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グラディエーターⅡを救いたい、グラディエーターⅡ批評の批評

はい、こんにちは
リドリー・スコット大好き
グラディエーターⅡ大好き勢の
リドリー山下でございます

鑑賞直後の自分のレビューはこちら

はい、今回は
グラディエーター2が面白くなかった
もしくは、
色々と疑問に残っているものがあり
むしろ、あんまり楽しくなかったという
批判的意見を受けた上での自己批判込みのアンサー的な記事になります
書く事が、たくさんあり過ぎて書ききれるか微妙です
それと基本的には批判をいろいろ読んだ
うえでも自分は最終的には肯定的にとらえているので
そのあたりが全く受け取られない方は
考え方が平行線で相いれないので回れ右でお願いいたします
考え方が平行線になること
それ自体が別に悪いわけではないと思っています
どうやっても受け入れられないのってあるものだと思うので

それではレッツゴー!


今作において自分は
普通に、心の底から楽しめてしまいました
しまいましたと言ったものの
じゃあグラディエーター2に対して全く不満がないかというとそんなことはないです

概ね批判的部分箇条書き抜粋


・前作に比べてカタルシスがない
・主人公の内面が薄い
・主人公の影が物語通して薄い
・主人公が皇帝になるまでのストーリー性が駆け足すぎる
 もしくはご都合主義的
・主人公が強すぎる、もしくは、弱すぎる
・人を束ねる指揮官としての説得力にかける
・主人公の言動と行動が一貫性が欠ける
 →主人公が一貫性を感じさせるには描写が薄い
・主人公が最後にローマ帝国再建としては理想論を見すぎてローマがやってきたことに臭いものに蓋してる
・あの時代に黒人のマクリヌスがあそこまでの地位を確立できたのか?
・マクリヌスが日和見過ぎる
・マクリヌスの復讐心の抱くに至った動機が薄い
・海戦シーンがやりすぎ
(一応、模擬海戦が史実としてやったとされてるのは知ってる?)
・海戦シーンはあってもいいけどサメはやりすぎ
(一応、模擬海戦の時に海獣が放流したとされてるのは知ってる?)
・そもそも1作目からの2作目は不必要だったのでは?
・そもそも2作目の設定にわりと無理がある
・点描的に描かれる見せ場
・曲者の脇役がいない
→剣闘士の個性が立ってない
・ご都合主義的展開が目立つ
・カタルシスが薄い
・歴史の事実関係がぐちゃぐちゃ

などでしょうか?
上記に挙げたもの以外でもあれば書き込んでくださいw
とはいえむしろ自分はこの上記にあげたものも
全部正しいとは思ってますしその通りだと思います
その上でもあえて
面白かったなー!って心の底から思います笑
むかつきました?笑
だってすいません、楽しかったので

本作はリドリー流サービス映画であり大衆娯楽作品

上記の批評をわりと
まとめちゃうと
「前作の持っていた濃厚な部分が薄くなって描き方が雑になってしまった結果、重厚感も失われて物語が歯抜けになってしまい伝えたいことがいまいちな作品になって結果としてカタルシスが弱い」

まあその通りだと思います
自分もそのうえであえて言いますが…

「これってリドリー・スコット流のサービス映画ですよ?」
巨匠のインタビュー 

今回、私が本作のテーマとして観ていたのは“続編に挑戦したサー”です。時系列でちゃんと繋がった続編は初めて。それはもっとも困難なテーマだから、監督としては驚くほどチャレンジング。しかもサー、今年で87歳だからね。その年齢で初めてのことに挑戦するのはなかなかできることじゃない。

前作は、物語もきれいに完結していた。そこから物語を続けるのはフィルムメーカーとしては相当ハードルが高い。ただコロセウムでグラディエーター同士を闘わせればいいという問題じゃないし、実際、ストーリー的に見ても苦労しているのがよく分かる。そういう中で上手にまとめてくれたと思います。

鑑賞直後に直撃インタビュー!
押井守監督が観た『グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声』<前編>


── ルシアスはどうです? 復讐の権化のわりには、早めに怒りが収まった感じがしましたが。

押井 ラッセル・クロウほどの存在感はない……というのもクロウが本当に凄かったからそういう印象になってしまうんだけど。クロウひとりがあの映画を背負っていたというか、背負うことができていた。だからサーもその後何度も組んでいるでしょ。それこそスペシャルな役者なわけで、同じことを今回の若手俳優に求めるのは酷ですよ。

