俺的今年ベスト!今すぐ劇場に行こう!!「グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声」
はい、こんにちは
公開初日に見てきました
実はレカペの招待状も当たっており
イベントにも参加していたので
一ヶ月ほどワクワクが止まりませんでした
「グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声」
今回はその映画評をしていきたいと思います
それではレッツゴー
★五段階評価
映像 ★★★★★
シナリオ ★★★★★
アクション ★★★★★
キャスト ★★★★★
音楽 ★★★★☆
※書く意味あるのか??笑
音楽に関しては
ハリーグレッグソンウィリアムズの職人芸が光る形で主張しすぎない絶妙なバランスだった
ただ
今作においてエピックなテーマをもう少し聞きたかったというのはある
ハンス・ジマー門下の弟子筋の人だが
音楽は師匠越えしてないような気もするw
前作のハンス・ジマーの曲が良すぎるというのはあるので難しい話
マイナスにはならない要素ですが個人的な願望で一個減らした
以下、ネタバレ全開で行きますので
気になる方はすぐに映画館へ行って見てください
様々なレビューなんか読む前に、ハッキリ言って
実質無料です、おつりが来るぐらい良い映画なので
映画館で見ておかないと損です
室○○次なんか見てる暇があったらこっちを見ましょう!爆
200億円程()掛かってる映画を2000円程度で見れるなんて
リドリー・スコット監督はほとんど金をばらまいてますよww
心の叫び
・サブタイトルがマジでいらな過ぎて邦題どうにかしろ!!!!
・デンゼル最高!!!
・「パワー」すぎる映像美で映画観客を魅了しやがって
マジで86歳とは思えないぐらいどうかしてるぜリドリー爺ちゃん!!!w
ちなみに割と
なげーっすwww
m(__)m
ちょっと与太話
グラディエーターがもたらしたローマ帝国ブーム
というのがありまして
グラディエーターが当時大ヒットを記録して
何より当時のCGで今見ても違和感のない出来に
子供だった自分も初めて見たときは度肝を抜かれた
そのローマ帝国ブームがエンタメ産業において
ドキュメンタリー、テレビ番組(主に世界ふしぎ発見w)
ドラマ、ゲームにも及んでいったのは皆さんご存じだろうか
一作目はそれくらいの社会現象を巻き起こした作品である
それとリドリー・スコットについて少し語った記事はこちら
!!!!ネタバレ注意!!!!!!!!
リドリースコット初の正統続編
前作公開から25年っと
四半世紀たってグラディエーターファンを
待ちに待たせて新作公開!!
というわけではなく
グラディエーターが好きな人ほど…
1作目の物語からどうやって飛躍させて2作目にするつもりなんだと
そもそも前作はオスカー受賞作品ということもあってハードルが上がりきっている状態からのスタート
自分もまさにそんな感じで不安を感じておりました
見てみたら、そんな不安は一気に払拭されるくらいの映画の出来映えに満足しました
押井守監督がインタビューで
「良い映画は喉が渇く」
っとおっしゃっていましたが
見た後は自分も喉が渇きました。
文字通り血湧き肉躍る作品とはこのこと
ジェンダー問題などなんのそので、男性映画として男臭さ満点の映画に仕上がっておりました
何より昨今の大作ハリウッド映画では見られない
生首!あんな生首が見られるなんて!!笑
しっかりと外さない暴力描写に流石!!
うなりました
リドリー・スコットの演出力
いわゆるマチズモが光ってしまう本作ですが剣闘士
として戦う者を主人公に置いてそれを語らないというのがおかしな話でもあり
リドリー・スコットのマチズモが見て取れる映画になっております
まぁとはいえリドリースコット監督は最後の剣闘士という映画もあるように、その男性批判目線を全開にした映画もありリドリー・スコット自身はしっかりとマチズモに対するその批判的目線を自分自身に
向けられる人なんだと思っています
今回のマチズモに対する批判的目線は少ないですがそれ自体があまりテーマと絡み合ってないので描く必要もそこまではないのかなと思います
とはいえ。
ただそこはやっぱりリドリー・スコット監督
ローマ帝国というのがマチズモ的な権力とパワーを兼ね備えた帝国主義的侵略世界というところで描いております
人間ドラマとしてもデンゼルワシントン演ずるマクリヌスを通して描いていて
それらが構造的に複合的に絡み合う事で一つの映画ができている
はたして映画の決着地点はどこにいたるのか?
