セルフプロデュースの罠
近頃、大したことのない人間が大袈裟に評価されている。
根拠のない断言、ビッグマウス、有言不実行、不誠実...
安っぽくて浅い。そんな人間を世間では持ち上げる。
見る人から見れば、世間で持て囃されている理由がわからない。
そんな時代の寵児たちに共通する特徴は、「セルフプロデュース」に長けていることだ。
自分が前向きに生きるためのきっかけにするは良い。それは個人の勝手である。
ただ「セルフプロデュースに長けている人=優秀な人」と錯覚するのは些か早計ではないか、と私は思うのである。
見せ/魅せ方がうまいから実質的に中身が伴っていると解釈するのは危険だ。
「セルフプロデュース」が上手い人でもすごい人はいる!と反論されそうな記事であることは承知だ。
しかし真に偉大な人間はわざわざ人に「売り込まなくても」人生に満足していると、私は思うのである。
さて、表面しか見ない風潮をどうにかして止められないものか。
評価すべき人を評価できないことは、社会にとって「損失」なのである。JSミルの嘆きが今にも聞こえてきそうだ。
あまり意識しない人が多いが、人も大切な「社会資本」。
この「人的資本」を大切にできない、適切に評価できない社会はやがて衰退するだろう。
最後に吉川英治氏の『宮本武蔵』の最後の言葉をご紹介しよう。
波騒(なみざい)は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い、雑魚は踊る。
けれど、誰が知ろう、百尺下の水の心を。