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ご縁玉

 「ねえ、お母さん、なんでこのお金、赤い紐がついているの?」
「それは、五円玉だからだよ。5円玉を持っていると、良いご縁があるんだよ」

そんな会話からはや20年弱。当時幼稚園生だった私も、社会人3年目として、社会で揉まれている。その時の記憶が少し蘇ってきたのは、仕事帰りの帰り道、コーヒーを買ったときに、出てきたお釣りが紐付き5円玉だったからだろう。

 ただ、信じられないことに、記憶が蘇ってきたのは、私だけではないらしい。つまり、5円玉を手に取った瞬間、その5円玉を使ってきたい人の記憶がばっと、台風の時の雨風のように、私の頭に流れ込んできたのだ。
まさか…お金は物を買う手段でしかなく、まさかお金が記憶をためているなんて…
流れ込んで記憶のほとんどが、日常における些細な買い物で使われている光景であった。ただ、それ以上に、「見つめられている」光景も多くあった。時には、私がそうだったように小さな子から、時には、若者、おじいちゃんに至るまで。

この5円玉は、みんなの記憶を繋いでどうするんだろうか。ご縁玉だからなのだろうか…でも、私は他の人の記憶を知っても、何もできない。ご縁があったからとしても、何もできない。このしゃべらないで記憶を繋ぐだけの5円玉になんの意味があるのだろうか。私も使ったということは、私がコーヒーを買った記憶も、今、この5円玉と物思いに耽っているこの瞬間の記憶も、次にこの5円玉を持つ人に見られるのだろうか。
でも私は、その誰かを知り得ない。一方的に記憶を結ばれても、それを知る術はない。でも、それは、この5円玉だけでなく、全てのお金に言えることではないか。私たちは、一方的な記憶の結びつきにより、貨幣経済に生きている。それでしか生きれない。そう考えたら、とても虚しくなった。

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