってしまった。
第一声にしてその言葉をこぼしたのは、私の本音だったからだろう。
夫は私の言葉を受け入れてくれたのか、黙っていた。
若かりし頃のように、烈火のごとく怒らなかったのは、年を重ねて自分の母との同居で疲弊しているところもあってのことだろうか。
だけど・・・だけど・・・
なんか寂しいな。ホンマにこれでいいんかな。
「寂しい」と感じたのは、義母が認知症になってからというもの、私たち嫁姑の関係を帳尻を合わせるかのように、義母とのコミュニケーションが増えつつあったからだろうか。
実母以上に長い間、生活を共にしたせいかもしれない。
これも又、その時感じた私の本音だ。
これでいいんや。もう無理や。一緒に生活するの。
おれらも仕事せなアカンし。
夫は静かに返した。
複雑な心の内を確かめながら、自分でなんで泣いているんだろうと、止められない涙にその時は暮れた。
施設入所の今日は、施設入所にあたっての説明や契約書を結ぶために家族の同伴が必要と聞いた。
私は家から見送るつもりでいたが、夫の勧めもあって、私も一緒についていくことになった。
入所の準備を済ませ、車に乗り込み、自宅を離れる時、義母に言葉をかけた。
義母さん、お疲れさま。六十年あまり、ほんまよう頑張ってくれて、私にバトンを託してくれてありがとう。
私が義母に言葉をかけるとしたら、この言葉かなと思っていたが、自宅を離れるまで掛けるタイミングがなかった。
それに、夫が聞いた通り「施設入所」か、施設から届いた書類の通り「長期ステイ」なのか、この地点ではまだ実質的なことは分からなくて、義母が家を離れることは実感なかった。
まだすぐ戻ってくるのかもしれないし・・・。
わたしが意を決して言ったことばに、義母はハラハラと涙を落としながら、自分の思いを語り始めた。
声がちいさくてよく聞こえなかったけど、「子どもが居たからやってこれた」こと。「自由気ままな夫(義父)に振り回された」こと。「身体が丈夫だったからやってこれた」こと。
息子である夫に「ムリはするなよ」と言ったことは、聞こえた。
ひと言も言葉を発しない運転中の夫に代わって、なおも泣いている義母に言葉をかけた。
義母さん、何も泣くようなことではないで。
これから、人生はまだ続くんやで。施設では楽しい事ばかり待ってるよ。
「お金」を払って見てもらうんやし、遠慮なく施設の人に何でもしてもらえるんやで。施設の人は優しいよ。
それに、クーラーもあるし快適やで。
今まで頑張ってきたんやから、これから先、楽しまなあかんで。
もっと気楽に生きや。
私は一体誰に言葉をかけているのだろうと思ったが、思いの丈をぶつけることにした。
だいたい、まだ結婚して、義母の結婚生活半分にも満たない私がエラそうなことは言えないのだ。
人生経験にしたって35年も少ないのに、何が言えるのだ。
それでも、私のように、帰る実家がなく泣く泣く結婚生活を耐えるのもつらいけど、年に数回だけ実家へ帰れることを待ちわびながら、農作業に勤しんだ義母もさぞかし大変だっただろうと、義母の六十年余りを思いやった。
かつてそのような話しを義母自身がしていたことがあるが、義母が嫁いできたときには、まだ19歳だったという、その年齢からしても大変だったろうなとも、初めて思った。
あと、最近私たちに必要以上に気を遣い、「お前たちにエライ世話になってすまんなぁ」「迷惑かけてすまんなぁ」と繰り返す義母が、上手く気持ちを切り替えてくれたらいいなと思ってのことだった。
おおきによ。おおきによ。
義母は相変わらず泣いていたが、繰り返しお礼の言葉を返してくれた。
間もなくして、施設に到着。
「ご家族さまは、こちらへどうぞ」
私たちは、入所者の面会が行われる応接室へ通された。
入所に当たっての説明を聞き、契約をあっけなく終わらせ出てきた私たちは、ケアマネさんと職員さんに見送られ、施設をあとにしてきた。
室内用の上履きに履き替えている義母の横を通るときに、さいごに何か言葉をかければよかったと思ったのは、夫も私も同じだった。
また、会いに来るからよ。
車の中でも言ったその言葉を、もう一度いえばよかった。
既に生活をはじめる部屋に通されていたであろう義母と、忙しそうな職員さんのことを考えて、何も言えず仕舞いだったが、まさかあの瞬間がしばらく会えない義母との最後とは、ふたりとも思っていなかったことは、夫との会話で分かった。
義母は、どうやら「長期ステイ」という名の「施設入所」のカタチがとられたらしい。
「施設」に空きがでれば、住む場所が隣りの建物に変わると説明を受けた。
(施設使用料金も変わるらしいと。)
「外出」はOKで、「外泊」は出来ないとも加えて聞いた。
当初の予定では、今月中に「短期ステイ」を経て、今年秋の入所とも言われていたが、予期せぬタイミングで話しが進み、入所となった。
家に帰ってくると、義父が居なくなった時より、家がガランと感じたのは、義母は義父とちがい、常々家に居たからであろうか。
訳の分からない腑抜け状態になっているのに気付いたときには、自分のことながらにして意外だなと思った。
姑を亡くしたヨメが認知症を発症するとは、身近なところで聞いたことのある話だが、私もそうなるのかもしれない。
義母の居た生活は、「ハリ」があったのかもしれない。
義母の新生活は、女性ばかりの四人部屋からスタートするという。
日常では、男女問わず同じ境遇の同世代の人との交流が見込めそうだ。
そういう意味では、自宅にいた頃より、忙しくなりそうだ。
義母さん、これからの人生、楽しめるといいね。