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働き手が輝ける業界をつくる。株式会社てっぺん代表・和田 裕直が挑戦する飲食業界のこれから

「飲食と、ともに。」は飲食店経営者、従業員など“飲食”とともに生きる人の人生にフォーカスするnote連載です。過去の経験から生まれた考え方、経営や仕事へのこだわり、外食産業へのメッセージを届けることで、外食産業をともに盛り上げていくことを目的としています。
今回は、株式会社てっぺん代表取締役 和田 裕直さまにお話を聞いてきました。


和田 裕直丨株式会社てっぺん・代表取締役。居酒屋「てっぺん」を渋谷で展開するほか、サウナやジムなど幅広い業態を行う。飲食業で独立する「てっぺん」出身者も多く、海外で店舗を出すなどグローバルに活躍する人材の輩出も積極的に行う。

経営者になることを決めた、父親との会話

和田さんが飲食の道に進むと決めたのは中学生の時。父親から「将来どうするんだ」と聞かれたことがきっかけだった。この手の話は怒られるイメージがあるものだが、和田家はそうではなく、「将来何をやってもいい」と言われていた。業界は決めていなかったが、過去に経営者になることを諦めた父親の代わりに自分が経営者になり、父親の夢を代わりに叶えたい、と密かに考えていた。
両親が共働きだったことから幼い頃から学校から帰ると自分のご飯を自分で作っていた和田さん。自分の手料理を両親に振る舞い、喜んでくれることが嬉しかった。この体験、そして自分の努力次第で事業を伸ばせるのではないかと考えた当時の和田少年は、高校卒業後に料理修行のため渡仏する。
フランスでは、1年半修行をした。帰国後は自分の店を持つことを目標にし、毎日必死にフレンチの技術を磨いた。帰国後は都内の一ツ星レストランに就職をして経験を磨いていた。
ある時、働いていたレストランのシェフが独立をすることに。その時和田さんの中での選択肢は3つ。そのシェフについていくか、今のレストランに残るか、他のレストランで働くか。しかし和田さんの心は、「シェフについていく」に決まっていた。
その間、和田さんの誕生日にある居酒屋に連れて行ってもらう。それが現在和田さんが社長を務める株式会社でっぺんの「てっぺん 渋谷 女道場」だった。


「仕事は楽しくやってもいい」。そう気づいた居酒屋での経験

これまで技術やお皿の見え方などお客さまに五感で楽しんでいただける空間つくりに注力するフレンチで働いていた和田さんは、てっぺんの従業員の人たちが元気に楽しそうに和気藹々と働いているところに衝撃を受ける。料理やドリンクだけでなく、“働いている人が輝いている”という、飲食店での体験の中で新たな領域を知った。フレンチの現場では 私語厳禁、お客さまと話すのは料理の説明をするときと呼ばれたときだけということが当たり前になっていた。「働いている人とお客さまが積極的にコミュニケーションをとることで、別の働く楽しみをつくりだすことができるんだ」と感じた。和田さんはこの経験をきっかけに、フレンチではなく居酒屋業態で独立したいと思うように。働いていたフレンチのお店を辞め、「てっぺん」に入社した。


尊敬する、大嶋 啓介という存在

てっぺんに入社し1番の財産だったのは、当時株式会社てっぺんの代表取締役を務めていた大嶋さんとの出会いだと話す。大嶋さんは誰からも信頼され、周りに人の輪ができるような人間力を持つ人。「その人がいるだけでその場が明るくなる人=てっぺん人」という今あるてっぺんが大切にする考え方・リーダー像を、1番体現している人物だった。「大嶋さんは200m先を歩いていても明るさが伝わります。そりゃ人が集まりますよね」と笑いながら話す。
尊敬していた一方で、大嶋さんと喧嘩したこともあるという和田さん。「てっぺんは、100年語り継がれたら十分」という大嶋さんに対し、「日本を本当に元気にするなら、100年お店が続かないといけない」と強く思った和田さん。自分も含め、てっぺんを愛している人からてっぺんを奪うことをしてはいけない。てっぺんの今後に対する考え方の違いに、ぶつかったんだとか。そんな和田さんの上昇志向な点が評価されたのか、「社長をやってみないか」と昇進のタイミングが訪れる。もちろん和田さんは2つ返事をし、学生の頃から夢見た “社長”になったのだ。