復讐の権化が怒りを収めるのが早いといっても、ずっと怒りをためていたら別の映画になってしまうじゃない。小さい話だったらそれでいいけれど、こういう大作の場合は間口を拡げて、観客の共感を得られなきゃいけない。だから「最大の復讐というのは相手を赦すことだ」云々というセリフが何度も口にされる。ちゃんとセリフでフォローしていて、それをルシアスが実践したことになっている。しっかりプロセスを踏んでいるんです。

鑑賞直後に直撃インタビュー!
押井守監督が観た『グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声』<ネタバレありの後編>

リンク先の記事で触れてもいたけど
三途の川の描写よかったよね、、、
言いたいことは押井監督が言ってくれとるなww
それ以外で書いていきたいと思います
被っちゃうけどw

誰かの言葉を借りてホレどうだ見たことか!
みたいなのはそこまで好きじゃないのですが
つまり…あくまで本作品においては
・前提として映画で何をよしとするか?
・そもそもリドリースコットにハマっているかどうか
・そもそもリドリースコットという映画人はどういう人か
・監督が描きたかったものは何かを理解しようとする心があるかないか?
だと思います

リドリースコット映画の見方


自分なりに回答すると
B級映画を超豪華に花を添えて描ける職人監督
なんですよ
根底は
芝居そのものや演技などに興味がないw
自身もインタビューで
過去に三本程シナリオを書いてみたがうまくいかなかったっと言っている
そして、物語は自分の武器である
映像で物語を語る事
だからこそ
映像そのものの理解度と映像美で押し切るだけのパワーがある
それこそが世界観を作り出すことのうまさになっている
信条やビジョン
世界観そのものを映像で映し出せる稀有な監督といってもいい
つまりあえて言うんですけど
雑にとらえられるドラマの中に
映像そのものへのこだわりを感じられないとあんまりおもしろくないw

芸術性、大衆性との塩梅


前作から比べると
芸術性は弱まり、大衆娯楽性が増した本作
ではあると思います
一作目のマキシマス復讐譚としての人間ドラマがしっかりと描かれていたものに比べて本作はそういった主人公の内面的な葛藤がもたらすカタルシスは薄い
今作の主人公、ルシアスは冒頭で妻を殺されて以降、内面としては、ほぼ、ある意味で無敵の人の状態
確かに将軍に対しての復讐心はあるものの前作にあったような主人公のストイックさを持つにはあっさりとし過ぎていてみているし、観ている人たちに軽い印象しか与えられず、物語のグルーブ感は損なわれていると思う
主人公の語り不足
前作は復讐譚として上手く小さくまとまっているからこそカタルシスにつながっていた
前作にあった指揮官としての資質が描かれていればこそマキシマスが剣闘士になった時の強さが光った部分も今作では少ない
脇役の方がむしろ輝いている
アカシウスが主人公の物語だったらっと思うと
前作に匹敵するような悲劇になったかもしれない

そして思う

エイリアンとエイリアン2あなたはどちらが好きですか?


ちなみに自分は
どちらも方法論として面白いと思ってしまう人間です、そして
エイリアン2を芸術性が損なわれた大衆娯楽化した作品に成り下がってしまい、つまらなくなった
というのが概ねの批評だろうと思っています
ちなみに自分の大好きな監督のジョンマクティアナン監督は
とある映画のオーディオコメンタリーで
エイリアン2は作らなくてよかったって言ってましたね

これって芸術性と大衆娯楽性
映画における課題だとは思ってます
とはいえそのバランスを極限まで高めて普遍性を得る事が映画に常に求められてる事ではあるのだと思ってます
その上でグラディエーターの一作目はどちらのバランスも上手く取り入れていた傑作であることは変わりない
前作を超えられるか?という視点が自分はそもそもちょっと違うのでは?っと思っている
前作そのものが傑作であるなら別軸の傑作であればよくそれそのものの面白さが大事だろうと
映画においては思います