冒頭から結末まで本当に無駄がないドラマが展開されておりました
愛と愛を持たざる者
主人公ハンノは故郷ローマを離れ、同じく戦士の妻と一緒に畑仕事をしながら農民生活していた
しかし、そこにアカシウス将軍率いるローマ帝国が攻めてきてしまう
アカシウス将軍は度重なるローマ帝国の侵略戦争により疲弊しきっておりローマ帝国と圧政を敷いているクソ皇帝二人に対し不満を持ちつつ任務に就いていたが、その戦いの中でハンノの妻は命を落とし
ハンノはローマ帝国の捕虜となり奴隷の剣闘士として戦う事を強いられつつ、アカシウスに対する復讐心を燃やすのである
一方、その復讐心と怒りを利用して権力の座を虎視眈々と狙うマクリヌスがいた
アカシウスに対するハンノの戦いは文字通り映画を盛り上げる重要な部分ではあるのだが
奴隷商人のマクリヌスとハンノの「戦い」のドラマが非常に面白い
劇中盤
ハンノの正体は一作目の皇帝の姉ルッシラの息子
ルシアスということがわかる
つまり、皇帝の血統である
ルシアスはルッシラからは愛情を一身に受けたが皇帝の血を引くということは同時に命を狙われるということである、クソ皇帝コモドゥスが死んだ後(わーい、うれしい)その皇帝の座を奪わんとするモノたちからの刺客から逃げるためにルシアスだけルッシラがローマから脱出させたのである
ルッシラは絶対に助けに行くと幼いルシアスに言い聞かせて、、
放浪先で過ごす少年ルシアスは母親が助けにくると信じていただろう、だが母親はルシアスの助けに現れなかった。そしてルシアスはその最愛の母親に対しての愛と信頼を地獄のような現実に向き合う日々で殺そうとした
しかし、心の奥の底にはルシアスには最愛の親から受けていた愛が残っていたのだ
母親が命を投げ打ってでも与えた無償の愛は地獄のような日々でさえ殺せなかった、いやむしろその程度では消えなかった
ルシアスは愛を殺したように言い聞かせても、本当は愛を欲しかつ愛を持っている男なのである
愛をもてばこそ愛を与えることができる
その先にルシアスは放浪しつづけたあとに見つけた妻の存在によって更なる愛を見つけたのである
ルシアスは擦り切れる地獄のような現実での生活の中でも愛という人間にとって大切なモノだけは根本的に持っている人間なのである
それこそが巨大帝国ローマにとっての夢であり為政者にとっての必要なモノである、何者でもないものでも何者かになれる自由で開かれたローマの理想である
ただ彼は今やただの奴隷にすぎない、その何者かになるためには生き抜く力を最大限に使いサバイブするしかない
あの世で待っている妻の元に行きたくても復讐心と幼い時より教えられた「ローマの夢」そのものが彼を死にたくても死なない運命にさせている、まさに宿命なのだ
一方で…
奴隷商人の元剣闘士マクリヌスだが彼はどこかの地で奴隷の剣闘士となり、(たぶんアフリカの黒人奴隷出身)
剣闘士として上り詰め、自由を得た人間なのである
が、彼の根本はローマ帝国に対しての怒りと憎しみ復讐心しかない。自分を貶め辱めたローマ帝国というモノに対しての果てしない憎悪である
マクリヌスはルシアスに言う「怒りを持てその魂を忘れるなそれが英雄となる」っと
それは自分自身がおそらくその旨の中で戦ってきた証拠だろう
ルシアスもまたローマ帝国に対しての怒りと憎しみはあるが
それしかもっていないマクリヌスとは違うのだ
運命というのは残酷である、ここで利害は一致してしまっている
マクリヌスはルシアスをルシアスはマクリヌスを利用して
己の目的を果たそうとする
しかしマクリヌスは野心しかない
最後はその野心とローマの夢を体現しようとするルシアスとの戦いになる
その野心と夢の戦いをマクリヌスは一蹴する
「法に守られ秩序が安定して誰もが平和に暮らせる国などない、それは幻想だ、空想だ世界は全てが弱肉強食だ、パワーを手に持った人間、支配できるモノが真実だ」
マクリヌスの言う事は、真実、は正しい
現実における解決策と目の前の問題を解決して行くにはパワーがいる、それそのものが大事なのだと
この映画の見方において大切なのは何か?
