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『NHKのど自慢』は血縁や田舎の人間関係に耐えられるかの踏み絵だ〈介護幸福論 #18〉
「介護幸福論」第18回。日曜お昼の『NHKのど自慢』には「家族」「血縁」「田舎」の良いところと、面倒くさいところが濃縮されている。昔はその濃さがどうしても受け入れられなかったのだが、母と一緒に生活するうちに徐々に変化が。
■『NHKのど自慢』は濃縮ジュース
母と一緒に生活するようになり、以前なら絶対に見なかったテレビ番組を視聴する機会が増えた。
その代表が、日曜お昼の『NHKのど自慢』だ。まさか自分が毎週、のど自慢を見ることになろうとは、東京でひとり暮らししていた頃には考えられなかった。
『のど自慢』には、「家族」「血縁」「田舎」の良いところと、面倒くさいところを、濃縮ジュースにして混ぜ込んだような匂いがする。
番組は町の紹介VTRから始まり、なんてことのない自然の豊かさや、地元の特産品がクローズアップされると、妙に元気のいい1番の出場者から歌が始まる。
あのトップバッターの陽気さを、不自然な笑顔、よそ行きのはしゃぎっぷり、素人さんの痛さなどと、いじってはいけないのだろう。後ろに並ぶ他の出場者もみな明るく手拍手をしながら応援して、鐘がカーンと鳴ると、本人がずっこけるまでがお決まりだ。
おばさんになった高校の同級生3人が「ウン十年ぶりに集まって、キャンディーズを踊ります!」とか、「病気のおじいちゃんのために、孫が頑張って歌います。おじいちゃーん、見てる!?」とか。あの手の“のど自慢的なもの”すべてがぼくは生理的に受け付けられず、以前は1秒たりとも見たくなかった。
勝手な推測でしかないが、田舎を嫌いな人は『のど自慢』が嫌いだろうし、家族や親戚のつながりを面倒くさいと感じる人も見ないと思う。
血縁のつながりの濃さ、長続きする過剰な人間関係、土着的な地方文化や、昭和の面影……。
あれは音楽番組ではなく、あなたは日曜のお昼にここで繰り広げられる光景に耐えられますか、という踏み絵に近い。
ネジ曲がった息子とは違い、母は『のど自慢』が好きだった。
自宅でも、入院中でも、日曜のお昼になると必ずチャンネルを合わせ、「今日のチャンピオンはこの人かねえ」なんて言いながら、楽しそうに見ていた。
日曜のお昼という時間帯は、病室の景色もいつもと違う。お見舞いの人たちでにぎわうためだ。
■自分自身に起こった変化
遠方から見舞いに連れてこられたであろう小さな孫と、それを喜ぶ入院中のおばあちゃんの、ほのぼのしたコミュニケーション。そこにはよそ行きの距離感が漂い、近づきたいおばあちゃんと、とまどい気味のお孫さんの温度差がある。時には、作られた幸せな空気が流れる。これがなんとも『のど自慢』にぴったり合う。
そんな環境にひたりつつ、母と一緒に『のど自慢』を見続けるうちに、いつしかぼくも普通に楽しめるようになった。
40年ぶりに結成した、おばちゃんキャンディーズの『年下の男の子』も許せる。元気で明るいトップバッターは、ぜひ地元の消防団に欲しいタイプの人材だ。病気のおばあちゃんのために歌う息子と孫のデュエットは、自分なら何の曲を歌うのか想像しながら聴くようになった。
介護生活や病院通いで、ぼく自身が内面的に変わったもの。
それは「家族」「血縁」「田舎」の良いところも面倒くさいところも濃縮して詰め込んだコンテンツを、素直に受け入れられるようになったことである。逃れられない人間関係にうんざりして背を向けるのではなく、ありがたく歓迎する。感謝できるメンタリティを身につける。
今なら、調子っぱずれの演歌をがなり続けるおじいちゃんが出てくれば、「今日はこの人が熱演賞を獲りそうだね」と、母と会話もできる。
これが人としての成長なのか、後退なのかはよくわからないけど、介護生活を続けていく上では劇的な進歩だと思いたい。
*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf
※本連載は毎週木曜日に更新予定です