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循環してる世界

循環という言葉があります、みなさんは使いますでしょうか?


私が生きていく中で、この言葉を使うことは全くありませんでした、しかし調和に触れることでこの世界が循環してる世界だということに気づかされてから使うようになりました。


では循環とはなんでしょうか?
今回はこのテーマで探究させていただきます、私の視点となりますが良かったらお付き合い下さい。


循環とは?

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循環の意味を調べていくと…
ひとまわりして元にかえり、それを繰り返すこと…と出てきました。


ではこの地球で繰り返させることとはなんでしょうか、見ていくと…


1日から始まる循環があります。

それは、
昼と夜の循環が今日となり、

今日を繰り返す連続が季節となり、

季節を巡る春夏秋冬の循環となって、それが一年となり、また元に戻り繰り返しています。


ザックリとですが、日本の場合は季節が豊かなので、1年を見てもこのようにな循環があることに気づく方もいるのではないでしょうか。


ここだけを見ても、循環は私たちと密接な関係をもたらしていることが見えてくると思います。


そして、この循環の均衡(バランス)が調和の成り立ちでもあります。



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循環からなる調和

先程の1日〜1年の例えを使って調和を簡単にお伝えすると…

昼と夜の均衡が1日という小さな調和の日々となり、

1日の小さな調和を繰り返しが、季節という少し大きくなった調和です、

そして季節を循環したのが1年であり、さらに大きな調和となります。


そして、この調和の領域をもっと広げていくと、心と宇宙の調和関係へとなっていきますが、まず大切なのは1日という小さな調和の中に私たちは存在し、生かされていることを知ることです。


つまり循環(廻る)と調和(バランス)が成り立つ世界です。


そして循環がもたらす、調和とは時間があるからこその成り立ちです。


なので私たちの1日という時間を表現してくれる、太陽と月という調和を見ても、

「太陽という躍動溢れる情熱」と「月が伝える美しさの中にある儚さ」、

「太陽が地球を照らす活力」と「月が浮かぶ宇宙の見せる静寂」

とも例えれる、光と闇のコントラストの空間を時間が教えてくれています。


まぁこれは私的な表現なんですが(笑)



ここまでで、循環と調和を知らなかった方でもその関係をなんとなく知っていただけたと思います。


では循環しないとどうなるでしょうか?


例えば、水が循環しないと…腐ります、


血液も循環しないと、酸素が送られず私たちは死んでしまいますよね、


日本の季節も春→夏→秋→冬という循環を得て1年となります、来年は夏→冬→秋→春になる1年なんてことはありません。


このように循環とは「地球の真理」に基づくルールであり、崩れると調和(バランス)が保てなくなる仕組みです。


そして私たちの生死もこの「循環システム」のもとに成り立ちがあります、それを「転生輪廻」と呼び、私たちが死を迎え、生まれ変わる循環の視点があります。



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転生輪廻の循環

死を迎え、実在界に帰る、そして新たな生命とし生まれ変わる循環があります、


しかし、死を迎えた時にある「思いが強い」場合はどうなるでしょうか?


強い思いは執着となります、執着はとても重い波長のことです。


そうなると生命の循環どころか、実在界という私たちの実家に帰ることも難しくなります、


執着とは留まることなので、今度はこの留まった「執着という空間の中での循環」が始まります、


この執着を繰り返す世界が「地獄」と呼ばれる世界です。


この執着を改めない限り循環は止まらないとも言えます。


この話しは、何度もお伝えさせていただいてますが、今回は循環という視点からお伝えさせていただきました。



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愛の循環

最後に、愛も循環という話しをお伝えさせていただいて今回は終わろうと思います。


「私のこと愛してる?」
この言葉は、誰もがどこかで聞いたことのある言葉かもしれません。


これは、愛の確認をしてるってことですよね、では何をもって確認してるのでしょうか?


それは「して貰ったこと」で愛を測ってるってことになりますよね。


例えばそれがプレゼントだったり、表現だったり、想いや感情だったりと様々です。


今の時代、「貰うことが愛である」というトレンドがあります。


では愛の循環があるとしたら、この「貰う」ことだけでは循環とはならないことを、今までの話しで気づいていただけると思います。


では愛を循環させるためには何が必要なんでしょうか?


それは「無償に与える(あげる)」です。


ここで、親が子供に対する愛に視点を合わせていくと…親の愛とは基本「与える(あげる)」ですよね、


子供が「私を愛して!」という、親から「愛を貰う」表現があったとしても、


親が「私を愛して!」と子供から「愛を貰う(奪う)」表現は違和感があると思います、親から子への愛とは基本「無償に与える(あげる)」という愛の行為になりますよね。


この場合、
親が「無償の愛をあげる」に対して子供が「貰えるありがたさに気づき、感謝の言葉を伝える愛」こんな流れから愛の循環が始まると私は思ってます。


これは親と子の関係だということもあります、しかしこの循環を「愛の基本」として、他の人同士で築くことできたとしたら、この世界は大きな変化をもたらすと私は思ってます。


「見返りや貰う」ばかりに意識するのでなく「見返りなくあげる」そして「して貰ったことを感謝に変え」その「貰った愛を違う誰かに分け与える」そんな循環のある世界…素敵と思いませんか?


今回はここまでとさせていただきます。


このブログが何かのきっかけとなれば幸いです、お付き合いいただきありがとうございました。

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