映画の見方の違い


自分はグラディエーターⅡ刺さってしまいました
っというのも
前述したそのサービス精神である
たしかに色々な上記にあげたようなほころびはたくさんあったかと思いますがそれでもそのほころびが自分では認識できなくなってしまうくらい
映画そのものの映像的美しさに魅了されてしまったのです
そこがリドリー・スコットの手腕だと思っている
映像で殴ってくる映画体験
ただ、同時にそれは
ストーリーの語りとしては、雑だという評価もあるかもしれないですね
なぜなら
ガワが良けりゃ何してもいいのかとw

今作における功罪


グラディエーターがシナリオもキャスティングも音楽も
全てはまってしまったがゆえに
リドリーという「資質」が拍車をかけ
傑作に押し上げた
そして今作においては
リドリー自身の資質によりその濃度が薄まった
そういう意味では
リドリーのクリエイターの功罪もあるが
僕はそれは許せる人間なんですw
いや許してしまえるw弱さですね

自分という人間


ここから自分自身の話ですが
映像的な豪華さで納得してしまう人間ではある
ただそこには美学が欲しい
監督の目線からくる個人的な美学
ザック・スナイダーやマイケル・ベイが嫌いになれないのは
小手先でない美学を映像から感じるから
日本の映画監督では
石井隆監督は好きでしたね‥
庵野秀明、実相寺昭雄、塚本晋也、黒沢清などなど

商業のためだけに作られて
雇われ監督として演出しているような
コンテンツとして消化されるだけのものにはそこまで興味がない
(往々にして日本のテレビドラマ出身の監督とはあまり合わない・・)

ただそこに商業映画でも美学があると話が別
リドリースコットはその塩梅がほんとにうまい
でも
映画監督の資質ってやっぱそこじゃない?
って自分は思うんです
自身のやりたい事を落とし込みつつ
プロデュースの(制作費やめんどいこと、大人の事情、マーケティングなど)を織り込んで仕上げる
リドリースコットはCMを3000本以上作って業界を渡り歩いてきた
ある意味映像職人
そもそも多分グラディエーター2においてはドラマとして
デンゼルの役を掘り下げた方が絶対的に面白くなった
ただあくまでグラディエーター2として剣闘士の物語にする
僕は別に
金払ってんだからそんなことは知ったことか!楽しませろよ!
クリエイターの事情なんて知らん!
っという意見があるのは重々承知でして…
映画として何が好きで自分はどういった目線で映画をみているかを
問われているという事が言いたいわけです
とはいえ
自分はやっぱり脳みそがただの映画好きとして
映像が俺にハマっちゃうんだから物語として多少愚劣でも
勢いがあると吞まれちゃうとこあるなと
自戒を込めて思いますw
そもそも
あれ?これアカデミー賞いけるんじゃね??っと見てる間
一瞬おもいましたしw

ある意味
作品そのものを通して
自分が作品と会話していく
それ自体が作品を見て対話するということ
アートや表現物のもつ意味かなと思いますね
リドリースコットは美術学院を出ているだけあってそこを
盛り込んでいくのがうまいなあと思います

理想論を振りかざすのが嫌い、ご都合主義的勢

まあ自分はやっぱ
リドスコ流のサービス映画として前提に立った時に思う
だからむしろそれ描かないでどうすんの?っと
全部がそうしろとは言ってない

前作で少なくとも描いてることをやるよりも
本作品として別軸のアプローチで挑戦するそれは大事な事だと思います
ので
その心意気を自分は称賛したい

この映画における社会提起も
マクリヌスを通じて
ストーリーテリングの中に自分は感じました
時代背景と状況は違っても権力に固執している
したたかに破滅をたくらむ人間がいる
そいつが権力を持った時にどれだけの人がやばいことになるかもしれない
と想像させる片鱗を見せてくれた
元老院もただ拍手してOKというしかないただの保身しか考えてないバカしかいないという事
(この部分がわからなくて吠えてる人いましたけど大笑いしたあなたの感性は間違ってなくてただ読み解き方がちがってますよっていいたいw)

あとがき

物語性に何を見出すかってのは人それぞれなのでマジでそこには
なんも批判的意見ないです
作品そのものの見方として多様性はあってしかるべき
自分としては
作品に対して
何をどう見ているかのリテラシーが低い()と感じる場合があったので
その部分が足りない意見沢山あるなあと思った次第です

もっと書くことあるぞ――――
疲れたぞ―――
一旦終わりww

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リドリー山下の映画人生
読んでくれてありがとうございます!自分もめちゃ嬉しいです!笑笑、良ければフォローよろしくお願い致します^_^