その時自分はどうするのか?という問いだ
理想をもってパワーを持つそして夢を実現できる事なのか
そんなものはいらないと言ってしまえる覇道のことなのか
どちらも正しい
この映画は答えまで出す
最後にはルシアスが勝つのだ
内戦をやめ武装を放棄させローマを一つにする
フィクションや物語が語るべきは正にここであると自分は思う
絶望のふちで生きてもなお生き続け理想を現実にしなければいけない
心そのものである
甘い物語だと言う人間もいるだろう
だがそれを持ち続けて生きる人間の肯定をしなければ
フィクションがもつ本当の意味でのフリーダムは体現できないし伝えられない
人文知が本当の意味で現実に作用させるためにはこういった映画こそ大事なのである
と思うのである
支配する者とされる者
奴隷と奴隷商人、皇帝と民、民と貴族、民衆と乞食
乞食と奴隷
様々な形でローマ帝国そのものの世界観を表現している
その手法は対比である
格差であり隷属関係そのものの俯瞰して描いているのだ
主人公は奴隷である殺し合いをしなければ自分が死ぬのだ
しかしそれでさえ良き身分に思えてくる
なぜならローマで生きる人々には、明日のパンですら食べれないものが、大勢いるのだ
実力さえ有れば生き残れて衣食住に困らない生活が保障された剣闘士の捕虜生活とはわけがちがう
主人公がローマ帝国の首都ローマに辿りついた時に街郊外にある
門の下で主人公は奴隷馬車に揺られて言う
「ローマは華やかで豪華絢爛だ、だが街に騙されるな、この町は病んでいる」
やはり皇帝の血統だ、ローマそのものを俯瞰して見てもいる
その時この門の上にはロムルスとレムスというローマ建国者であり伝説の寓話の像があるオオカミに育てられた兄弟の象だ、そして後に権力争いをするこの兄弟は兄弟間で殺し合う事になる。まるで劇中のローマを象徴するようであり権力争いそのものの象徴でもある
ローマ帝国のこの病気そのものが治るには
ローマ帝国を滅ぼすしかない、もはや国そのものが巨大な沈みゆく船として表現されている
そこに生きるモノはまた皇帝ですらもその沈みゆく船の内の一人なのだ
皇帝となり権力をもってしてもローマ帝国に従属する奴隷のような身分だ
いくらローマに身をささげても待っているのはむなしい死なのである
後世に語り継がれてたとしても何もないむなしい過去にあった出来事として忘れ去られていく
真の主人公
この映画の真の主人公は前述したものをある意味で
すべて内包しているようなデンゼルワシントン演じる
マクリヌスだろう
マクリヌスは映画の中で
パワーを求める狡猾な男だ
しかし、この地獄のローマ世界においては圧倒的に正しい、彼はそして能力も高く頭もいい
ローマそのものが生み出してしまった産物ともいえるし
だからこそ、ローマはここまで発展したのだともいえる
しかしマクリヌスが考えるのはローマへの復讐だ
つまり世界の破壊である
そこに創造はない継続したい未来もない
ローマが生み出した男が
ローマを破壊するという
圧倒的な皮肉である
ドラマはこうでなきゃ面白くない
こうなったのは彼の責任だけではない
ローマ帝国というシステムというものの恐ろしさだ
システムで生み出されてしまった悪は強く根深く
そして手ごわい彼こそがこの映画のある意味で
主役であると思う
やはり
この映画は傑作だ
ストーリーが構築する世界観
ローマ帝国が豪華絢爛なフリーダムアイランドではなく
汚物にまみれ病気のような誰も住みたくないような街を持つ
こうなってはならないという国の描かれ方はさすがとしか
いいようがない
この国にいることはすなわち
主人公ルシアスやその他登場人物にとって
終わっている、詰んでいる状況なのである
どんなにもがき苦しんでもその社会システムは続くし
その中で生き続けなければならない現実的な辛さがある
ただでさえいつ死ぬかわからない中で生きている人たちにとって
国家が全く信頼も信用もならない状況とは
想像するだけで身の毛がよだってしまう
リドリー・スコットの「対決」
御多分に漏れず今回もまた
リドリーお得意の「対決」ものだ
対決とはぶつかり合いであり
プライド、人間の生きてきた人間性の発露ともいえる
対決を通して描くことで人間の社会システムまで
描き切れてしまう
リドリー・スコットにとっても腕の見せ所が発揮できる
今回の映画の題材は
素晴らしい入れ子構造でストーリーが描き切れている点が
シナリオにおいても本当に素晴らしいと言わざる負えない
その他細かい見どころetc
もはやすべてが見どころすべてが見放せないと行ってもいいが
やっぱり大迫力のサービス満点の戦闘シーンと
バイオレンス描写の数々だろう
豪華な衣装、豪華なセット、豪華なキャスト、最高の監督
豪華な話、すべてがマッチしていると思っている
サイの戦闘シーンはほんとによく考えたなと思う
アクションシーンでキャラクターを描くのは容易ではない
マキシマスがやっていた土のにおいをかぐしぐさを
戦闘シーンで生かしきることもやっている
脱帽しかない
そもそもサイにどうやって勝つねん
というオリジナリティのある戦い方もいい
そこに答えを出している
映画で表現できる世界観を本当に描き切っているのがすごい
ルシアスとマクリヌスの一騎打ちのシーンまでいく
クライマックスの展開の速さと豪快さもあり
この映画のストーリーラインの描き切る姿勢にびっくりしてしまった
あとがき
見た後に室井〇次のことを考えていた
マジでこの映画の公開日に合わせてくるなんて
正気の沙汰とは思えねーぜ!!
もしかして自分たちのブランド力で
この傑作映画を本気で超えられると思ってたら
カラカラ皇帝も真っ青だよ!!!
世界の亀山モデルってそういうこと??
お前がローマ帝国だよ!!フ〇〇レビ
まっ悲しいけど日本の観客は
室井を見に行くんだろうな
本当に映画の力はすごい
200億も数千万も変わらない劇場で見れるのだ