念願の社長就任、社長としての苦悩

社長になってすぐは、苦悩の連続だった。周りからは事あるごとに「社長を引き継ぐのは大変だったでしょう」と言われたが、そんな事を考えている暇がなかった。というのも、これまでのてっぺんでは、売上管理が全く出来ていなかったことが判明。財務担当が常駐していなかったことから、多額の借金を抱えていた。その額なんと2億円。社長になったからには自分が立て直さければ、大好きなてっぺんがなくなってしまう。そこからは和田さんも現場に入り、とにかく売上づくりに奮闘した。しかし一方で、売上づくりに必死になりすぎた和田さんは、いつの間にか人をコントロールしようとする社長になっていた。スタッフの不出来さに腹が立ち、怒るばかりの日々。いつしか、和田さんが店舗に足を運ぶと場がピリつくようになっていた。
ある時、店長に怒ったことがあった。その店長は精神を病んでしまい、しばらくの間モチベーションが下がっている状態が続いてしまった。どうにかしなければいけないと考えた和田さんは、その店長をランチに連れ出した。「俺や会社に思っていることを全て言って欲しい」、そう伝えると、彼女は泣きながら、口を開いた。「タイガーさん(社内での和田さんのあだ名)が仰っていることは正しいと思います。でも、怖くて、心で受け入れることができないんです」。そう伝えられた和田さんは、初めて自分が怖い社長だったということに気づく。尊敬していた父親や大嶋さんのような、背中で見せ、周りに人が集まるような社長像からは自分はかけ離れてしまっていた。


良くない状況を打破する和田さんの一手

このタイミングから、和田さんは自分が変わろうと決意。これまでは人を変えようと怒るばかりだったが、自分が変わらないと周りも現状も変わらないのだと気づく。ここで和田さんは、自分と3つの約束をする。不機嫌にならないこと、感情だけで人と接しない、そしてどんなときでも笑顔でいる、ということだ。
この3つを徹底していると、だんだんと状況に変化が訪れる。社員たちが自分に頼ってくれるようになったのだ。反対に、自分も社員たちに頼ることができるようにもなり、関係性がぐっと良くなった。すると、だんだんと売上も上がってくる。もともと2億円抱えていた借金も、わずか3年で全て返済することが出来た。さらに何よりも嬉しかったのは、社員みんなが「うちの社長すごいんです!」と周りに話してくれるようになったこと。和田さん自身が社員のことを会社の駒として考えるのではなく、一緒に会社を作り上げるメンバーとして考えることができるようになったからだった。和田さん自身や独立した周りの飲食店経営者の経験から、リーダーには自分が変わる覚悟が必要だ、ということに気づいたのだ。ここから、上手く行かない時にはまずは自分の行動に目を向ける、という習慣になった。


挑戦し続ける背中を見せたい。

現在、和田さんは新たなチャレンジをすることに決めた。居酒屋甲子園9代目理事長への挑戦だ。「理事長就任を決意した当初は、正直怖かったです。自分なんかに理事長が務まるのか、と不安でいっぱいでした」。しかし“自分の意思決定で人生が大きく変わるということを自分の背中で伝えたい”という願いから、理事長になる決意をした。「上手くできなくてもいいから、ベストを尽くせ」。これは和田さんが日頃から社員に伝えているメッセージだ。まずはこのメッセージを、和田さん自身が理事長に挑戦することで体現していく。
これからは、飲食業界を良くしていくために働きたい、と話す和田さん。「飲食業界・飲食店は立場が弱い」というような世の中のイメージを変えたい。そのためには、飲食業界で働く1人1人が、今いる業界は夢がある業界である、と自覚をする必要がある。だからこそ、「居酒屋甲子園」の理事長として日本中の居酒屋を巻き込みながら、他の団体とも積極的に連携をし、飲食業界全体をより良くするために動いていく。これまでは社員に見せてきた背中を、次は業界内で見せていく。和田さんの挑戦は、さらに大きなものとして続いていく。

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