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アラフィフの私が抱える、この先の不安

実父が60歳で会社を定年退職してから、両親は、弟や妹と一緒に、故郷であるこちらへ戻ってきたが、実父はほどなくして身体を悪くしていき、入院の身となった。

入院して間もなくして、身体の状態は更に悪化し、目を覆いたくなるくらい、体じゅうを何かしらの管が通っていた。

ヒトツの病院で入院できる期間が決められているとかで、幾つかの病院を数年にかけ、渡り歩いたのち息絶えた。

祖母が施設で亡くなって、5年以上の月日がたっていた。

夫は「お父さんを、見るに見かねておばあちゃんが呼びよせたんとちがうか」というようなニュアンスで言っていたが、そうかもしれない。

だけど、これが、もし、父が先に亡くなることになっていたら、どうだっただろう。

同居はしていなくても、実家の母は特に、重荷になっていやしなかっただろうか。

どんな形であれ、父は先に親を見送ったというところに、心意気を感じる気がするのは、私の最近の願望が含まれているからであろうか。

夫にも「父のように、せめて自分の両親を見送ってから逝ってね」だなんて話しをするようになった。
「それ以外には、何も望まないから、それだけは!」と加える。

最近の夫は、身体の不調を訴えることが多い。

足の付け根が痛いだとか、足が痺れるだとか、夏場の除草剤や消毒の作業となると、もうダメなんじゃないかというくらいにしんどそう・・・。

2年前の秋には、夏場の仕事が後を引いたのか、腸に穴があく緊急事態で、救急車で運ばれた。

仕事が忙しいと、アルコールで疲れを紛らわせているようにも見える。

お酒をいっさい飲まない私は、アルコール類のことは全然分からないので、「薄めているからだいじょうぶ」だの「量はそんなに多くない」だの言ってのける夫に、何も言えない。

また、私より10も上だと、身体も相当疲れるのではないかと想像する。

私でさえ、20歳の時より、30歳、30歳の時より40歳・・・と、どんどん体力は落ち、疲れるのを感じるから、還暦すぎだと・・・と想像すると、夫が身体を酷使しているのが分かる。

この辺りの豪勢ものの(よく働く)農家の男性は、70代で亡くなっている方が少なくない。

女性の方は、平均寿命を越えて長生きという印象だ。

夫が自分のことを「老」と称して「親と一緒に住んで、老々介護は辛い」と口にするのは、自分も限界を感じているのだろう。

とはいえ、実際は、義両親は元気で、自分のことは自分でしてくれている。

それでも、一緒に住んでいると、ここに書ききれない、実の親子だからこそのしがらみがあるがゆえに、一瞬にして疲れることも多々あるようだ。

私はどちらかというと、他人事で、冷静でいられる。
いや、冷静でいられないこともあるのだけども、感情が乱されるのは、一時的なものだ。
慢性的に精神的な負担が実子である夫のほうに、のしかかっているとも感じることがある。

それだけに、夫がもし・・・。もし・・・。と考えると、恐ろしい。

結婚するときには、年齢差からして、夫が先に逝くことは想定内として考えていたけど、両親を残して逝くことは考えていなかった。


順番通りに逝くのが普通だと思って、そんなことを想像することをカスリもしなかった。


だけど、長寿社会となった今、ご近所さんを見渡しても、先に息子が亡くなるケースも見られる。

生きたくても生きることが出来ない人も、世の中にはいらっしゃるのだから、命は大事にするべきは大前提だけど、夫自身は、自分の両親と同居していて、自分がいま両親に抱いている気持ちを考えると「そんなに長生きしたくない」とも言う。


それが、回りまわって自分のところへ返ってくるのが、目に見えているというニュアンスだった。


気持は分かるけど、それを再々聞かされると、私の不安は募る。
どうせなら「目いっぱい、長生きしたい」と聞かされる方が楽。

口にしたことは、現実に起こる気がして。

実際、義両親は年の割にはものすごく元気で、夫の老化の方が目立つくらいで「(両親より)オレの方が先に死ぬかも」などと言葉にすることもある。

夫がそういったことを言うことが、正しいかどうかということは置いといて、「医学が発達して長寿社会もいいけれど、老々介護も絡んでくることも含めてしんどい」とは、実は社会全体が抱える問題なのかもしれない。


だけど、意外と親孝行なのよ。うちの夫は。🤩ということも、ここに付け加えておこう。

よほど自分自身が年をとって疲れてきているのか、最近になって、時には、親に口汚く攻め寄ったりもすることも見られるようになったけど、ものすごく会話をする。
義両親は、とても嬉しそう。
義両親ふたりだけの生活だったら、味気ないだろうね。

義父は義母を置いて毎日出歩く。(もうすぐ91歳の元気な老人!)
ふたりで何かをするということは、めったにない。
ふたりでどこかへ行くのは、一年に一回あるかないか。

特に義母の性格を知っているからこそ、気を使ってでも、夫の方から話しかけているのがよく分かる。

義父の晩酌の相手は、夫。

もうそれだけでも、親孝行だと思うな。私は・・・。


だけど、そのまま終わりを迎えることができたらいいけど、待っているのは義両親の介護かもしれない。

嫁いでくるにあたっては、それも覚悟していたけど、いざいろんな時期を経て、その時を迎えることを想像すると怖い。

義父今年91歳。義母今年87歳。

その年で、生活費以外のことは、一切私たちに手をかけないで動いてくれることは、ものすごく感謝している。

世の中のそれくらいの年齢の親がいらっしゃる方は、実際「介護」をしていらっしゃる方はたくさんいるだろう。

「note」で他のクリエーターさんの記事を読んでいても、義両親の介護をされている女性の方もいらして、近い将来やってくるかもしれない現実を垣間見させていただく思いで、記事を読ませて頂いている。

「介護」の実態どころか、人が老いていくさまを目の前でアリアリと見たことがないので、「介護」も「老い」に関しても、未知の世界で、得体のしれない不安として、時として押し寄せることがある。


あとは、自分自身のこと。

嫁いだときには、自分が命尽きるまで農作業をするつもりでやってきたが、今現在のことろ、息子が継ぐかどうかは分からない。

夫が亡くなったそのときには、生きがいにしている農作業がなくなるかもしれない。

そのときには、ご近所さんにシルバー価格にて雇ってもらおうか。それとも、義母がやっている野菜畑が空き次第、つぎはわたしが野菜作りに精をだそうか。

それと、庭の手入れに精を出そうか。

老後の生活を少し想像して、いささかの心配が頭をよぎる。

子供には迷惑をかけないように、これから老後資金を貯めないとという焦りもあるし、自分の身体もいつどうなるか分からない。


ありとあらゆる不安を想像して、心配になるのは、それだけ自由な時間が増えたからだろうか。

自分ももうすぐ老人の域に入るからだろうか。

若いころと違って、まったりと時間が過ぎゆく今だからこそ、不安をあおる要素が湧き出るのかもしれないけど、別の気持ちも自ずと湧いてくる。


何も起こらない、ふつうの毎日を過ごせるのは奇跡。

ふつうの毎日を、過ごせることに感謝して過ごしたい。

その一瞬一瞬を幸せと信じて、何かが起きる、その時まで楽しむしかないよね。

それまでは、あまり深く考えないでおこう。

ヨシ!決まり!✨

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