浦島、カフカ没後100年に毒にあたる。
本記事はフランツ・カフカ没後百年とは何ら関係ない内容になりますが、昨年7月3日にカフカ生誕140年で記事を上げたので、没後百年の今日中(2024年6月3日……投稿している今、日本は既に4日ですが)に無理やりこの話題をねじ込んで記事を上げておきたいなと思いまして。
繰り返しになりますが、拙長編小説『その名はカフカ』は作家のフランツ・カフカとはほとんど関連性がないものでして。よって、冒頭の漫画及び以下に書くことはまったく没後記念とは関係ありません。こじつけてボソっと書き留めておきたいことがあるだけです。
現在『その名はカフカ 2』を出すべく少しずつ校正しているのですが、『2』の前半となる第三部Disonanceは書き終わってすぐにWordにコピペしておいたので、今久しぶりに読み返している状態です。
それでワタクシ、のけぞったのですよ。
え、私、こんな内容のものを、ネットに載せてんの?と。
ええ?げーえるうーのこととか、かの国の共産時代のこととか、私、ここまで書いてたんだ??と……。
で、冒頭の浦島、工作員の仕込んだ毒で潰れそうになっているのです。
今のところDisonanceを下書きに戻すだとか、そういった対策は取っていませんが、正直怖くなってきましたよ、過去の自分、というかノリノリで長編を書いている時の自分が。
タグに「フィクション」って付けてるから~、とか何とか思ってるんでしょうけど。
以上、こんな心理状態に陥っている時にちょうどフランツ・カフカ没後百年記念でした、という覚え書きでした。
【長めのおまけ】
今日はチェコの西のほうにある街(カフカ第二部第四話で「○○マフィアの巣窟」と言ってカーロイが大ウケしていた街です。ぷぷ)から美術科の高校生がプラハに日本文化の勉強に来る、というイベント(学習会、とでも名付けられますか)で、一時間ほど書道・墨絵に関するデモンストレーション付きの授業をしました。
週末この授業の準備をするにあたって、いろいろな大きさの作品を観てもらったほうがいいだろうと思い、古い条幅半切の書道作品の練習作を引っぱり出してきました。しかし、この大きさの書を持って行くのなら同じ大きさの水墨画も持って行くべきじゃないかと思い、日曜日に即席で描いてみたのですよ。
まだ水墨画を条幅半切に描いたことはなかったのですが。
さすがに35 x 136 cmは大きかった(長かった)。間延びしました。
でも持って行きましたよ、どうせ遠目に全体像は誰も見ないだろうしと思って。
他にも「書道用紙と言ってもいろいろな種類があるよ」というのを伝えたくて、先日の「アオサギ○○」でいろいろなタイプの紙を使ったことを思い出し、「アオサギCEO」と「青鷺名人」を除いて全て持って行くことにしました。
持って行って、高校生たちに見て触ってもらったはいいのですが。
何となく、皆さんがもの欲しそうな顔をしているような気がして「私はもう要らないから欲しかったらどうぞ」って、提供してしまったのですよ。
瞬く間に「アオサギ○○」の書は羽ばたいていったのですが。
後で考えたら、ちょっとマズかったかな、と。
あれくらいの崩し方だと、スマホの読み取り機能とか普通に読み取って翻訳してくれるし、知り合いに日本語のできる人がいる子がいてもおかしくないわけで。
今頃みんな「あの講師から変な物もらってきちゃった!」って言ってるかもしれない……!
ふ、今更ですね。
以下、授業の様子です。
言うまでもなく、コーヒー豆氏を被っているのが私です。
まとまりのない記事となりましたが、2024年6月3日の記録は以上です。