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公務員人生最初の上司の言葉

人生で「この言葉に救われた。」と思うことは、そんなに多くないはずです。心を病みそうなくらいに落ち込んでいる時は、どのような言葉も受け付けませんし、ドラマのように、ハッとする展開はなかなか起きません。

ただ、私にも「この言葉のおかげで今の自分がある」というものはあります。

それは、公務員3年目の時に、当時の上司から言われた「君は大丈夫。」というものです。

私は地方公務員になって、今年で16年目ですが、最初の配属先は少し特殊であり、公立病院の医療事務に派遣されました。

病院では、様々な職種の人が働いています。医師や看護師はもちろん、栄養士、ケースワーカー、検査技術士など、通常の公務員職場では顔を合わせる機会のない人と、毎日一緒に仕事をする機会に恵まれました。

そして、私の最初の上司は医師の方でした。正確に言えば、直属の係長は事務職の方がいて、そのさらに上の課長が精神科医の方でした。なかなか珍しいのではないかと思います。

当時、私は大学を卒業して、公務員となったばかりです。まさか病院勤務になるとは夢にも思わず、これからどうなるのかと戸惑ったことを今でも覚えています。

さらに、仕事を始めてからも戸惑いは続きました。当時は今よりもハラスメントに厳しくない時代です。新採用でも、容赦なく係長から大声で叱咤されました。

確かに、病院の業務は一つ間違えると、重大なインシデントにつながります。あの詰め方は、今であればアウトだったでしょうが、最初が肝心であるためか、毎日厳しく指導が入りました。

直属の係長とは毎日接点があったのですが、医師の課長とは、診察業務も入っているため、1対1で話をする機会もそれほど多くはありませんでした。

それでも、「頑張っているね」「仕事は辛くないか」など、時折、気にかけているとわかる言葉をくださったように思います。

後から話を聞くと、周りからは、厳しい指導でつぶれてしまうのではないかと思われていたようです。加えて、出先機関の割に、病院勤務は業務量が多かったこともあり、夜遅くまでの残業もざらにあったことから、親からも心配されました。

ただ、私自身は最初の病院での3年間の勤務は楽しかったと心から言えます。

確かに烈火のごとく叱咤される厳しい指導でしたし、今自分が部下を持ったならば、そうしたアプローチはしないとは思うものの、社会人として何ものでもない自分を戦力になるまで鍛え上げてもらったことは確かです。

そして仕事自体が楽しかったことも、潰れなかった理由かもしれません。決して大規模な病院ではなく、限られた職員ではあるものの多種多様な職種の方々とともに病院を運営していく、その一助を担っているという公務員っぽくない経営者的な心持ちでいられました。

また、私のいた公立病院は、生活に余裕がない人が多く訪れました。患者さんやそのご家族と法律に則った書類手続きを行ったり、裁判所の申請手続きについて聞き取りに行ったりと、およそ他の所属ではできないことも行いました。

公務員人生の最初に、こうした真に困っている人の生の声を聞く機会を得られたことは、今も私にとって大きな力になっています。

厳しいけれども自分を成長させてくれようとしていることが伝わる係長
それをしっかりと見守っていてくれる課長
さらに、心配し気にかけてくれる同僚たち
職場環境にも恵まれていたように思います。

周りの心配とは裏腹に、何だかんだ充実した3年間でした。

当時の私の自治体は、新採用はほぼ例外なく3年間の勤務後に異動があるとなっており、配属された病院では年度末に、職種ごとに病院内で成果発表会を実施することとなり、事務職代表として異動がほぼ決まっている私が発表することとなりました。

発表項目としては、目新しいものではなく、新採用職員から見た医療事務というものです。3年間仕事をしてきたことを、ありのまま、自分の言葉で語ろうと考えました。

「新入社員なのに入院手続中に罵倒されるなんて夢にも思わなかった。」「病院の中庭に忍び込んでバーベキューをした人がいて、その後始末が大変だった。」など、発表原稿を作っている最中も本当に色々あったなとしみじみと思い返しました。

そして、発表日、診察も終わって会場は満員御礼、自分の番が来て、大勢の同僚の前で、自分の3年間について成果発表を行いました。プレゼン自体は学生時代から何度も行っていたため、慣れていないわけではなかったのですが、特別に緊張をしたのを覚えています。

ただ、言いたいことはすべて言えて、自分の発表を終えました。そして講評の際、一番最初に手を上げてくれたのが課長でした。

『病院に来る事務の新採用の人は、皆「こんなはずではなかった」と、だんだんと元気をなくしていく。でも君は、どんどん元気になっていった。君は大丈夫だ。』

おそらくですが、君は大丈夫の前の「これから先も」が省略されたのだと思います。私にとって、はなむけの言葉としては、これ以上ない言葉でした。

一番近くで見ていた上司で、精神医療のプロフェッショナルです。その上司から、君は大丈夫と、ここでの3年間を経て、少しのことでは後ろ向きにならない、仕事に行くのが憂鬱にならない強さを得られたとお墨付きをもらえたように思います。

新採用の職場でのちょっとした一コマです。当の言った本人も覚えているかは分かりません。ただ、私の公務員人生の中で忘れられない言葉になりました。

ご承知おきのとおり、公務員に限ったことではありませんが、精神疾患によって仕事を続けられなくなる方は多くいます。パワハラやセクハラ、業務量の多忙さ、周りとの比較など、心を病むような事柄は日常の仕事の中にも多く潜んでいます。

仕事に起因する精神疾患は誰にでも起こりえることです。私も心を壊すぐらいであれば仕事を辞めた方が良いという考えに同感です。

一方で、私は心身ともに健康で、ここまで何とかやってきています。病院が終わってからも、激務と呼ばれる部署にも配属されましたし、時間外で言えば病院時代を超えたことも何度かありました。

それでも、心を病まずにこれたのは、どこかであの「君は大丈夫」という言葉があったことも理由としてあると思います。精神医療のプロから、最初の上司から、裏付けをもらえたから自分は大丈夫なのだと、まじないのようですが、自信を持てたように思えます。

飲み会の席でたまに仕事のストレスの話になると「精神科の先生に『君は大丈夫』だからと言ってもらったから、私はこれから先も大丈夫なんです」と冗談交じりに言うことがありますが、半分は自分に向けて本気で言っていることでもあります。

「君は、大丈夫」
自分の価値観を変えた言葉ではありませんが、今でも支えてくれる言葉ではあります。自分の公務員人生最初の心に残る上司の言葉です。

#心に残る上司の言葉

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