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『近代美学入門』 井奥陽子[著] ちくま新書【読書感想】

これぞ美学の入門書の決定版!
これ以上やさしく書くことはむずかしいのではないでしょうか。
井奥陽子『近代美学入門』(ちくま新書2023)は、誇張なくそう思えるような良書でした。
新書大賞にランクインしているのは伊達ではないようです。

「芸術に興味はあるけど、美術について理論的だったり抽象的だったりする話となるとちょっと…」
そんな方にこそ、あきらめる前に手に取ってほしいと思える入門書。

また、近代美学についてある程度知っている方にもおすすめできると思います。
とても整理された記述は、理解を整序する助けになりました。

読書案内もとても洗練されていると思います。
新書、初心者・中級者向け、専門書と幅広い読者層を意識し、定番書だけでなく2020年前後の著作も多く取り上げていいます。



概容

本書は、西洋近代の美に対する考え方の基本的な特徴について、平易に解説しています。

芸術や美学についての入門書というと、有名な芸術作品だったり日常での感傷を切り口にしたものが多いのではないでしょうか。
しかし、本書はそれらの本とは毛色が違います。
西洋での美に対する考え方が、近代になってどう変わったかを問題にしていきます。

そもそもノウハウや技術一般のことしか意味していなかった「アート」という言葉が、いかにして今の私達が思うような「芸術」や「美術」を意味するようになったのか、という話から入ります。(第1章)
続いて、かつてはただの職人でしかなかった芸術家という存在が、作品の創造者、いわば神として人々に思われるようになっていく経緯を見ていきます。(第2章)
社会において、いわゆる「芸術」というものがどういう位置づけを与えられて来たのかが、これらの章からわかります。

第3章では、美学の本尊たる「美」の話に触れます。
人が「美しい」と思うとき、その原因は、「美しい」と思った人にあるのか、それとも「美しい」と思わせた対象にあるのか。
かつては対象の方に原因があると思われていたのが、だんだんと人間の方に原因があるように思われていくようになっていく、その流れを追っています。
この変化が、前の章で見た「アート」という分野の成立や「芸術家・作者」の特権性の確立と連動していたというわけです。(第3章)

また、「美」にもいくつか種類があるのではないか。あるいは、「美」に似ているけど実は違うものもあるのではないか。
そんな「美」に似たもの、しかも近代に見出されたものの例として、「崇高」(第4章)と「ピクチャレスク」(第5章)を取り上げています。

(特に「ピクチャレスク」の部分は、今の人々には共感できる部分が多いかもしれません。
「ピクチャレスク」とは「まるで絵のような」というくらいの意味ですが、
現代語に翻訳するならば、まさに「映え」です。
SNS映えするかどうかという枠組みで対象を見ること、映えるかどうかというフィルターを意識して目の前の物を見ること、これを「映え」と言うならば、
絵画、とりわけ風景画のように見えるかどうか、絵画映えするかどうかを気にしたのが「ピクチャレスク」と言えます。)

著者の対談記事

この新書のもととなった市民講座を主催するNPO法人さんが、noteに記事を寄稿されています。
そのなかに、著者の単著『バウムガルテンの美学』に関する対談があります。

バウムガルテンは「美学」(文字通りに訳すと感性の学)という言葉を造ったとされる人物です。
ちなみに、バウムガルテン『美学』の邦訳も文庫で出ています。
(そうは言っても今回の新書『近代美学入門』のなかにバの字も登場しないのはご愛嬌)『近代美学入門』が扱っているより少し前の時代、また「近代美学」とは違った考え方をしていた時代の話になります。


この対談は、『近代美学入門』より専門的な話になっていますが、本書に興味をもった方は一度のぞいてみるのもいいかもしれません。

感想

「西洋で」近代になって成立した芸術観、美への考え方について、その基本的な特徴をとても平易に解き明かしたのが本書でした。
これを読んでもっとも感じたことは、西洋には自然をそのまま愛でるような(日本ならありふれた)感性が主流ではないようだということです。

規則的で端整な、プロポーションの優れたものを「美」とする近代以前では、自然の「美しさ」はそのままでは受け入れられません。
また、「まるで絵画のようなもの」という限定で受け入れたピクチャレスクも、そのままの自然ではなく「映える」ものにかぎって、自然を受け入れただけにすぎないようです。

この印象が間違っていないならば、花をきれいと思うような我々日本人が抱くような「素朴な」美意識は、また西洋近代とは別個のものであり、実は素朴であることは当たり前ではなかったことになります。
ならば、その美意識とは、どういう風に言葉や概念として語ることができるのでしょうか。

そんなふうに思ってしまった時点で、「西洋近代に由来する、今日の我々の美に対する考え方を相対化する」というこの新書の目的は達成されてしまったようです。

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